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夜のとなりはベランダ1枚分  作者: Studio Yodaca
夜と呼ばない夜

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25/41

親友はまだ何も聞かない

 5月6日、火曜。振替休日。

 午前9時すぎ、スマホがLINEの通知音を鳴らす。画面を見ると、宗太(そうた)からだ。


「12時、駅前のサイゼ。連休最後だしどっか出ようぜ」


 用件と時刻と場所だけを並べた、いつもの文面。語尾の「ぜ」のひと文字に、宗太(そうた)の軽口の名残がある。連休のあいだ、宗太(そうた)とは会っていなかった。LINEもスタンプが数回飛んできたくらいで、俺もそれほど熱心に返していない。隣の灯りのことが、頭のなかでずいぶん大きくなっていた。そのぶん、宗太(そうた)に向ける余裕の置き場所が、少し縮んでいたんだと思う。


「了解。12時にサイゼ」

 短く返した。

 この素っ気なさに「お前最近そっけなくね?」くらい返ってきても不思議じゃない。実際に返ってきたのは、「お」のひと文字とサムズアップのスタンプだけだった。


 * * *


 昼前、母にひと声かけて家を出る。

「サイゼ、宗太(そうた)と」

「はーい」

「夕方には帰る」

「うん」


 母はリビングで医療雑誌を開いていた。

 夜勤明けの午後は、ソファの背もたれに浅く凭れて読むことが多い。ページをめくる速さは、平日の朝の出勤前の半分くらい。連休のあいだに、身体が少しずつ自分のリズムを取り戻している途中なんだろう。明日からまた連勤が組まれている。今日のうちにできるだけ眠りを溜めておきたいはずだった。


 エントランスを出て、駅のほうへ歩く。

 昨日散歩した住宅街とは反対方向の道。連休最終日の昼前の駅前は、平日よりわずかに人が多い。半分は家族連れ、四分の一は部活の集合らしい高校生、残りはそれ以外。そのなかに、たぶん宗太(そうた)と俺みたいな同級生のペアもいくらか混じっている。


 駅前のサイゼリヤは、駅ビルの2階だ。

 ガラス張りのエレベーターで上がると、自動ドアの脇にもう宗太(そうた)が立っている。グレーのパーカーに黒のジョガーパンツ。右肩にいつものスポーツバッグの小さいほうを掛けている。連休最終日の昼前にこれを持ってくるということは、午後にバスケ部の自主練が入っているんだろう。


「おう、(みなと)

「おう」

「早かったな」

「お前のほうが早い」

「俺は3分前だ」

「俺は1分前」

「2分の差だな」

「2分の差だ」


 * * *


 店内の窓際、四人席に通された。

 昼のサイゼリヤは、家族連れと学生で席が埋まっている。ひとつ向こうの席には、小学校低学年くらいの兄弟と母親の三人連れ。兄弟は交互にメニューの写真を指差して、母親と小声で相談している。


「ミラノ風ドリアな」

 メニューを開いて、俺は短く言った。

「お前ほんとそればっかな」

「迷う時間が惜しい」

「俺は今日はペペロンチーノとミニサラダ。あと食後のドリンクバー」

「自主練あるんだろ」

「ある」

「ペペロンチーノで腹もつのか」

「もつ」

「自信の根拠は」

「経験」


 宗太(そうた)の注文は毎回ほぼ同じだ。

 ペペロンチーノとミニサラダとドリンクバー。理由を聞いたことが何度かあるが、毎回「コスパ」で片付けられる。価格と腹持ちと味の総合点、ということらしい。中学のころからずっとこれだった。


 注文を済ませると、宗太(そうた)はドリンクバーまで立っていって、自分用のオレンジジュースと俺用の烏龍茶を持って戻ってくる。頼んでもいないのに、俺の烏龍茶を覚えている。


「連休、なにしてた」

 オレンジジュースに口をつけて、宗太(そうた)が聞いた。

「あんまり」

「あんまり、ってのが一番情報量ないんだよ」

「散歩」

「散歩」

「公園まで」

「あー、椿ヶ丘の」

「あの広場の」

「俺もあのへん通った、4日に」

「そうか」


 俺は短く返した。

 宗太(そうた)が4日に椿ヶ丘のあたりを通っていた、というのは初めて聞く。4日は俺はまだ家にいて、公園には出ていない。


 * * *


 料理が来るまでの数分、宗太(そうた)はバスケ部の話と漫画の話を交互に並べた。

 バスケのほうは、連休明けの練習で2年が3年の代わりに紅白戦のスタメンを任されるという話。漫画のほうは、連載中のバトルものの最新話で、長い伏線がやっと回収されたという話。どちらも口の動きはいつもの軽さで、こっちのリアクションを過剰に求めてこない。俺は短く頷いたり、質問を一度ずつ返したりして、いつもの聞き手をやっている。


 漫画の伏線回収の話のとき、宗太(そうた)の目が一度だけ俺のほうへ斜めに止まった。

 ほんの一瞬だった。こっちが普段より薄い反応しか返さなかったのに、宗太(そうた)は何も言わない。視線はすぐ漫画の続きの話に戻っていく。


 ミラノ風ドリアとペペロンチーノが運ばれてきて、しばらく食べることに集中する。

 ドリアの表面の焦げたチーズに、スプーンの腹で割り目を入れる。ベシャメルとミートソースとライスを下から掬う。中学のころから手順はずっと同じだ。いつ食べても、同じ味がする。


