腹ペコ男に絡まれて
王都の象徴ともいえる白亜の城は、今日も美しい。
豪奢な装飾を施された回廊を、彼女は歩いていた。
こんなにも美しい場所にいられることに、彼女は神様に感謝していた。
――もうすぐ、神様が褒めて下さる。
その時のことを思えば、彼女は例えようのない幸福に包まれる。
その為に、彼女の全ては在ったのだから。
と、彼女の視界に、黒衣の袖がひらめいた。
闇の様な髪と瞳。
男物の衣装の漆黒に、肌の白さが浮き上がる。
――隻腕の、忌まわしき悪鬼。
その姿を捉え、彼女は微笑む。
隠し持つ金属の重みさえ、彼女を祝福しているような気がした。
◆◆◆
ジャネタ・バルツァルは、流浪の民の血を継ぐ娘だ。
彼女は、占術と異能に秀でた『天の氏族』を祖に持ち、自身も『夢見の宵闇』の異能を継承していた。
今は昔、氏族単位で放浪していた『天の氏族』も、度重なる迫害のせいで散り散りになり、現在、ジャネタは独り、小国のアルトビャーノで定住中だ。
ジャネタが知る『天の氏族』は、血縁である母親を抜かせば、『天上の青』と謳われる両の瞳を抉られた、『先見の蒼穹』の娘ぐらいか。
伝統も文化も血族も、何もかもが消え去るほどに、『天の氏族』が有していた占術と異能は、権力者に畏れられ、求められた。
――因みに、『天の氏族』の括りの中から、『傷んだ血の色』は除外している。
地に落ち、血に染まった黄昏色は、もう天に連なるものではないのだから。
しかしながら、名実ともに優秀な『天の氏族』の占術も、決して万能ではない。
ある程度の危険が伴うし、見えないものは見えない。
――例えば、大凶星持ちやそれに近しい者の事柄に関しては。
「――た、食べるものくださいぃ~~~……」
情けない声をあげながら、隣の男の足に縋りつく青年に、ジャネタはドン引きした。
先日遭遇した、黒目黒髪の青年の腹からは、腹の虫の音が元気良く鳴り響いている。
……国中で一番物質的に恵まれているであろう王城のど真ん中で、何故に餓死しそうになっているのだ、この男は。
「は・な・れ・ろ」
「うわ、ひどい。 ひどいぞ、ヴィルさん」
嫌そうな顔をしたジャネタの連れの男に、顔をぐりぐりと足蹴にされ、青年が嘆く。
それでもヴィルの足をがっちり掴んでいるあたり、青年も切羽詰まっているのかもしれない。
「ねーちゃんに、魔石抜きにされた~っ! おなか減ったんだよ~っ!!」
「知るかっ!」
粘性の魔物の如くへばりついてくる青年に、ヴィルは声を荒くした。
……そう言えば、ウェイン伯爵の遠縁は、魔力欠乏症のせいで、魔石から魔力を補充しなければ際限なく食べ続けるのではなかったか。
「なんかお腹に溜まりそうなもの持ってるだろ~っ! 匂いがするんだからなっ!! ――分けて下さい、お願いしますっ!!!!」
「どんな匂いだい」
青年の主張に、ジャネタは突っ込んでしまった。
お腹に溜まりそうなものの匂いとは、大分ふわっとした表現だ。
ヴィルの方は心当たりがあったらしく、ほんの一瞬動きを止めた後、眉間の皺が深くなる。
そして、何もやらない限り青年が諦めないと、観念したのだろう、ヴィルは腰あたりに括り付けた小さな道具入れから、紙袋を取り出した。
その中には、ヴィルがよく齧っている干し肉が入っていた。
それは、売り物ではなく、ヴィルの自作の品である。
相当気合を入れて作っているらしく、ヴィルが自作の干し肉を誰かに分けるところをジャネタは見たことがない。
それどころか、妻子や実の弟妹にも分ける気が無いようで、こっそり干し肉の味見をしようとした弟を、鬼の形相で叱りつけていたことすらある。
その秘蔵の干し肉を、ヴィルは雑に放り投げ、青年は嬉しそうに受け取った。
「ありがとうございますっ!」
「気が済んだら、もう近寄ってくるな」
早速干し肉を頬張る青年に、ヴィルは凍り付くような声で言い放った。
ヴィルは、悪徳貴族に弟妹を人質にされた時並みに機嫌が悪い。
栗毛の男が嗤いながらごろつき共を切り刻む様を目撃したときは、暗黒街に慣れたジャネタも背筋が凍ったが、その光景が再来しないことを祈るばかりだ。
……人が行き来する回廊のど真ん中で、いきなり男にへばりつかれたら、基本人嫌いのヴィルでなくとも、機嫌が悪くなりそうだけれど。
どんっ、と腹の底に響く低音。
地面が、揺れた。
「――ねーちゃん?」
思わず、といった風に、青年がここにはいない娘を呼ぶ。
気がつけば、青年の背後に侍女姿の娘が佇んでいた。
娘が手に持つものが、光を弾き、冷たく輝く。
「――あでっ?! ちくっとしたっ?!!」
首の後ろを娘に突かれた青年が叫ぶのと同時、ジャネタの隣にいた男が、容赦なく己の獲物を振るった。




