竜の声
「――だああああああああぁぁぁぁぁぁぁっっっ?!!!」
恥も外聞もかなぐり捨てて(元から気にしている様子は無かったが)、地面を転がったクロードの身体すれすれに、鋭い爪が叩きつけられる。
いくら腐敗しているからと言って、元は、強靭な真竜のそれだ。
それ程劣化していないだろう腐竜の爪は、人一人の身体を両断するには、十分なものだろう。
ウサギのお陰で、腰の調子は良くなったらしく、クロードは素早く立ち上がると、遁走を開始する。
何故だか、腐竜は、栗毛の青年や鎧男には目もくれず、着ぐるみ二体をくっつけた、クロードだけを狙っているようだった。
と言うか、クロードはよくもまあ、顔面に竜モドキを張り付けて、迷いなく全力疾走できるものだ。
腐竜の、爪に続いての噛み付き攻撃も、クロードは見えているかのように回避した。
「こっちくんな~っ!!」
闘技場の底で逃げ回るクロードに向かって、腐竜はその咢を大きく開ける。
そして、濁った咆哮を上げる腐竜の口元に、幾つもの陣が展開された。
何者かの意思の、世界の理への干渉の証は、ヴォルケが今まで見てきたものより大きく、複雑だ。
クロードの頭にしがみつき、青年の視界を大いに阻害しているだろう、竜モドキが、ぱかりと口を開けた。
何時ぞやと同じように、青みがかった白い炎が、脱力系着ぐるみの口元に凝縮していく。
その光景に、腐竜程の派手さは無いし、いっそ喜劇めいてすらいる。
だが、――ヴォルケは知る由も無いが――古竜が行おうとしているのは、干渉ではなく、世界の一端の、そのものの行使だ。
青白い火炎が、ヴォルケの網膜を焼いた。
一瞬遅れて、灼熱が闘技場にいる者達の皮膚を炙る。
そして、現れたのは、頭部を消し飛ばされた腐竜の姿。
観客席まで被害は広がらなかったが、……ここまでして良いのだろうかと、ヴォルケは疑問に思った。
如何にアホな見た目であろうと、これでは、竜モドキは兵器と変わらない。
己の喉元へと、仮想敵国の人間に兵器を持ち込まれて、ローディオの上層部が、平静でいられるのだろうか?
ヴォルケは、恐る恐る、横目でリアの様子を確認しようとした。
――ぼろり、と、炭化した腐竜の首から、紋様が転がり落ちる。
先程、ヴォルケが目撃した光景の、焼き直しのようだった。
腐竜の傷口から溢れ出した、謎の紋様の群れは、今度は何もない空間に留まって。
くるり、くるり、と。
反転していく。
虚ろが、実体へと。
骨に、肉に。
鱗が、牙が。
――そうして、腐竜は元通りに。
「――ぅわぁい……」
クロードの口から、間の抜けた声が漏れた。
「不死化じゃない」
温度の無いリアの声に、ヴォルケは背筋を泡立たせた。
リアが、激高する程に、怒りの感情が見え辛くなっていく人種であることは、ヴォルケも既に学習済みである。
「……何を、した?」
リアの独白は、誰にも答えを求めてはいなかった。
『世界に還れない、荒魂。
もしくは、神の成りそこない』
予想外の返答に、リアの顔が険しくなる。
『何もするなと、言われていたけれど、口を出すなとは、言われていない』
「……黒賢……」
しれっと語る声に、リアは低く唸る。
ヴォルケの脳裏に、大量の書物と共に漂う、黒い女の姿が浮かんだ。
着ぐるみ組とは違い、妙にやる気なさげだったと感じたのだが、どうしてここで口出ししてくるのだろうか?
以前聞いた雌竜の声は、茫洋としていて、奇妙な言い回しであった筈なのに、今聞こえる声には、何処か芯が通っている。
『人間は、愚かで、面白い。
失敗した同じ事を、別の人間が、またやる』
「どういう意味だ」
面白げで、同時に、危うさを孕む声に、リアは殺気だった台詞を返す。
『知らないとは、言わせない。
疵物の地神の巫女姫――』
年経た竜の声は、ただ、事実だけを告げる。
『お前は、神になり損ねた娘の、末なのだから――』