 * * *


「お前さ」

 半分くらい食べたところで、宗太(そうた)がフォークを置いた。

「ん」

「なんか顔色いいな」

「そう?」

「いや、なんかさ」

「うん」

「肌つやつやしてる」

「肌つやつや」


 俺はスプーンを止めた。

 肌つやつや、なんて言葉、中学のころの宗太(そうた)の口からは出てこなかった。スプーンを持つ手が止まったまま、しばらく動かない。


「マジで」

「そんなに?」

「なんか、連休前とちょっと違うんだよな」

「気のせいじゃないか」

「俺の気のせいの精度、お前知ってるだろ」

「……知ってる」

「だろ」


 宗太(そうた)の「気のせいの精度」の話には、もとがある。

 中学3年の冬。父が亡くなったあとの俺の変化に、宗太(そうた)は最初の数日で気づいていた。気づいたけれど、何も聞かなかった。ただ毎朝、家の前まで自転車で迎えに来た。登校班なんて中3にはないのに、宗太(そうた)は自分のルートをわざわざ曲げて、俺の家の前に寄ってから学校へ行った。あのころ俺が口でお礼を言ったことは、たぶん一度もない。お礼を言わせない振る舞いを、宗太(そうた)のほうが先に作っていたからだ。


 その「気のせいの精度」を、いま宗太(そうた)は、俺の連休明けの顔色に当てている。


「連休でしっかり寝たか?」

「まあ、寝た」

「夜ふかし、減った?」

「いや、変わらない」

「ふーん」

「ふーんって」

「ふーん」


 宗太(そうた)は曖昧に頷いて、フォークでペペロンチーノを巻き直す。

 巻いたパスタを口に運ぶ速さが、いつもより少しだけ遅い。それが何の遅さなのかは、俺には分からなかった。


「お前さ」

「ん」

「彼女、できた?」

「は?」

「あー違うか。えっと、好きな奴は」


 最初に口から出たほうを、宗太(そうた)は自分で軽く言い直した。いつもの軽口のテンションのまま、本題のほうを置きにくる。


「ない」

 俺は即答した。

 いつもの「ない」なら、もっと軽く転がるはずだった。今のは、語尾の最後で力が足りなかった。速さで中身は隠せても、声の縁までは隠しきれない。


 宗太(そうた)は俺の顔をひと呼吸ぶん見た。

 その間に、宗太(そうた)の目のなかを何かが動いた。動いたあと、宗太(そうた)はフォークを動かす手を再開して、ペペロンチーノの最後のひと巻きを口に運ぶ。


「ふーん」

「ふーん」

「ま、いいか」

「いい」

「ペペロンチーノ、うまかった」

「うまそうだな」

「お前のドリアは」

「うまい」

「だろ」


 * * *


 宗太(そうた)は、それ以上は聞かなかった。

 中学3年の冬と同じだ。あのとき宗太(そうた)は「父さんのこと」を、一度も俺の前で口にしなかった。


 今日のサイゼのテーブルでも、宗太(そうた)は同じことをやっていた。

 ふーん、と言って、宗太(そうた)は話題を別のほうへ切り替える。今度は3年のキャプテンが連休中にうっかり彼女と海まで行って、帰りの電車で寝過ごして始発まで漫喫で潰した、という人づての話だった。話はもう俺の顔色には戻ってこなかった。


 俺は宗太(そうた)の話を聞きながら、烏龍茶の最後のひと口を飲み干す。

 コップの底に残った氷が、店内のざわめきのなかで、自分にだけ聞こえる細さで鳴った。


 * * *


 会計はそれぞれ別々に済ませて、店を出た。

 駅ビルの2階のエレベーターホールの前で、宗太(そうた)はスポーツバッグの肩紐を直している。


「俺、これから自主練」

「ああ」

「お前は」

「家に帰る」

「真っ直ぐか」

「真っ直ぐ」

「夜更かしすんなよ」

「ほどほどに」

「ほどほどに、な」


 宗太(そうた)は片手をひらりと上げて、エスカレーターのほうへ歩いていく。

 グレーのパーカーの背中が、下りの段に乗って、視界のなかで少しずつ沈んでいった。降りていくあいだ、宗太(そうた)は一度もこちらを振り返らない。振り返らないのも、たぶんいつもの宗太(そうた)だった。


 俺は反対側の下りエスカレーターに乗って、駅ビルを出る。

 ロータリーの脇には、連休最終日の昼下がりらしい人の流れがゆるく広がっている。そのなかをひとりで抜けて、住宅街へ向かう道に入った。


 道沿いのケヤキの新緑が、連休のあいだに葉を増やしている。

 重なりが厚くなったぶん、歩道に落ちる影が前より濃い。四月のうちはまだ葉のあいだから地面の白さが透けていたのに、いまはその白さがケヤキの影に置き換わっている。家のなかで過ごしているあいだも、外の緑は黙って育っていたらしい。


 帰り道、宗太(そうた)の「好きな奴できた?」が、頭のなかで何度か鳴り返した。

 「いる」のひと言は、夜のベランダのいまの形にうまくはまらない。はめようとすると、夜のほうが崩れる。だから「ない」と言った。理屈はそうなんだけど、要するに、うまく言えないから、ないことにしただけだ。親友に、嘘をついた。それだけのことを、こんなに長く言い訳している自分が、われながら少し情けない。


 宗太(そうた)は何も聞かない。

 聞かないのが、いちばんありがたい時もある。


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