風蓮
『お前は、その同朋も討てる存在として、生み出されたものだから』
何処からともなく響く、古竜の声は、何処か縋る様な響きを帯びていた。
――それは、自分の一族であって、自分ではない。
口に広がる苦みは言葉にせず、リアは小さく息を吐く。
「黒賢、お前の言葉があろうとなかろうと、私がやるべきことは変わらないよ」
腐竜から目を逸らさないまま、リアは求めるものを喚んだ。
ふわりと、何処か優しい風が、リアの短い髪と、耳飾りを巻き上げる。
空の掌が、柄を掴んだ。
闘技場を巡る風に、腐竜がクロード達から目を逸らし、顔を上げる。
リアの手元に現れたのは、黒い鞘に包まれた、一振りの刀だ。
細身の刀は、リアの華奢な手に、しっくりと収まっていた。
べとりと黒い鞘は、観客席の縁で、腐竜を見続ける黒猫の毛並みを彷彿とさせる。
黒に紛れて気が付き辛いが、鞘には、水面の蓮を模した装飾が施されている。
そして、リアは、ベルトに刀を差すと、滑らかに引き抜いた。
風が、一層力を増す。
鞘から現れた刀身は、緑柱石と翡翠を混ぜ合わせた様な、とろりとして透明感がある緑色。
独特な波紋が、切れ味に特化した刃を、美しく彩っている。
――《風蓮》。
そう名付けられた刀は、嘗て、王鞘に嫁した娘が、ウェインにもたらした魔導器だ。
人を愛した雌竜と、我が子を悼んだ黒竜の鱗を元に造り上げられた、稀有な至高合金製の刀。
至高合金は、製造に古竜か《原初の魔》の素材が必要になる為、アレクサンドリアでは作られず、もっぱら重金剛が重用されている。
王鞘限定で。
神の力の断片を宿した神器と、まともに打ち合えるのは、至高合金か重金剛製の武器ぐらいだ。
その為、何時か神器の使い手と殺し合う可能性が高い、王鞘の武器は、魔素が凝る竜穴で産出される重金剛で作られてきた。
そもそも、魔法に関する素養が皆無な王鞘では、魔法の触媒としても優れた至高合金を持っていても、宝の持ち腐れになるのである。
《風蓮》も、魔導器としては最上級の代物ではあるが、リアに注ぎ足す為の魔力が存在しないせいで、十全な機能を振るえるのは、良くて数分程度だろう。
それでも、腐竜と相対するならば、対人を第一としたリアの本来の得物よりも、《風蓮》の方がいくらかましだ。
リアの得物では、刀身が短すぎて、到底腐竜に有効打を与えられまい。
一方、《風蓮》は、風を操り、不可視の刃を形成することにより、大型の魔物でも両断することが可能である。
緩慢にリアの方へ鼻面を向けた腐竜に、鎧男が斬りかかった。
――が、尾の一撃を浴び、リアがいる観客席とは正反対の場所に、かっ飛ばされていった。
彼我の力量差も分からないとは、どうしようもない。
ご自慢の先祖伝来の鎧も大破していたが、息はあるので、身に着けた甲斐はあったらしい。
「ウェイン伯っ!」
『神の目』が、リアを呼ぶ。
彼女に駆け寄る女司祭は、味方に盛大に足を引っ張られまくり、碌な人員を用意できなかったらしい。
『神の目』の後ろを見れば、新顔の教会関係者が自信満々に結界を張っていた。
そして、よく見ると、巻き込まれたらしい某ご隠居とそのお供の女が、結界の際で騒いでいる。
口の動きから察するに、避難しようとしたところを邪魔されたようだが、結界を張った当人は、助けたつもりであるらしい。
――あんな紙装甲の結界で、一体何から身を護るつもりなのか。
無能な味方より、腐竜への対処を優先したらしい『神の目』は、苦々しさと情けなさがない交ぜになった顔をしていた。
「……申し訳、ございません」
「気にするな、『神の目』。
別に期待はしていなかった」
『神の目』の絞り出す様な謝罪に、リアは素っ気なく返す。
(笑)が付くような聖女もどきを、送り出してくる味方がいるのだ。
『神の目』への同情はあっても、まともな人材が配置される期待は全くしていない。
リアは、おもむろに観客席の床に手にした刀を突き刺すと、再び、必要な物を喚び出す。
飾り気のない袋は、『神の目』の手元に放り投げられた。
受け取った袋の中身を確認した女司祭は、ぎっちりと詰まった古今東西のお祓い道具の数々に口元を引き攣らせる。
澱を浄化する為の道具は、製作できる者が限られる為、高価になりがちで、数を集めようとすればそれだけ金がかかるのだ。
それでも、アレクサンドリアは、澱の浄化が可能な人材に乏しいのだから、代用品で何とかするしかない。
「ウェイン伯、先程使用なさった物は――」
「あれで打ち止めだ。
流石に、聖人の浄化と同等の効力がある代物なぞ、そうそう手に入る訳ないだろうが」
もの言いたげな『神の目』の台詞を、リアは打ち切った。
じっとリアを窺う腐竜の前で、言い合いをする余裕などないのだ。
「――リアっ!」
駆け寄ってきたヴォルケが、リアを呼ぶ。
リアは、腰の鞘を声の方向へ無造作に放った。
目を向けなくとも、リアには、ヴォルケが鞘を受け取ったと分かる。
「それには、肉体強化系の呪式が仕込んである。
それを持っていれば、あの腐竜相手でも、ある程度しのげるだろうよ。
――『神の目』、お前はそれを使って、澱の浄化にあたってくれ。
あの腐竜が振り撒く澱は薄いが、それでも、看過できる量ではないだろう?
ヴォルケの副官はそれなりに使える男だから、そいつと協力すればいい」
言うだけ言い捨て、床に突き立つ《風蓮》を引き抜くと、リアは床を蹴った。
ヴォルケの制止の言葉は聞こえたものの、彼女に受け入れる理由はない。
跳躍したリアの周囲で、風が逆巻く。
高く、低く、謡う様に《風蓮》が鳴動した。
何も無い虚空を踏み台に、リアは腐竜の下へと駆けていく。
腐竜の周囲で、濁った光が陣を描くが――遅すぎる。
緑刃の一閃。
《風蓮》によって極限まで研がれた風は、腐竜を二つに切り分け、闘技場の地面に鋭利な傷跡を刻み付けた。




