神になり損ねた娘
人間は、面白い。
人間は、恐ろしい。
彼女にとっては、どちらも真だ。
人間は、面白く、そして、恐ろしい。
古竜として、悠久の時を生きる彼女から見れば、地を這う知恵持つ獣達の在り方は、激流のようだ。
瞬く間に形を変え、通り過ぎ、去って行く。
余りに脆く、か弱いようでいて、彼等が世界に与える影響は、甚大である。
目まぐるしく、騒々しくもある彼等は、長すぎる生からくる、精神の停滞に倦む彼女への良い刺激になった。
実際、彼女の同朋の中には、人間が作り出した物をこよなく愛する者もいたし、彼女もそうである。
生来の強靭さ故に、己一つで生きていける真竜には、何かを作り出す必要も、発想も薄い。
だからこそ、自分達に縁遠いものが、いつ果てるかもしれぬ彼女らの生の無聊を慰めるのだ。
食物、物語、音楽――。
同朋達が好む代物はそれぞれ異なるが、彼女が取り分け興味深く思い、愛おしくも思うものは、人間の知恵であった。
――食料を作る為の、道具を作る為の、或いは、戦う為の、その根本。
物体として在るものより、人間の間に無数に散らばる知恵自体を、彼女は愛していた。
その愛は、己とは異なる種、そのものに向けられたものではなく、伴侶への情とは、別種のものであったけれど。
彼女が、その娘の存在を知ったのは、長命な真竜においても、決して短くはない程度には、前のこと。
人間観察が趣味の同朋が見つけ、彼女に告げたのだ。
天の氏族と呼ばれた一族出身の娘は、人柱というやつだった。
地神が討たれ、要を失い破綻した神域を、人間の都合の良いように作り変える為の贄。
娘の事を知ったとき、彼女が抱いた感想は、馬鹿な事をするなと、上手くいくのかの半々だった。
人間の、地脈を操る術については、彼女も既に記憶していたが、一度滅んだ神域に生贄を以て介入する、という発想は無かった。
それは酷く興味深く、だから、彼女は友の力を借りて、最初から最後まで観察していた。
神域だった土地に凝る澱に、娘が侵され、求められた神には、成れなかった様まで。
愛する男に裏切られ、人柱にされた娘はお気の毒ではあったが、そも、恋人に言われるがままに、地神の討伐に手を貸したのは娘自身でもある。
ある意味で、自業自得、因果応報であったから、彼女は何も手を出そうとは思わなかった。
結果的に、死ぬこともできずに、土地に括られた娘が発した呪詛は、世界を揺るがす程で、遠くにいた彼女の耳まで、よく通った。
人々の試みの失敗は、彼女の想定の内。
まあ、そんなもんだろうと思いつつ、彼女は、失敗作のその後も、気まぐれに観察していた。
制御できない力に手を伸ばす、人間の愚かしさも、その産物も、彼女の知識欲を満たすのには、十分役立っていたので。
――そのしばらく後、世界に堕ちてきた異界の民との間に、神になり損ねた娘が血を繋げることになるなど、彼女は予想だにしていなかったが。
自分達には、想像もつかないことをしでかす人間と言う種は、やはり面白く。
――己の為に、躊躇いも無く禁忌を踏み越える人間は、やはり、恐ろしいと思った。
「お前は、神になり損ねた娘の、末なのだから――」
貧民街の片隅で、彼女は、闘技場にいる黒衣の娘に、そう告げた。
音も無く宙に漂う彼女の周囲には、今は、お気に入りの書籍ではなく、幾つもの陣が取り巻いていた。
虚空に存在する陣を構成しているのは、魔力の光ではなく、彼女の血液だ。
貪欲に収集した知識を以て、彼女は、人間が用いる魔法を習得するに至っていた。
今使用しているのは、紋章術と呼ばれる魔法で、魔力を秘めた塗料により特定の紋章を描けば、望む効果が発現されるという類の代物である。
自在に魔法を操る魔法竜とは異なり、一芸特化の属性竜である彼女には、中々に便利な技術なのだ。
