閑話 玉座の下に、あるものは
人の知恵程ではなくとも、人が作るものは、嫌いではなかった。
見えざる人の知恵の結晶の、目に見え、手に取れる形であったから。
それでも、人の知恵を愛する黒竜が、目に映るそれらを好ましいと思えなかったのは、単純に、持ち主が好きになれなかったせいだろう。
広々とした謁見の間は、王の権威を見せつける為の虚飾で、溢れかえっていた。
天井に目を向ければ、聖王の偉業を讃える数々の絵画。
柱一本、吊り下げられた灯りの一つに至るまで、呆れる程に念入りな装飾が施されている。
彼女は伴侶の様に建築に興味がある訳ではないので、ここまでする必要があるのかと、内心首を傾げてしまった。
……まあ、真竜以外の何ものにもなりようがない彼女には、人間など、どれだけ愛でようと、真の意味で理解できる日は来やしないのだろうが。
――知ったつもりになったところで、その根拠となるのは、彼女が見聞きした情報の、平均や傾向に過ぎないのだから。
世界との摩擦を避ける為に、古竜が被った殻の、仮初の長い髪が、硬質な輝きを纏って虚空を揺蕩う。
地を這いずるものどもを、大地へと縛り付ける軛から、解放されたその黒髪は、どこか、水の中を泳ぐようでもあった。
「――同朋の非礼については、謝罪を。
人族の王よ」
斥力と引力を司る黒竜は、人族の女を模した殻を被ったまま、ゆったりと口を開いた。
伴侶と一緒に隠れていた、天井付近の空間から、床に向かって降りていけば、押し殺した悲鳴や狼狽の声が彼女の耳に届く。
人外を排除する王国で、人間ではない己が姿を見せれば、そう言う反応を返されると知ってはいたが、それでも、彼女には少しだけ面白くない。
彼女とて、好きでこの場に来た訳ではないのだ。
彼女は、うんざりと溜息を吐きながら、片手を上げた。
――とりわけ鋭いとは言い難い彼女の感覚でも、知覚できてしまった悪意混じりの害意。
それが引き金となった、幾つもの火球は、彼女の力に、空間ごと握り潰された。
「けれど、人族から向けられた悪意を、吾達が甘んじて受け入れる義理はない」
抑えていた苛立ちや怒りが、魔力と一緒に漏れたらしい。
耐性の無い、幾人かの貴族がへたり込むのを、彼女は視界の端に捉える。
――要件を手早く済ませるべきか、と、彼女は、虚空を漂う己を、玉座の方へ押し出した。
彼女に悪意も害意も無いというのに、勝手に傷付く脆い生き物が相手だ。
勝手に言い掛かりをつけられ、敵認定されては、堪ったものではない。
彼女の目の前に飛び出してきた邪魔者達は、床に陥没している同朋達の二の舞にしない様、慎重に慎重を重ねて除けていく。
同朋達ならともかく、脆弱な人族は、うっかりでプチっと潰しかねない為、加減するには嫌になる程神経を使うのだ。
彼女もまた、生まれながらの強者の常として、極繊細な力の加減は得意ではない。
そりゃあ、満杯のバケツから水を一滴垂らすより、水を丸ごとぶちまけてしまう方が、余程楽だ。
それに、面白くも無い筋肉達を眺めているより、興味深い知恵が詰まった書を読んでいる方が、彼女には遥かに楽しいものであった。
……どうしてこんな面倒な事をしているのだろう、という自問には、あの子に濡れ衣が被せられるのも、刊行予定の書籍が読めなくなるのも困るからという、自答が返る。
力任せに一掃しても、卵は戻らないし、呪われた同朋を逝かせてくれたあの子――今は寝込んでいる王鞘が望んでいない、戦争が勃発しかねない。
彼女が物理的に黙らせた同朋達にも、そう説明したのだが、初めからのあの喧嘩腰の対応では、どうにも通じていなかったらしい。
北の竜穴を棲み処とし、人と交わる事が滅多になかった引き籠り達では、己と違うものへの対応が、酷いくらいに一本調子になるのも、……仕方がないとは、言いたくない。
それでは、同朋を害した馬鹿共や、今彼女の周囲にいるあんぽんたん共と、同じだろう。
無駄に気疲れしながら玉座に辿り着いた彼女に、虚飾の椅子に座っていた若造は、顔をこわばらせていた。
――浅いな、と思う。
昔会った人族の王の一人は、剣も振るえぬ非才の身で、それでも尚、古竜に笑みを向ける胆力があったのだが。
「――それから、死して尚、兵器として使われた同朋への仕打ちには、怒っている。
とても。
――とても」
絶対に、許さないくらい。
今すぐ、国一つを更地にしても、構わないくらいに。
……ミリエルは、激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームと形容していたが、――この若造に向かって言っても、通じなかろう。
異なる世界から時折堕ちてくる、異界の民が伝えてきた異界言葉は、他種族の物語や風俗に興味津々なミリエルならともかく、稀人を排するローディオでは馴染みが薄いのだ。
若造の表情を見て、ああと、彼女は溜息を吐いた。
――慨嘆か、失望か、諦めか。
その理由は、彼女にも測りかねるけれど。
挑むような目は、対等のものにも、心を持つと認識している相手にも、向けていいものではない。
敵を見る目で、排除するべきものへと向ける、眼差しだった。
