竜と悪鬼と
闘技場の地下部分にあった、妙に広い空間。
そこをぶち抜けば、簡単かつ分かり易く、王都の地下に広がる凝った澱を人目に曝せると、リアは踏んでいたのだが。
「――どういう使い方をしているんだ、馬鹿共が」
闘技場の観覧席の縁で、リアは忌々し気に吐き捨てた。
彼女の目の前で、腐敗した竜の死骸が、緩慢な動きで穴の底から這い上がろうとしている。
リアの目には、腐竜から漂う澱が、はっきりと視認できた。
死体を動かす技術は幾つかあり、澱を利用する呪術もまた、その一つだ。
――どうやら、真竜達が探している卵を盗んだ馬鹿と、澱を地下に固定したらしい阿呆は、繋がっているらしい。
黒主が言っていた、殺された同朋とは、あの腐竜だろう。
世界を震わせたという、末期の聲により、黒主達は同朋の死を悟ったそうだ。
しかし、真竜にとっての至宝たる、卵の捜索を優先したせいで、殺められた同朋の遺骸がどうなったか、彼等は確認していなかったのだ。
全く、迂闊にも程がある。
その牙、その爪、その鱗――。
肉の一片、血の一滴に至るまで、高濃度の魔力を内包する真竜を、生体素材として欲しがる者は限りない。
それこそ、真竜から採れる素材を凌ぐとすれば、最高位の魔物である《原初の魔》のそれぐらいか。
だが、古竜である黒主達は、世界の理に組込まれた《原初の魔》に伍するのだから、種族としての真竜のでたらめぶりに、笑うしかない。
――それにしても、勿体ないことを。
あれだけの巨体ならば、高性能な魔法具も魔導器も、いくらでも造れる程の素材が採取できただろうに。
……ただ、死骸を動かす為だけに、腐らせて、全て台無しにするとは。
心底馬鹿なのか、真竜の素材を加工するだけの技術が無かったのかは、どうでもいいけれども。
「――黒主、何も、するなよ。
後、碧君も、黒賢達に伝えてほしい。
ここは、私達が対処すべき場面だ」
殺気立つ黒猫と、聞き耳を立てているだろう風の主に、リアは囁きを落とす。
「……お前達には、澱を祓う術が、ないだろうが」
澱を、紙を汚す黒い水だとするならば、真竜は油性絵の具と表現するべきか。
強固に世界と繋がる彼等は、負の感情に染められた澱に、そう簡単には侵されない。
その必要が無い故に、真竜には澱を祓う術がないのだ。
まあ、出来なくもないらしいが、真竜に可能なのは、自分の魔力で澱を染め直すことぐらいで、判断するまでも無い、完全なる力業だ。
そして、古竜である黒主達にそんな事をされたら、間違い無く王都は更地になることだろう。
そうなれば、アレクサンドリアへ濡れ衣が掛けられる事請け合いなので、リアとしては勘弁してほしいところだ。
確かに、世界を滅ぼす炎剣に魅入られた『残虐王』を筆頭に、アレクサンドリアが攻め込んできた軍勢を幾度も殲滅してきたのは、紛れもない事実だ。
が、今の時勢でローディオの王都を更地にしたところで、対費用効果が最低過ぎて、やっても損しかない。
まあ、そんなアレクサンドリアの事情をローディオに話したところで、王家の直系が負い続ける大凶星と、今までの実績のせいで、悪役扱いが変わりそうにないのだけれど。
リアは、精神感応を通して彼女の地神に念じ、用意してあった虎の子の一つを手元に呼び寄せる。
リアの手元に、ふわりと光が生じ、彼女の手の中に、ささやかな重みが落ちた。
紅い結晶に聖印が刻まれたそれは、使い捨ての上に、今のところ、どれ程金を積もうが同じ仕様のものは手に入らないのだが、気にはしない。
リアは、使えるものは、ケチらずに何でも使う主義だ。
たかが物一つを惜しんで、莫大な金品と人命を損耗する戦争を勃発させるなど、どれだけ性質の悪い喜劇なのだ。
リアは、口の中で懐かしい旋律を紡ぐ。
それを鍵として、聖人の浄化の力が籠められた結晶に、仄かな熱が灯った。
濁った咆哮が、再び響く。
穴から這い出た腐竜の喉元が、鈍い光を帯びた。
――良い兆候では、無いだろう。
躊躇うことなく、リアは、腐竜に向かって結晶を投げつける。
空中で砕け散った結晶の欠片は、瞬く間に精緻な光の陣を形成し、哀れな腐竜を飲み込んだ。