属性竜は一芸特化と言っても、通常ならある程度能力に幅があるのだが、彼女の場合は、斥力と引力の操作ぐらいしか能がない。
属性竜には珍しく、癒しと氷の二属性を司るミリエルの様に、とは言わないが、風を操るアルディラの様に、超広範囲の知覚や攻撃が可能になる様な応用範囲の広さは羨ましい。
だからこそ、非力で脆弱な人間達の、不可能を可能にしてきた知識と言うものに、彼女は惹かれたのだ。
ふよふよと、球になって漂う己の血を、彼女は重力を操作して押し潰す。
虚空に広がった血液は、彼女が思い描いた通りの陣を形成した。
また一つ、彼女が求める魔法が発現する。
効果は、解析。
対象は、闘技場にいる腐竜。
但しその構成は、既に造り上げている解析の為の陣とは異なっていて、別の情報を得るためのものだ。
勿論、多角的に物事を解析できる陣も存在するが、情報の精度を求めるなら、調べる範囲をある程度絞った方が良い。
魔法的な視点から、呪術的な観点から、彼女は腐竜を見通そうとしていた。
『――黒賢、それは、どういう意味だ?』
遠く、闘技場から、懐かしい面差しの娘が、彼女の言葉を促す。
「多分、求めたものは、便利な兵器。
壊れないで、動き続ける、強力な。
……ただ、試みた方法が、神の代替品を作り損ねただけ」
周囲に浮かぶ、陣の一つを通して、彼女は私見を口にした。
「そこの同朋に組込まれている呪式は、吾が見た、人を神にする為に作られたものに似ている。
だから、そこの同朋も神の成りそこない。
お前の祖と、同じ様に」
物事には黄金比と言うものが存在し、効率を突き詰めていけば、自然とそれに近づいていく。
だから、偶然の様な必然なのだろう。
神の如き兵器を作り出すための呪式が、神の代替品を生み出すためのそれと、似通ってくるのは。
いつかの娘と同じように、死ねず、生きることもできなくなった同朋に、彼女は憐みと悲しみを抱く。
「滅びをまき散らすものとして、在り続けるのは、同朋が哀れ。
けれど、吾達では、卵も巻き込む」
力自体は大きくとも、彼女達は、今の状態の同朋と相性が悪い。
力尽くで何とかできなくもないが、国を一つ更地にしては、王都のどこかにある筈の彼女達の宝は、ただでは済まないだろう。
「地神が造り上げた、神殺しとしてでも、大禍を食らう災厄としてでも、どちらでも良い。
――早く、同朋を眠らせてやってほしい」
アレクサンドリアの、ウェールズの大森林。
不完全な地神が座す、疵物の神域は、彼女にとって興味深い場所だった。
毒を以て毒を制すとの言葉の様に、禍を以て禍を封じる地。
いつ狂うかもしれぬ神器の使い手を、王に戴き、王鞘と呼ばれる地神の使徒が、神器に墜ち、いつか狂った王を討つために侍り続ける。
彼女から見れば、酷く危うい、いつ破綻してもおかしくなかった関係は、その実、奇妙な均衡を以て、保たれている。
「お前は、その同朋も討てる存在として、生み出されたものだから」
それが本来の用途ではないと知りつつ、その祖と同じくこの上なく深い、隻腕の娘の情に、彼女は縋った。
黒賢
斥力と引力を司る。
属性竜の中でも、極端に能力が限定されている個体。
*氷を司る白姫なら、派生した冷気も操れると言ったように、普通はある程度能力に幅がある。
仮の姿は、黒瑪瑙の瞳と髪の、成人女性。
髪は長く、黒い着物を着ている。
歩くのが面倒で、常に能力によって宙を漂っているので、一目で人外と判明する。
知識欲が旺盛で、常に書物を捲っているほどの読書好き。
読書に集中していると、独特な口調になる。
趣味の方向性の一致から、普段は、時司(建築物大好き)・白姫(物語大好き)とつるんで図書館巡りをしている。
真竜としては異例な事に、人間が使用する魔法を習得している。




