霊鳥は、うたう
神経を伝う衝撃に、視界が白んだ。
それでも身体が動いたのは、リアが――王鞘が、そう言うものであったからだ。
――主君の頸を刎ねる前に動けなくなるなど、彼等は自らに赦しはしない。
リアが腐竜の攻撃に気を取られた瞬間を狙い、観客席から飛来した火の玉が、彼女に直撃したのだ。
一種の魔導器である黒衣を身に纏い、気功術で強化していても、身体に浸透した衝撃を、リアは無視できない。
そもそも、他の王鞘はこんな子供騙しの様な攻撃を受けはしないのだから、これが、所詮紛い物でしかないリアの限界なのだろう。
口元に自嘲を滲ませ、リアは自分に突っ込んできた腐竜の咢から逃れる。
観客席で騒いでいる聖女様(笑)の取り巻きなぞ、どうなろうとも心底どうでもいいが、足を引っ張られるのは業腹だ。
――物語の主人公ならば、分かり合う努力の一つでもしたのであろうが。
明確に、リアを標的として魔法を行使してきた魔導士を、冷め切った目でちらりと見やる。
腐竜を目の当たりにしながら、いけしゃあしゃあと仮想敵国の人間を片付けようとする馬鹿に、労力をかける意義など、リアには見出せない。
周囲を探れば、ヴォルケや護衛が無事であることが分かり、リアは少しだけ安堵する。
クロードは着ぐるみ達と一緒に、地面の上に転がっているが、真竜の血を引くあれがそう簡単に死ぬ筈もないので放置である。
内包する魔力を使い果たし沈黙した《風蓮》に、リアは眉を寄せた。
――手札が切れた。
正確には、まだいくつか残っているが、……使った後が不味い。
腐竜を自分に引き付けながら、リアは葛藤に顔を歪める。
現在進行形で、腐竜を強化している阿呆のおかげで、穏便に腐竜を討つ可能性ががりごり削られているが、それでも、腐竜を退けた結果の戦争勃発では、何の為に故国を離れたのか分からなくなる。
――ぶわりと、腐竜の身体から、紋様が広がった。
虚空を舞う紋様が、連動するように点滅する様に、リアは総毛立った。
何が起こるか分からずとも、幾つもの死線をくぐり抜けてきた本能が、強烈な警告を発したのである。
我が君――
かえると、いったのに――
そして、鮮やかな、赤。
突如視界に広がった火炎に、リアは小さく息を呑む。
そこらの魔導士が扱うものとは、一線を画す威力の炎は、腐竜に編まれた呪詛を容赦なく焼き尽くしていく。
顕現しかけた絶望を阻んだのは、妙なる旋律であった。
この世のものとも思えぬ歌声は、声の主の望むまま、鮮烈な色の炎を呼び寄せたのだ。
夢幻の様に火の粉が舞い上がる空間を、炎色の翼が揺らす。
滑る様に宙を飛ぶのは、白鳥大の優美な鳥。
その姿を目にしたリアは、呻くようにその名を呼んだ。
「フィオ……」
声量が小さくとも、リアの声は耳に届いたのだろう。
最上位の魔物である《原初の魔》――その一角である《浄火の不死鳥》は、嬉し気に長い尾羽を振った。
周囲に散らばった紋様を一掃した火炎は、その勢いを増して腐竜に襲い掛かる。
腐竜の喉から、濁った苦悶の咆哮が上がった。
「――何もするなと、言っただろうが……」
好転した状況に、しかし、リアは苦い声で吐き捨てた。
――だって、リアは、フィオに何も返せない。
フィオに差し出す為のものを、リアは何一つとして、持っていないのだ。
フィオが、リアに何をしてくれたって、何も返せないならば、自分はあの健気な鳥を利用するだけだ。
利用して、使い潰して、――そうして、フィオと一緒にいられなくなるならば、何もしてくれなくたって、良かったというのに……。
奇跡だと、浮かれる声が聞こえ、リアは弾かれるように観客席に目を向けた。
聖女様(笑)の取り巻きが、己の聖女の為に、神が霊鳥を遣わしたのだと、大真面目に叫んでいた。
ふざけるな
リアの腹の底から、内腑が捩じ切れる勢いで濁流が噴き上がる。
白熱を通り越し、いっそ冷え切ってさえいる憤怒は、リアの思考から、瞬く間に不純物を取り除いてのけた。
あの、優しい生き物は。
貴様ら如きが、易々と使って良い存在ではない――
観客席の愚か者に向きかけた、リアの殺意を引き戻すように、腐竜がもがく。
闇雲に振るわれた爪は、リアがいた空間を引き裂き、地面に長々と傷跡を付けた。
火達磨の腐竜は、だが、しぶとく魔法を発現しようとし、フィオの浄化の火炎に阻まれる。
観客席には、安堵の空気が流れたが、リアは顔を強張らせた。
フィオに、腐竜は仕留めきれない。
フィオが操るのは浄化の火炎だ。
本来、澱を消し去るに足るそれは、フィオの魔力を薪とする故に、僅かながらも、魔法を喰らうという腐竜に力を与えてしまっているのだ。
噛み締めた唇に、リアは鉄錆の味を感じた。
……それだけは、切る気が無かった札だったけれど。
瞋恚に燃える瞳で、リアは世界を睥睨する。
――フィオを、誰かの都合の良い存在に貶めるなど、誰が何と言おうと、許す気はない。
その時、リアの熱を冷ますように、優しい風が頬を撫でた。
『あれが動いたのならば、今この時だけは、我らが動いても問題無かろう』
「碧君」
良く知る古竜の声に、リアは忌々しさを隠せなかった。
古竜なぞ、関わらなければどうでもよかったが、碧君だけは、――あまり、好きにはなれない。
「お前が私に何をしようとも、おばあ様の過去は変わらんぞ」
『知っているよ』
言い捨てたリアの台詞に、風を統べる古竜は寂し気に微笑んだ。
幼い頃、リアは、自分に括られた亡者達と、生者の声の区別がついていなかった。
言葉の意味を理解する前から、リアの耳に届いていた一つの声は、飽きることなく、リアへ、生者の声について諭し続けていた。
それが、高祖母を養い子としていた、一頭の古竜のものであると知ったのは、物心がついてからの事。
碧君の行動には感謝しているものの、――リアは、高祖母の代替品ではないのだ。
守り切れなかった誰かの為のものなど、リアはいらない。
『――だが、今ここで我らが同朋を討たねば、困るのはお前の方だろう?』
「うるさい」
古竜の言葉の正しさを分かっていたから、リアは不貞腐れた。
本当は、碧君からもう何もされたくないというのに。
切り替える様に息を吐き出すと、リアは短く言った。
「あの腐竜に、『砦崩し』で一発かましてくれ。
――核から澱を剥ぎ取るのは、私がやる」
『――と、言うことだ、ディー、我が背の君』
碧君の言葉に応える様に、腐竜のものではない重厚な咆哮が、闘技場に響き渡った。




