その代償は
*ちょっとシリアス
声が聞こえる。
無数の嗤い声が、幾重にも。
最もよく響いているのは、リアを産んだ女のもの。
蔑み。
嘲り。
ざまあみろ、と。
一際喧しい哄笑を、リアは、物好きな男の腕の中で聞くともなく聞いていた。
呪詛が強まっているのか、リアの肌に浮かんだ黒い紋様に、ピリピリとした痛みが走る。
それは、この地の底に凝る澱に、共鳴しての事か。
――何かを喪わなければ、何も、得られない。
主君の口を借りて神書が告げた言葉は、リアに括られている亡者達も知るところだ。
奇妙に馴染んだ耳飾りの重みに、リアは意識を向ける。
嬉しいのだろう。
さぞ、愉しみなのだろう。
耳飾りと引き換えに、リアが喪うものが。
その代償が何なのか、喪うまでは、リアにも分からない。
不意に、リアの思考を押しのけて、情報が脳内に直接書き込まれる。
――手の者が、鼠を処分した――。
リアは、目を細める。
彼女の地神との繋がりを介しての、精神感応だ。
魔法によるものではない為、敵に勘付かれる可能性はないが、地神と思念の伝達ができるのは、彼女の影響が色濃い王鞘や分家の当主ぐらいだ。
ポンコツとは言え、仮にも地神な為、神域の地にも、血にも縁の無い人間では、紅姫と精神感応を試みても精神崩壊するだけである。
何かに気づいたのか、大きく武骨な手が、リアの頭を撫でる。
最早遠い記憶と重なる、だが、記憶の代替品にはならない温もり。
けれど、妙に勘の鋭い男は、リアが口を開ける気はない部分に、触れようとはしない。
「――そういや、お前、兄貴がいたんだっけ?」
「それがどうした」
睦言代わりの気だるげな問いに、リアは顔を上げた。
ヴォルケが、ろくでもない噂しかないリアの家族に触れるのは、ほとんどない。
親父殿の事を聞かれて、リアが睨み返した時ぐらいか。
「――もう、いないのか?」
「さて、な。
野垂れ死にしていなければ、生きているんだろう」
本当は、次の王鞘の座から引きずり下ろした時点で、叩きだすつもりだったのだが、主君が泣いた為、回復するまで待ったのだ。
「……嫌いじゃなかったんだろう?
なら――」
「一緒にいても、殺し合うだけだったよ」
余計な事にまで、無駄に察しの良いヴォルケにむっとして、リアは相手の胸に顔を埋める。
一人の王に、王鞘は一人で。
一人にしか許されない場所を望んだ末の、兄弟間での殺し合いは、ウェインには珍しいことではない。
兄には、その勤めが果たせない事を、リアは気づいていたから尚更、一緒にはいられなかった。
「――一緒にいられないのなら、どこか遠くで、幸せにでもなっていればいいんだ」
放逐した後の兄に、リアは関知していないし、親父殿にも手を出させはしなかった。
元々、ウェインの血統には、王鞘になることを選ばない権利があるし、アレクサンドリアから離れる権利もある。
ただ、アレクサンドリアから離れたら最後、己の出自に関わることは、一切合切口にすることは許されない。
もし、どこかにいる兄が、ウェインの出であることを誰かに漏らせば、リアは、有する権限を全て用いて、兄も、知られてはいけないことを知った誰かも処分する。
――アレクサンドリアには、他国に広まれば面倒を起こす秘密が、多すぎる。
「お前、普通に兄貴が好きだったんじゃねぇか」
「お前の兄弟はどうだったんだ?」
呆れ顔のヴォルケの言葉を無視して、リアは意地が悪いことを承知で尋ねた。
目の前の男が、故郷も身内も、とうの昔に皆喪っていることを、リアは知っている。
「――貧乏子沢山なりに、悪くはなかったんじゃねぇか?」
ヴォルケの声に、追憶の色が滲む。
「喧嘩して、助け合って、――まあ、もっと人数が少なけりゃ、腹いっぱい飯が食えたかもって、思ったことはあったけどよ」
ヴォルケは、十人近い兄妹の、下から数えた方が早い順で。
次々と生まれる子供に、親も、名前を考えるのが、面倒になったのだろう。
光も雨も無い、曇天の日に産まれたから雲だったと、親の名づけのいい加減ぶりをぼやいていた。
「――あんな死に方をされて、仕方がないとは、思えなかった……」
低い声が、微かに震える。
十数年程前、ローディオ北部の山岳地帯を中心に、大規模な魔物の狂化が発生した。
闘争本能のままに荒れ狂った魔物の群れは、無数の村や町を飲み込み、壊滅的な被害をもたらしたのである。
そして、ヴォルケの故郷もまた、その時滅んだ村の中に、含まれていた。
……死んだ、と、その事実が判明しているヴォルケの身内は、まだましな方だろう。
少なくとも、戻ってくるか分からない者を、当てどなく待つことに時間を費やすことだけは、避けられたのだから。
魔物に遺骸を食い散らかされたせいで、生死不明のままの人間の数は、生き残った人々の数より余程多い。
「悼む人間が遺されているなら、ましだろう」
リアは、彼女にとっての事実を、口にした。
いなくなることを、悲しんでくれるひとがいるのなら、まだ。
――四六時中、耳元で呪詛を囀られているから、余計にそう思うのかもしれない。
リアがいなくなる先を、主君は悲しんでくれたから、自分の生が無意味ではないと、決められた。
「きれいだったんだよ」
ぽつりと、ヴォルケが呟く。
「不便なだけで、何もないちんけな村だったんだけどな、朝焼けも、夕暮れも、星空も、――ここよりもずっと綺麗だった」
ふと、リアの脳裏に、地神の座す神域の最奥の風景が過った。
水と木々と光で構成された、うつくしい場所。
最期に眠るなら、ここが良いと、心から思った。
「お前にも、見せてやりたい」
「そうか」
どこか、祈りにも似た言葉に、リアは素っ気なく返す。
滅びた村の、ヴォルケが愛していただろうものが、欠け落ちた光景は、しかし、きっと――
「お前がそこまで言うなら、悪くはないのだろうな」
また、リアの耳元で、死者達が嗤う。
リアに出来るのは、殺す人間を、選ぶことだけだと。
――誰も、幸せにできやしないのだ、と――。




