父の話を少しだけ
5月3日の土曜は、母の休みの朝だった。
憲法記念日でカレンダーは赤くなっていたが、休日の祝日扱いなのか平日扱いなのかは、母の連休のシフトとは無関係だった。シフトの組み方の都合で、今年の母の休みは5月3日の一日に当たっていた。一日だけの休み。連勤のあいだに挟まる、まとまった休息の単位としては、ぎりぎりの最小値だった。
俺は朝、いつもより少しだけ遅く起きた。
起きてリビングに出ると、母はもうソファに座っていた。寝間着のまま、新聞を膝に広げて、テレビは音声を絞った形でつけていた。連勤明けの休みの朝の母のリビングでの過ごし方の、典型的な形のひとつだった。
「おはよう」
「おはよう」
「ご飯、食べる?」
「うん」
「お母さんはもう食べたから、用意してあるよ」
「ありがとう」
食卓には、味噌汁と卵焼きとひじきの煮物がまだ残っていた。卵焼きは、母が連休のあいだ卵を多めに買ったぶん、二日に一度くらいの頻度で焼かれていた。今朝の卵焼きは出汁巻きのほうの形で焼かれていた。味付けは控えめ。母の出汁巻きの味は、控えめのほうに長年寄せられている。
「今日、お母さん、家にいる」
ソファの母が、テレビの音量を少しだけ上げながら言った。
「うん」
「夕方ぐらいまで」
「分かった」
「夕食は、何か作る」
「ああ」
「リクエストある?」
「ない」
「じゃあ、お母さんの食べたいやつ」
食卓越しに、母の連勤明けの休みの朝の声が流れてきた。声には、夜勤明けの朝の声に混ざる種類のかすれは、今朝はほとんどなかった。前の夜の睡眠が連勤の途中の睡眠よりは深かったのが、声の出方に出ていた。
母が家にいる夜の家のなかの音は、母のいない夜の家のなかの音とは違う。テレビの音、ソファのうえで母が新聞をめくる音、台所のほうで蛇口がひねられる音。どれもひとりだけの夜には存在しない種類の音だった。家のなかにもう一人の音があるという事実は、頭のなかではなく、皮膚のあたりにじんわり届いてくる種類の感覚だった。
* * *
午後、母は寝室で少し昼寝をした。
連勤明けの休みの一日に午後の昼寝を入れるのは、母の恒例だった。俺は午前中の続きで『黒いトランク』を読み進めた。先週から数えて読んだページの数は、すでに半分を超えていた。連休のあいだの読書のリズムは、母のシフトのリズムと噛み合わない形で、自分のなかで独立して回りはじめていた。
* * *
夕食は、母が作った筑前煮と白米、それから味噌汁だった。
筑前煮は鶏肉とごぼうとにんじんとこんにゃくの組み合わせで、母が休みの日に作る定番のもののひとつだった。連勤のあいだの作り置きとは違って、休みの日に作る筑前煮は、出来立ての温度のまま食卓に並んだ。出来立ての筑前煮の湯気は、リビングの空気のなかに、連勤明けの母の休みの匂いを作っていた。
「いただきます」
「いただきます」
ふたり分の食卓は、連休の夜のひとり分の食卓と比べて、食べ終わるまでの時間が長かった。長いぶんの時間のなかに、母とのあいだの、特に重要ではない会話が少しだけ入った。テレビのニュースの話、明日のシフトの話、近所の桜の散ったあとの話。どれも家のなかの夜のテーマの中心ではない、外側の話だった。中心のほうの話は、ふたりとも、お互いに触れない。それが、母と息子のふたりだけの食卓のあいだに長年積み重なってきた、ひとつの黙約だった。
* * *
21時すぎ、俺はベランダに出た。
空は今夜は雲が薄く、月の輪郭はくっきりと見えていた。欠けは半分よりさらに進んで、四分の一の手前くらいの形になっていた。風はやわらかく、夜の温度は5月の連休の夜らしい春の安定した温度だった。
仕切り板の向こうの灯りは、点いていた。
俺は手すりに肘をつき、ラベンダーの鉢にも視線を落とした。葉先は今夜も夜のあいだに下を向いて垂れている。明日の朝には戻る。葉のリズムを、俺は三日かけて自分の生活のなかに登録し終えていた。
カーテンが動き、彼女が出てきた。今夜は手にマグカップは持っていなかった。両手は手すりのうえに、自然な形で揃えて置かれた。
「こんばんは」
「こんばんは」
短い挨拶のあと、彼女は手すりに肘をついた。
「お母さん、今日は休みでしたか」
「うん」
「ご家族での夕食」
「久しぶり」
「ふたりだけの食卓」
「ふたりだけ」
