イヴァドールの娘
宙を浮いた腕は、カラン、と音をたて、床に転がった。
人肉では発生しない音に、ジャネタは眉を顰める。
よく見ると、刺突剣を持った腕を切り落とされた娘の断面からは、出血が確認できない。
「おお、サイボーグっ!」
目を輝かせてよく分からないことを叫ぶ青年を余所に、ジャネタの連れは蛇腹剣を構えた。
蛇腹剣は細かな部品の集合体である故に、通常強度に難がある武器だ。
だが、鈍色に輝くそれは重金剛製で、ヴィル以外に持てない重量と引き換えに、突出した強度を実現させた、頭のおかしい代物だった。
不思議そうに首を傾げた狼藉者の残った手が、何かを弾いた。
「――でっ?! 痛いことは止めろしっ!!! つか、俺じゃなかったら、危なかったからなっ!!」
二撃目をもらった青年が、片手で額を抑えて喚く。
青年の指が摘まんでいたのは、胡桃程の大きさの鉛弾だ。
――指弾、といったか。
暗器術の中に、鉛弾を指で弾いて武器とする技術がある、ということをジャネタは聞いていた。
指弾は立派な暗殺の業なのだが、それを眉間に食らってぴんぴんしている青年については、さすが悪鬼の遠縁だと称えた方がいいのだろうか?
どれだけ頑丈なのだ。
推定暗殺者が、益々不思議そうにした時、ジャネタの背筋が泡立った。
何かが起こる、その前に、また、蛇腹剣が振るわれる。
四肢を失った娘が床に転がるが、血は広がらなかった。
――娘の四肢は、すべて、作り物だったのだ。
ヴィルの蛇腹剣は、娘の四肢以外にも、彼女の髪飾りを砕いていた。
床に散らばった破片を見る限り、何らかの魔法具であったようだ。
娘を見下ろすヴィルの表情に、ジャネタはぞっとする。
最近は、ましになっていたというのに。
男の深みのある漆黒の双眸は虚のようで、ヒトに擬態し損ねた、魔物に見えた。
床に転がった娘が、不思議そうな顔のまま、首を傾げた。
ジャネタ達に向けられた瞳は、その実、何者も捉えてはいなかった。
「どうして邪魔をするの? 教えに殉じれば、神様が褒めて下さるのに」
「いやいや、どこの神様の、どんな教えだよ、それ」
娘の主張に、青年が突っ込んだ。
ジャネタとて、死んで神様に褒められるぐらいなら、もう褒められないままでいい。
「――教えとやらに殉じて、女房とガキ共を養えるか」
化けの皮が剥がれかけた男の声音は、平坦だった。
これはまずい。
ジャネタはヴィルの怒りが危険域に達していることを察し、一歩後ろに下がった。
栗色の髪の男は、怒りが危険域に達すると、感情が凪いでいるように見え、限界突破すると、狂ったように嗤いだすのだ。
当然、残虐行為にも歯止めが利かなくなる。
……ジャネタが知る限り、一番嫌な怒りの発露の仕方だった。
「――クロード、他の人に怪我をさせてないわね」
「俺の心配はっ?! ねーちゃん、俺、痛い目にあったんだけどっ?!」
「避けないクロードが悪いでしょう」
「ひどいっ?!」
女にしては低めの声が紡いだ台詞に、青年が嘆いた。
ジャネタが視線を向けた先にいたのは、特徴的な黒衣の娘だ。
白い肌を際立たせる、深々とした漆黒の髪と瞳。
空っぽの右腕の袖が、ふわり、揺れる。
腰には、紅く輝く鈍色の剣があった。
そんな特徴を持つのは、一人しかいない。
――アレクサンドリアの、ウェイン女伯爵。
「どうして、死んでいないの? シーラが行った筈なのに」
「ああ、貴女、爆散した娘と知り合いだったの?」
暗殺者の問いかけに、ウェイン伯爵は微笑んで首を傾げた。
それにしても、爆散て。
……どうやら、黒衣の娘の方は、本当になりふり構わず殺されかけた様だ。
「お前は、生きてはいけないのに。 生まれ落ちたこと自体が、罪なのに」
「それがどうしたの?」
詰る様な断罪の言葉に、咎人とされた娘は、くつりと嗤った。
「殺されてあげられなくて、ごめんなさいね。 私が貴女にあげられるものは、何もないわ。 ――私の命の使い道は、とうの昔に決めてあるもの。 そもそも、王鞘は、主君の首を刈りとるその時まで、死ぬことは許されないのよ」
当代の王鞘の言葉は、傲慢で苛烈で冷淡で、そして、残酷な程、誠実だった。
形の良い唇が、傲然と言葉をつないでいく。
「憐れんであげましょう、イヴァドールの娘。 私は、主君も命の使い道も、全て自分で決められた。 けれど貴女には、押し付けられた張りぼての正義しかないもの」
完全に上から目線の王鞘の台詞に、暗殺者は頬を朱に染めた。
「死んだって、地獄しか、居場所がないくせにっ!」
「地獄で何が悪いの?」
女伯爵の、心底不思議そうな口調が怖い。
「守りたい人が守れないならば、天国も地獄も大差ないでしょう? ――ああ、本当に可哀想。 貴女が行ける天国があると、信じてしまっているのね」
いっそ慈愛さえこもった王鞘の言葉は、暗殺者の救いにはならない。
憎悪と嫌悪を孕んだ目で異国の伯爵を睨み付ける神の使徒には、咎人の繰り言など届きはしないのだ。
――そうと知って、自らを殺しに来た人間を憐れみ続ける娘の思考回路が、ジャネタには謎だ。
真摯で忠実で、――傲岸で酷薄。
一見すると相いれない性質を両立させている隻腕の娘は、朔の夜闇の眼差しで四肢の無い娘を見据えた。
「人殺しが向かうのは、地獄以外にないのよ」
「嘘つきっ! 導師様の言う通りにすれば、神様が褒めて下さるっ!!」
ジャネタは、黒衣の娘が床に転がった娘を憐れむ理由が、分かった気がした。
息をし、言葉を吐いて、――だが、何処にも自分のものがない。
操り手に、自分が人間だと思い込まされた人形の、なんと惨めなことか。
「貴女は、悪くないのでしょう」
女伯爵は、暗殺者を断罪する気はないようだった。
「『神殺し』を弑することを求められたウェインに、単なる人殺しを宛がった導師様とやらが、無能で愚かなだけなのだから」
にっこりと笑った娘の笑みを、ジャネタは非常に怖いと思った。




