表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
地獄の底に咲く花は  作者: 詞乃端


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

58/88

閑話 黒衣の聖女と炎色の霊鳥

 娼館の女主人である彼女が、嫌々契約書を(たずさ)えて足を踏み入れたのは、ローディオの王都内でも、貴族街に程近い、閑静な住宅街にある店だった。

 辺りに漂う宵闇は、着慣れない彼女の衣装を、他者から視認し辛くし、彼女への精神的圧迫をいくらか緩和していた。

 落ち着いた色調ながらも、上品な(たたず)まいの建物の入口には、(しつけ)の行き届いた門番が配置されており、本日入店できる資格がある者か否かを、選別している。

 門番は、仮面をつけた彼女の姿に動じることなく、彼女が示した『赤竜』を確認すると、礼儀正しく扉を開け、店の中へ彼女を導いた。

 貴族も利用することがあるという、その店は、入口の見た目の割には面積が広く、中には既に幾人もの人影があった。

 立食形式の宴会場にいる者達は、いずれも顔を隠すような衣装を(まと)っていて、彼等の相貌(そうぼう)を確認することはできない。

 服装は自由、という規定に甘え、自分と同じ判断をしたのだろう。

 彼女もまた、『責務者』であることを、例え同類相手でも、大っぴらにしたくはなかった。

 また、参加者だけではなく、給仕の人員も、喜劇役者の様な仮面をつけており、会場は仮面舞踏会を思わせる様相(ようそう)(てい)していた。

 しかしながら、参加者同士、暢気(のんき)に談笑を楽しむ雰囲気でもなく、会場の片隅で控えめに奏でられる音楽が、何処(どこ)(むな)しく響く。

 自棄気味(やけぎみ)に口にした料理も酒も、まごうことなき一級品で、今回の(もよお)しに惜しみなく金をつぎ込んだらしい『取立人』の酔狂(すいきょう)に、彼女はいっそ感心した。