彼女のその短いやり取りのなかに、昨夜の話の続きの、家庭の構成の話のうしろの空気が、薄く残っていた。母とふたりだけの食卓、という言い方は、彼女の家でも湊の家でも、夜のあいだ繰り返される基本の食卓の形だった。
「明日からは、また」
「夜勤」
「シフト、戻ります」
「うん」
「お母さんが、家にいる夜は」
「今夜だけ」
「そうですか」
彼女のその「そうですか」のなかには、湊の家の夜の灯りの形への自然な理解が混ざっていた。明日からはまた「ひとりで点ける灯り」に戻るという事実を、相手の家庭の事実として受け取った響きだった。仕切り板の向こうから届くその受け取り方は押しつけがましくない種類のもので、夜のベランダの空気のなかに静かに溶けた。
* * *
夕食のあいだ、母と交わした外側の話のうしろで、俺の頭のなかには昨夜のベランダの彼女の沈黙の形が、ときどき思い出されていた。彼女は「お父さんは」と短く聞いて、俺の沈黙を待ってから、自分のほうから言葉を引いた。引き方の慎重さは、踏み込んでよい量を、俺の側に委ねるための慎重さだった。委ねられた側として、俺は今夜、自分のほうから一段だけ進んだ言葉を仕切り板の向こうに置こうと考えていた。夕食のあいだの食卓の沈黙のなかで、その決意は半分くらいまで進んでいた。半分くらいの決め、というのは、ベランダに出るまでの段階としては、いつもの俺の決め方の半分よりは強い側にあった。
「月島さん」
俺はそれだけを口に出した。
「はい」
「昨日の、続き、いいかな」
「昨日の」
「うちの、父の話」
仕切り板の向こうで、彼女は短く息を吸った。吸ったあと、すぐには返事をしなかった。返事の代わりに、手すりのうえの右手の指先をわずかに内側に折り曲げた。折り曲げの動きは、聞く側の準備の時間を作る、彼女の身体の動きだった。
「はい」
彼女が静かに返した。
俺は手すりのうえで左手を一度握り直した。握り直したあと、ゆっくりと言葉を置きはじめた。
「父は」
「……はい」
「中学2年の冬に、病気で」
「……」
「亡くなった」
短い言葉を、三度に分けて仕切り板の向こうに置いた。
置き終えたあと、俺は自分の声の輪郭を夜の空気のなかに確認した。声の輪郭は、思っていたよりは硬くなかった。前夜、彼女に「父はうちにはいない」とだけ言ったときの、止めるか止めないかの境目の硬さ。今夜は、その境目を一段だけ越えた声が、自分の口から出た。越えた声の硬さは、境目の手前の硬さよりも、なぜか少し柔らかかった。
「そう、ですか」
「うん」
「……そうだったんですね」
「うん」
彼女はそれ以上は聞かなかった。
病名や入院の長さ、最後の日の家のなかの空気や葬儀のあとの母の様子を、彼女は何ひとつ尋ねなかった。尋ねないという選択は、踏み込まないというよりも、踏み込みの量を湊の側の用意した量に合わせるという見極めのほうだった。今夜の湊が用意した量は、三度に分けた短い言葉の量だった。彼女はその量に合わせて受け取った。
* * *
そのまま、しばらくふたりとも黙っていた。
夜風が手すりのうえを通っていった。雲は今夜は薄く、月の四分の一手前の欠けは、夜風のなかで一定の輝きを保っていた。仕切り板の向こうの彼女の指先は、手すりのうえで少しだけ位置を変えた。位置を変えたが、こちら側に近づきはしなかった。今夜の彼女の指先は、近づくよりも、自分の側のいちばん落ち着く位置に置かれて、静かに止まっていた。
長い沈黙だった。
沈黙の長さは、これまでの夜のベランダの会話のなかで、いちばん長い長さだった。会話のあいだに沈黙が入るのは、これまでも何度かあった。けれど今夜の沈黙は、ほかの沈黙とは少しだけ性質が違っていた。これまでの沈黙は、次の話題に移る前の、空気の入れ替えのための沈黙だった。今夜の沈黙は、置かれた話の重さをふたりがそれぞれの側でゆっくり受け止めるための沈黙だった。
彼女は急かさなかった。
俺のほうも急がなかった。
空の月の欠けの輪郭が、夜風のなかで一定のままであり続けるのと同じように、ふたりの沈黙も、ベランダのうえで一定のままだった。沈黙が一定であり続けるというのは、沈黙の質が安定しているということだった。重い話題のあとの沈黙が安定するためには、聞き手の側の受け止めの座りが安定している必要がある。彼女の指先が手すりのうえで動かないのは、彼女の側の座りが今夜は安定している証拠だった。