「人外如きの脅しに、私が屈すると思ったか」
「……吾の言葉が通じないなら、別に、良い。
吾達は、吾達で、好きに、するだけ」
微かに震えていた声に、彼女は素っ気なく返した。
それでも声に、苦々しさが混じったのは、つい、比べてしまったせいだ。
「――アレクサンドリアも、上手くやったものだ。
北の蜥蜴共を言い包めるとは」
「否」
取り繕い損ねた言葉は、低く、重かった。
若造の台詞は、悔し紛れもあったのだろうが、彼女に看過できるものではなない。
しかしながら、年経た真竜の威圧は、若輩に過ぎない人族たちには、毒になりかねない代物であった。
誰かが床の上に崩れ落ちる物音を聞いて、けれど、彼女は抑える気になれなかった。
「あの子はあの子、吾達は吾達。
吾達がこの場にいるのは、吾達の宝を取り戻す為で、あの子が吾達に力を貸してくれたのは、あの子の大事なものを守る為。
あの子は、吾達が、何かを知っているから。
――そもそも、アレクサンドリアもあの子も、吾達の力は必要としない。
……正義と、同じく」
《殺戮の覇王》も、《虚ろの騎士》も、他の誰かの力を頼ろうとはしなかった。
……良くも悪くも、いつだって、自分達だけで、その業を、その責を負ってきた。
くるりと、空中で天地を逆転させた彼女は、人族の王を宙から見上げながら、その指を指し下す。
「アレクサンドリアの王も、王鞘も、自分の大事なものを、守り抜こうとしただけ。
その手段と、彼等の存在そのものが、罪と、されただけ。
――悪がいないと困るのは、そちらの方」
硬質に輝く黒瑪瑙の瞳が、冷ややかに細められる。
己が正義でも悪でも、アレクサンドリアの王も、王鞘も、為すことに変りはない。
……だが、アレクサンドリアを悪と断じる正義がよって立つのは、一体どこなのか。
「そちらに都合が良いのは、悪役がいること。
責任の押し付け先がある事。
――アレクサンドリア無しに、お前は、お前の正義を証明できると?」
絶対の悪が無ければ、存在証明さえ覚束ない正義など、容易く反転する妄想でしかないのではないのか?
「我が妹背」
彼女の伴侶の呼びかけと、聞こえなくなった騒めきに、彼女は、熱くなり過ぎた事を自覚した。
よく見れば、彼女が垂れ流した魔力のせいで、目の前の若造が呼吸困難になりかけている。
「謝罪」
彼女は、ばつの悪い思いで、肩を落とした。
なるべく穏便に済まそうとして、人族の王に喧嘩を売りそうだった同朋達を黙らせたのに、当の彼女が若造を殺しては本末転倒だ。
「気に病むことは無し」
芝居がかった物言いの伴侶は、硬質に輝く蛋白石の瞳を、不意に眇めた。
その視線を追えば、伴侶の能力により、断絶した空間の向こう側に、喚き散らす老爺が見えた。
干からび皺だらけの手には、不釣り合いに大きな宝玉を嵌め込んだ、笑えるくらいに杜撰な造りの長杖が一振り。
職人見習いでも、あれよりましな品を作るだろうと思われた。
「――未だ、機は成らず」
無意識に上げた片手は、伴侶の言葉とその魔力に阻まれた。
伴侶を見やれば、梟を模した殻の、大きな瞳が見返してくる。
老爺が、雷を顕現させるも、そも、空間ごと断絶していては、彼女達には届きようもない。
「……なら、何時?」
「巫女は、この場に在る限り、万全ではないからにして」
伴侶の言葉に、彼女は思わず目を逸らす。
――地神の眷属が神域を離れるのは、離れたまま戻らないのは、ある種の異常事態だ。
それを知って、けれど、彼女はそれを忘れかけていた。
「――ただで」
小さな声に、彼女は胡乱な目を向ける。
玉座にもたれる若造の顔は青く、だが、力を失わない双眸には、異様な光が浮かんでいた。
「ただで、済むと思うな。
――この、蜥蜴共が」
「それは、こちらの台詞」
嗚呼、これは分かり合えない。
頭に浮かぶ感想は、冷え切ったものだった。
当然の事、ではあったが。
だって、分かり合えるとも、分かり合いたいとも、思えないなら、分かり合える、はずもない。
非常にいやいやながらも、彼女は、若造にずいと顔を近づけた。
「吾達の宝を、――真竜から奪った卵を返せ、人族の王。
貴様の配下がしたことだ。
その咎の責は、貴様のものだ。
――貴様の預かりの知らぬことであっても、吾は、警告した。
これで、卵を返さないのなら、――同朋を救ってくれたあの子の、敵になるのなら、貴様の望み通りに、我らも貴様の敵になってやる」
目を見開く若造の、青い瞳の向こうに、瞳孔が縦に割れた己の瞳を、彼女は見る。
いつの間にか、玉座の足元には、大きな影が染み出していた。
遂には広間の床を埋め尽くさんと錯覚させる、黒々としたその影は、人のものでは、決してなかったのだ。
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激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム:
異界言葉で怒りを形容する『おこ』の、最上級の怒りを表す表現。
物語が大好きなミリエルは、覚えた言葉を何かと使いたがるが、異界の民由来の異界言葉なので大体の人間には通じない。