 ――緑の外套(がいとう)の男は、恐らく、食料品の最大手の卸問屋の主人。

 ――老舗の薬屋の女主人は、指に光る指輪の印章のせいで、被った面紗(めんしゃ)が意味を成していない。


 暇潰(ひまつぶ)し代わりに、娼館の経営者には必須の観察眼を以て、彼女は他の参加者に当たりをつけていく。

 その多くが、この国でも相応の地位を占める、――逆に言えば、追い落とされれば、少なからぬ混乱が起きかねない人物達であった。


 その事実に、彼女はぞっとする。

 ――『赤竜』の契約書は、一体どこまで、ばら()かれているのか。

 裏を返せば、――あの少女は、どれ程の札を、隠し持っているのか。




 彼女が『責務者』になったのは、それ程昔の事ではない。

 そうなったのは、五年前、高級娼館が軒を連ねる色街を、大規模な火災が襲った直後である。

 彼女が先代から譲り受けたばかりだった、娼館を襲った災禍は、秘密裏に他の店を訪れた異国の要人を標的とした襲撃の余波が、予想外に広がった結果だった。

 そこまでして、暗殺は成功しなかったというのだから、要人の護衛が優秀だったのか、襲撃者が馬鹿だったのかは、彼女には判断しかねる。

 まあ、襲撃者の頭の中身は兎も角、その火災で彼女の娼館は全焼し、再建には、莫大な費用が必要になってしまったのであった。


 黒衣の少女が、彼女の前に現れたのは、彼女の城が失われて、一週間と経っていない夜更けであった。


 火災の後始末と、再建の展望を描くために、寝る間も惜しんで働き続けていた彼女の部屋に、気が付けば、いた。

 ただ、彼女が気付かなかっただけなのか、転移魔法でも用いたのか、その辺りは分からない。

 けれども、暗がりに佇む黒衣の人影を目にした時は、死神なのかと、彼女は本気で勘違いした。

 無残な程に短い黒髪に、漆黒の男物の衣装。

 一瞬、少年のようだと思った面差しや体躯は、しかし、よく見れば、少女特有の柔らかさを兼ね備えていた。

 年の頃は、十代半ばあたりか。

 地味に整っている少女の容貌は、相応しい衣装に化粧を施せば、さぞかし映えるだろうと思ったのは、高価な華を抱える彼女の職業病の様なものだ。

 少女の、(さく)()の闇を思わせる漆黒の瞳は、その色の暗さとは対照的に、強い光を内包していた。

 でも、それは、彼女が良く知る夜の蝶達の輝きとは、違う。

 危うい、酷く危うい、以前、物好きな彼女の客に見せられた、使用者の命を(すす)るという、魔剣が放つ()れにも似て。


 ――ああ、これ(・・)は、自分とは違う生き物だ、と。

 そんな事を、彼女に突き付けた。


 彼女の戸惑いには、頓着(とんちゃく)せず、突然目の前に現れた少女は、単刀直入に切り出した。


 ――こちらが出す条件を呑めば、必要な金を、必要なだけ出してやる、と。


 少女の、同年代の娼婦見習いよりも低めの声は、未だ災禍の名残にざわつく色街の片隅で、よく通って聞こえた。

 突然現れた不審者の申し出に眉を(ひそ)める彼女に、少女は重ねて言い放つ。

 単なる嫌がらせだ、と、唇を(ゆが)めて。


 詳細を少女が語ることはなかったし、彼女も聞きたくもなかったが、少女は火元となった娼館に、何やら思うところがあったようだ。

 その為、競合する彼女の娼館に援助をし、速やかに再建させることで、災禍の原因である店への嫌がらせをするつもりだったという。

 また、一体どうして、少女が、彼女の娼館を援助する気になったかと言えば、総合的に見て一番まともだったから、らしい。

 ……何がまともかは、あえて聞かなかった。

 経営状況が、だったら、彼女の精神衛生的に、嬉しいのだが。


 少女の申し出が嘘だとは、彼女は疑わなかった。

 それこそ、貴族間の政争に巻き込まれないよう、裏町の勢力争いに巻き込まれないよう、先代も彼女も、精一杯努力してきたのだ。

 苦境にわざわざ手を差し伸べ、後で陥れる様な陰湿な敵を、彼女は作ってきたつもりはない。

 それに、戦いに関しては、素人でしかない彼女だったが、少女は彼女の(かつ)ての客と同じく、地獄を知る目をしていた。

 もし少女が彼女の店を(うと)ましく思うなら、さっさと手を下すのが一番手っ取り早いのだから、意味のない嘘など、きっと言わない。


 結果として、彼女は、少女の申し出を受け入れた。

 受け入れざるを得なかった。

 彼女へ援助の申し出はいくつもあったが、いたって単純な条件と、全てを喪う可能性を引き換えにする少女の話が、最もましだと思ったからだ。

 裏町の組織の傘下に下ったり、彼女の後輩を変体貴族に売り払ったりするよりも、ずっと。

 そうして、鞘を(くわ)える赤竜の紋章が描かれた契約書に、彼女は署名した。




 ――アレグザンドラ(・・・・・・・)()なる(・・)、と。

 名乗りの代わりに、そう口にした少女と、彼女が会ったのは、それきりだ。

 金銭のやり取りは、使者を介して行われ、彼女の元へ少女が再び訪れたことはない。

 王都にある高級娼館の中でも、当時は中位程度でしかなかった店の女主人では、少女が口にした言葉の意味を理解するのに、しばしの時間を要した。


 朧気(おぼろげ)ながらに、彼女が少女の正体を察した後、思ったものだ。


 ……身近な誰かを幸福にするには不向きだろう、あの少女の本当の名前を、当たり前の様に呼ぶ人間はいるのだろうか。




 どっしりとした置時計の、時を告げる重厚な鐘の音に、彼女は追憶から現実に引き戻される。

 気が付けば鳴りやんでいた演奏に、違和感を覚え、彼女は異変に気が付いた。


 会場の奥、誰も、何もなかった場所に現れた、優美な形をした長椅子。

 幾つも積まれたクッションに(もた)れるようにして、黒衣の人影が座っていた。

 随分(ずいぶん)性質(たち)の悪い冗談だ、と、彼女が思ったのは、長椅子に座っている人物の衣装が、それなりに有名な絵画のものと同じであったからだ。


 巨匠が死ぬまで手放すことのなかった、『虚無の聖女』の漆黒の聖衣と、同色の面紗。

 (まと)う者の顔を覆い隠す面紗にしろ、『教会』から背信との勘違いを受けかねない、漆黒の聖衣にしろ、明らかにノリや遊びでは使わない様な質の生地を使用している。

 手元に髑髏(どくろ)の灯も、白い聖花も無いあたり、そこまで再現性に(こだわ)ってはいないようだが、救済と破滅を同時に招く娘の姿を模したものでは、彼女が深読みしたくなっても、仕方があるまい。


 凝視する彼女の前で、面紗から(のぞ)く花の色の唇が、薄い笑みを描く。


「――今宵は、招きに応じて頂き、感謝しよう」


『虚無の聖女』の仮装をした人物の、女にしては低めの声は、人が増えた会場の中で、よく通った。

 明らかに若い娘の声に、幾人かの参加者達は、動揺したようだった。

 聖女と言うよりは、大貴族の当主の様に、泰然とした娘の物腰は、彼女に娘の考えを読み取らせない。


「この国の上層部は、戦争をしたいらしいが、私はそんな面倒なことは御免だ」


 彼女が約五年ぶりに目にした相手は、現れ方も、話の切り出し方も、相も変わらず唐突だった。

 自分から招いた相手に対して、どうにも無頓着な主催者に呆れる前に、彼女は戦争という言葉に眉を(ひそ)める。

 彼女の商売は、戦争が始まれば、客が減る類のものであったからだ。

 戦中と言うのは、無駄な奢侈(しゃし)が忌避されるし、前線に駆り出されたり、城に(こも)りきりになったりで、客自体の数が減るのだ。

 それ故、彼女は、戦争は御免だという、黒衣の娘の意見に賛成であった。

 黒衣の娘は、長椅子に座ったまま、肩を(すく)める。

「まあ、貴殿らが面倒事に喜ぶほど馬鹿ではないと思いたいが、他人に強制する趣味はない。

 戦争を始めたいと考えるのならば、好きにしろ。

 ――私を敵に回すも、回さないも、貴殿らの自由だ」


 性格が悪い。


 彼女は、顔を引き()らせた。

 この場にいるのは、娘を敵に回した時点で、破滅する人間だけだというのに、何が好きにしろ、だ。

 見えない鎖を首に巻き付けておいて、自由も何もあるまいに。


 成程、これは警告だ。

『取立人』から、『責務者』からへの、開戦派へ利する行為は、許さないという。


 と、娘の隣の空間が、唐突に燃え上がった。

 何もないはずの虚空に噴き出した火炎に、ぎょっとした彼女の耳に、妙なる響きの音が届く。


「フィオ」


 娘が、(とが)める様な声で、それを呼ぶ。

 娘の膝に着地したのは、白鳥ほどの大きさの、炎色の鳥であった。

 優美な長い首に、頭には飾り羽。

 真っ黒のつぶらな瞳には愛嬌(あいきょう)があり、これまた長い尾羽が、機嫌良さ気に揺れていた。

 老画伯の手により、『虚無の聖女』に描かれたままの、炎色の霊鳥。

 何もない場所に突然現れる鳥が、ただの無力な鳥であるとは思えない。

 恐らくは、魔獣。

 それも、転移魔法を行使可能な程、高位の個体だ。

 能力と知性の高さにより、容易に人に懐かないはずの高位魔獣は、しかし、甘えるように娘に頭をすり寄せる。

 仕方ないという様に、娘に(あご)の下をくすぐられ、霊鳥は嬉しげな声を上げた。


 今は亡き画家が、何を想って『虚無の聖女』を描き上げたのかは、彼女には分からない。

 ただ、『虚無の聖女』の様に、黒の聖衣を(まと)い、炎色の霊鳥を侍らせた娘に、己へ破滅を招いてくれるなと、王都一の娼館の女主人は、願うことしかできなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