* * *
しばらくして、俺は短く口を開いた。
「ありがとう」
声は、ベランダの空気のなかに、いつもよりわずかに低い高さで置かれた。
「……いえ」
「聞いてくれて」
「ううん」
「うん」
彼女の「いえ」と「ううん」は、感謝の言葉に対する短い返しだった。返しのなかには、感謝されることへの戸惑いと、感謝の意味を自分の側で受け取り直す作業の時間が、両方含まれていた。
「相川くんが、話してくれたこと」
彼女が静かに言った。
「うん」
「わたし、ちゃんと、しまっておきます」
「しまっておく?」
「はい」
「どこに」
「胸のなかの、奥のほう」
「……」
「誰にも、話しません」
胸のなかの奥のほう、と彼女は言った。俺の話を自分のどこにしまうか、それを彼女なりに伝えてくれたのだと思う。少し子供っぽい言い方だけれど、17歳の彼女の言葉として、夜のベランダにちょうど合っていた。場所としての具体はない。それでも、しまっておくという意志だけは、はっきり伝わってきた。
「ありがとう」
俺はもう一度言った。
「お父さんの、お名前」
彼女が短く聞いた。
「……」
「もし、よかったら」
「亮一」
「亮一さん」
「うん」
「綺麗なお名前」
父の名前を、夜のベランダで仕切り板の向こうに置いたのは、たぶん人生で初めてのことだった。
置いたあと、自分の声の輪郭を、もう一度確認した。今度の声の輪郭は、最初の三度の言葉のときの硬さよりも、さらに少しだけ柔らかかった。柔らかさのなかには、彼女が「綺麗なお名前」と短く返してくれたことの、温度の影響が含まれていた。
* * *
「じゃあ、そろそろ」
「うん」
「明日も、出ますか」
「出る」
「わたしも、出ます」
「じゃあ、また」
「また」
短い挨拶のあと、ふたりはそれぞれの部屋に戻った。
カーテンが閉まり、灯りはどちらも点いたまま残された。
* * *
自室に戻って、机の前に座った。
机の上には、相変わらず飴のフィルムの三角形と、『黒いトランク』。窓の向こうのベランダには、ラベンダーの鉢。机のうえと床のうえと、家のなかの「物の地図」は、いつもの位置のままだった。位置のままだが、今夜の自分の身体のなかには、いつもとは少し違う温度が入っていた。
ベッドに入って、電気を消した。
天井の暗さのなかで、今夜のベランダの自分の声を、もう一度頭のなかに置いた。父は、中学2年の冬に病気で亡くなった。三度に分けた短い言葉。彼女は何も聞かずに、それを胸のなかの奥のほうにしまうと言った。しまうと言われて、しまわれることを、俺の側でも素直に受け取れた。受け取れた、という事実が、今夜の自分の身体のなかの違う温度の正体だった。
父を亡くしたことを、これまで俺は誰にも、あっさり話せたことはなかった。
中学のころ、ホームルームでクラスの誰かに聞かれたときには、答える前に喉が一度、固くなった。高校に上がってからも、新しいクラスメイトに家のことを聞かれると、ほかの話題にゆっくり逸らすのが俺の身体の癖になっていた。あっさり話せる夜は、俺のなかには長く存在していなかった。長く存在していなかったぶん、今夜のベランダでそれがあっさり話せたという事実は、自分のなかの「長く」の単位を短い側に書き換えた。
書き換えたのは、誰のせいだろう。
仕切り板の向こうにいる相手のせいだ、というところまで、俺の側の説明はきちんと辿り着いた。辿り着いた説明を、天井の暗さのなかでもう一度確かめる。仕切り板越しに父の名前を渡したことのある相手は、世界のなかで彼女ひとりだけだった。世界のなかで彼女ひとりだけ、という単位は俺の17歳の今までの単位のなかで、いちばん小さくていちばん大きい単位だった。
特別、という言葉を自分の側で使うのは、たぶん中学のとき以来だった。
父が亡くなったあと、母と俺の家のなかでは、特別な日というものが、長いあいだ機能していなかった。誕生日も年末も卒業式も、母も俺も、特別な感情を表に出す体力は持っていなかった。特別という言葉は、俺の語彙のなかで長く休眠していた。
その語彙を今夜、仕切り板の向こうの彼女に対して、頭のなかで取り出している。取り出しに失敗していないことの確認を、天井の暗さのなかでもう一度した。失敗していなかった。
父を亡くしたことを、あっさり話せる夜は、これまでなかった。
だから彼女は、特別だった。




