まだ、終われない
ヴォルケが、腐竜を飲み込む光の陣を目撃したのは、観覧席から飛び出したリアに、あと少しで追いつくという距離だった。
ヴォルケに、『教会』関係者による浄化の場面を目にする機会はほとんど無かったが、それでも何故か、それが浄化のためのものだと理解できた。
そして、今この時発現した浄化の陣は、ヴォルケが目にした中で最も強力な浄化の光だと、確信できたのだ。
芸術的に繊細で精緻な陣を描くのは、力強く輝く、しかし、冷たさの無い柔らかな白い光だ。
腐竜と言う異物を交えて尚、神々しさを感じる光景は、ヴォルケが抱いていた、浄化の光は無意味にビカーっと輝くという印象と、かけ離れたもの。
腐竜が、苦痛にのたうつ様に咆哮を重ねる。
その声に混じる濁りが、一層酷くなった。
そして、腐竜の叫びは途絶え、光の陣は音もなく宙に溶けていく。
残された腐竜の残骸の、鱗の隙間や虚ろな眼窩から、血の様に体液が流れ落ちる。
と、ヴォルケの視界の端から、何かが闘技場の底へと、飛び込んだ。
太い、太い腐竜の首に巻きつくように、鈍色の閃光が奔る。
そして、
冗談の様に、
――腐竜の首が飛んだ――。
きっと、強靭であるはずの鱗も、肉も、骨も、腐敗によって脆くなっていたのだろう。
けれど、残念竜及び、親戚のクロードの頑健ぶりを、目の当たりにしてきたヴォルケには、一瞬、その光景の意味が理解できなかった。
妙に長い滞空時間を経て、人一人よりよほど大きな頭が、湿った音をたてて、地に墜ちる。
殆ど間を置かず、凍り付いたように停止している、腐敗の身体と首の切り口から炎が上がった。
誰かが投擲した何かが、燃え盛る炎に更に、勢いを与える。
無意識に、観覧席の縁から闘技場の底へと身を乗り出していたヴォルケは、そこで、ようやくやらかした人間を認識した。
栗色の短く整えられた髪に、中性的な童顔。
中肉中背の身を包むのは、身ぎれいで、ごく簡素な防具だ。
それだけならば、少々弱そうな護衛で通じるが、手にする獲物は異様だった。
青年が軽く腕を振ると、絡んだ血肉を飛ばしながら、長々と伸びていた鈍色の金属片を連ねた鞭が、剣の形に収まった。
剣と鞭を合わせた様な蛇腹剣は、かなり癖のある武器で、使いこなすのは難しいと、ヴォルケは耳にしたし、実際に使用している人間は、初めて見た。
リアの耳飾りを手に入れた時に、たまたま居合わせた某国のご隠居の、愛妻家らしい辣腕の護衛。
リアそっくりの、朔の夜闇の瞳が、観覧席を見上げる。
二対の同じ色の黒瞳が、感情を映さないまま、交わった、気がした。
ポスっ、と。
気の抜ける音に、ヴォルケは観覧席の縁から、転がり落ちそうになる。
見れば、観覧席から飛び降りたらしい着ぐるみ達が、地面の上に転がったままのクロードの下へ、近寄っていくところであった。
激しく場違いな足音を響かせて、ウサギは、情けない格好をしているクロードの腰に、前脚を伸ばす。
「――いでっ?!
し、白うったん、腰は、安静にさせてくれっ!」
撫でられるだけで、腰に激痛が走るのか、クロードが悲鳴を上げた。
仕方がないとばかりに、腹部の隠し収納から、やたらとキラキラした短杖を取り出すウサギ。
ウサギが白く輝きだし、手にした短杖を、クロードの腰に向けた時だ。
ぼろり、ぼろりと、腐竜の、未だ燃え盛る傷口から、零れ落ちるものがあった。
焼けた、灰ではない。
虚空に浮かぶ、文字ともつかぬ、紋様の様な。
「――へ?」
クロードが、土埃に塗れた顔で、目線を腐竜に向ける。
栗毛の青年は目を眇めて身構え、リアは見定めるように、目を細めた。
異変に気付いていないらしいウサギは、そのままクロードに対し、治癒魔法を発動させ。
腐竜の傷口が、爆発した。
――様に、ヴォルケが感じただけだ。
爆音を伴わずに、首を失った腐竜の傷口から、突如湧き上がった黒い奔流は、瞬く間に地面の上に転がる首の根元に到達する。
よくよく眺めれば、首無しの身体と腐竜の頭を繋げるものは、黒く輝く小さな紋様によって、構成されていた。
単純な形の紋様は、密集しているせいで、一つ一つの形を、容易に識別できない。
紋様の集合体は、腐竜の首を吊り上げ、勢い良く宙を引き摺る。
そして、二つの断面がぴたりと、合わさり。
再び、闘技場に濁った咆哮が轟いた。
「――ええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっ?!!!」
素っ頓狂な悲鳴を上げるクロードに向かって、腐竜の前脚が、振り下ろされた。




