母は看護師で
母が夜勤から帰ってきたのは、5月1日の朝の8時前だった。
玄関の鍵が回る音で俺は目が覚めた。連休三日目の朝なので普段なら起きる時刻ではないが、母の帰宅の音は連休の朝でも俺の眠りの境界線をまたいで聞こえる。眠ったまま聞いていてもよかったが、今朝は起きることに決めた。前の夜にラベンダーの苗を譲ってもらってから、朝の最初の確認を彼女から教わった通りに済ませたかった。
パーカーを羽織って自室を出ると、玄関では母がスニーカーを脱いでいるところだった。看護師の通勤用の白いスニーカーは、夜勤明けの朝にはいつも踵の側がわずかに沈み込んでいる。一晩の立ち仕事の重さがスニーカーの底に滲んで、朝の玄関のフローリングに重さの跡を少しだけ残す。
「おかえり」
「ただいま」
母の声は、夜勤明けの朝の声らしく少しかすれていた。
「ご飯は」
「向こうで食べた」
「うん」
「あなたは」
「これから」
「冷蔵庫に、昨日のひじき残ってる」
「あった」
「あれと味噌汁でいい?」
「うん」
母は荷物をリビングのソファに置いて、洗面所のほうに向かった。夜勤明けはまずシャワーを浴びる、というのが母の長年のルーチンだった。病院の匂いを家のなかに持ち込まないため、というのが理由として一番表に立っているが、母自身がシャワーを浴びてから一度自分の身体をリセットしないと、夜勤明けの神経は休めないらしい。
俺は台所に立って、味噌汁を温め直した。
昨日の夕方の残りの味噌汁は、一晩冷蔵庫で寝かされたぶん、味のかどが少し丸くなっていた。母の作る味噌汁は、煮干しの出汁とわかめと豆腐の組み合わせが基本だった。連休のあいだも、変わらずこの組み合わせで作り置きされている。
ご飯はタイマーで朝7時に炊けるよう前夜に仕込んでおいた。連休のあいだも家のリズムは普通の平日と同じくらいの時刻で動かす、というのが母の方針だった。リズムを崩すと夜勤と日勤の切り替えに身体が対応しきれなくなる、と母は何度か俺に言ったことがあった。
味噌汁を椀に注ぎ、ひじきの煮物を小皿に移し、ご飯をよそう。食卓に並べる動作のあいだ、俺は窓の外のベランダに目をやった。床のラベンダーの鉢は、置いた位置から動いていなかった。動くわけはないのだが、置いた翌朝の最初の確認は、置いた本人としては必要な手順だった。葉の色は昨夜と変わらず、銀色を含んだ薄い緑だった。
母がシャワーから戻ってきた。
寝間着のスウェットに着替えて、髪をタオルで軽く拭いている。
「いただきます」
母は食卓には座らずに、立ったままタオルで髪を拭き続けていた。
「ベランダ、何か増えてた?」
タオルの動きを止めずに、母が聞いた。
「うん」
「いつ」
「昨日の夜」
「誰から」
「隣の人」
母は髪を拭く手を一瞬だけ止めた。止めて、それからまた動かした。
「隣の、月島さんの娘さん?」
「うん」
母は引っ越してきたとき、隣家の挨拶のときに月島美恵さんと一度顔を合わせていた。あかりは挨拶の場には居合わせなかったらしいが、母は隣の家にも娘がひとりいるという情報は受け取っていた。
「ハーブの苗。ラベンダー」
「育てるの?」
「育てる」
「水やり、忘れないようにね」
「うん」
母はそれ以上は聞かなかった。
夜勤明けの朝の母の、聞かないほうの線引きが、今朝も平常運転だった。詮索しないというより、夜勤明けで余分な質問のための体力が残っていない、というほうが近いかもしれなかった。どちらでもよかった。今朝の俺にとって、聞かれない朝はありがたい朝だった。
* * *
昼前になって、母は寝室で寝た。
夜勤明けの母は、朝食のあと午前中のうちに5時間ほど寝る。寝室のドアは閉まる前に少しだけ開けて、空気の入れ替えのために細い隙間を残す癖が母にはあった。寝室の隙間からの呼吸の音は、リビングからかすかに聞こえることがある。今朝はカーテンを通してくる連休三日目の春の光のなかで、母の寝息は静かだった。
俺はベランダに出て、ラベンダーの苗の様子を確認した。
土の表面は、昨夜よりもわずかに色が濃かった。指の腹で触れてみると、まだ湿り気があった。水やりの必要はない。彼女の説明では、土の表面が乾いてからたっぷり、ということだった。乾いてから、の判断の基準を俺は今朝の最初の確認のなかで自分の指の感覚として登録した。
午後、母は2時過ぎに起きた。
起きて、台所で水を一杯飲んでから、リビングのソファに座って新聞を広げていた。新聞は朝のうちに俺がポストから取り入れて、ソファの肘掛けに置いておいた。母が読む順序は決まっている。最初に社会面、次に医療欄と生活面、最後に一面、という順序だった。一面を最後に読むのは、見出しの強さに引きずられたくないから、と母は前に説明していた。
「明日も夜勤」
新聞をめくりながら、母が言った。
「うん」
「明後日は休み」
「うん」
「お母さん、明後日の昼は寝てる」
「了解」
「夕方になったら起こして」
「わかった」
連休のあいだの母の勤務は、遅番と早番と夜勤が交互に組み合わさっていた。連休だからといって看護師の現場が休むわけではない。むしろ連休のときには救急の人手が薄くなる分、ベテラン看護師の出番は増える。母は今年で看護師20年目になる。夜勤のシフトは新人より多めに引き受ける側に立つことが、ここ数年は習慣になっていた。
* * *
母は夕方の17時前に家を出た。
今夜は遅番ではなく夜勤の入りだった。出勤前の母は、玄関で靴を履きながら俺に背中越しに声をかけた。
「冷蔵庫の、肉じゃが、温めて食べて」
「うん」
「お味噌汁は、昨日のがまだ残ってる」
「了解」
「戸締まり、お願い」
「いってらっしゃい」
「いってきます」
玄関の扉が閉まり、母の足音がエレベーターのほうへ遠ざかっていった。マンションの廊下のコンクリートの床は、母の白いスニーカーの底のゴムの音をはっきり拾う。エレベーターの扉が開いて閉じる音までが、俺の部屋の玄関の前では聞こえる距離だった。母の足音と扉の音が消えると、家のなかの空気が一気に静かになった。
母のいない夜の家の静かさには、もう慣れていた。中学2年の冬以降、母が夜勤のときの家の静かさは、俺にとっての夜の標準だった。
夕食はひとりで済ませた。
肉じゃがと味噌汁とごはん。ひとり分の食卓は、二人分の食卓より食べ終わるのが早い。早く食べ終わったぶんの時間は、机の前の本に戻る時間に充てる。連休三日目の夜は『黒いトランク』の続きをさらに進める予定だった。
* * *
21時すぎ、俺はベランダに出た。
空はうっすらと雲が広がっていた。月の姿は雲の向こうで滲んだ円のように見えていて、はっきりした輪郭は今夜は隠されていた。風はやわらかく、夜の温度は昨日より半度ほど低かった。
仕切り板の向こうの灯りは、点いていた。手すりに肘をついて、ラベンダーの鉢のほうにも一度視線を落とす。鉢のなかの土は、夕方からほとんど色を変えていなかった。葉先は夜のほうに向かって少しだけ垂れていた。
カーテンが動き、彼女が出てきた。
「こんばんは」
「こんばんは」
短い挨拶のあと、彼女は手すりに肘をついた。今夜の彼女は、片手に小ぶりのマグカップを持っていた。湯気が短く立ちのぼって、すぐに春の夜風のなかに散った。
「ラベンダー、どうですか」
「変わりない」
「葉、垂れてませんでしたか」
「少し」
「夜は、ちょっとそうなる種類なので」
「そうなのか」
「はい。朝になると戻ります」
「わかった」
彼女の説明はいつも順序立っていた。今夜のラベンダーの夜の葉の様子の変化も、彼女の朝と夜の観察の蓄積から出てきた説明だった。
「お母さん、今夜は」
彼女が静かに聞いた。
「夜勤」
「お仕事」
「看護師なんだ」
「総合病院」
「夜勤、多いんですか」
「週に三回か四回」
「大変なお仕事ですね」
「慣れてる」
看護師という言葉を口に出すと、母の白いスニーカーの底の沈み込みが俺の頭のなかで再生される。沈み込みは、母の夜勤の重さの可視化された痕跡だった。母の仕事は俺にとって、靴底の沈み込みの単位で計られている。
「うちの母も、家にいないこと多くて」
彼女が静かに続けた。
「翻訳の仕事」
「そう」
「在宅、と言っても、締切前は寝ない日があって」
「ああ」
「夜中、二時三時まで起きてること、あります」
「うん」
「家のなかの音は、わたしと母の音だけ」
「同じだ」
「同じ、ですか」
「うん。家のなかの音、母と俺の二人分」
彼女は手すりの上のマグカップを少し持ち直した。彼女のベランダから、湯気と一緒に細い香りが流れてきた。夜のカモミールの匂いだった。彼女が夜に淹れる種類のハーブティーの一つで、何度か仕切り板越しに匂いの輪郭を覚えていた。
「父は」
彼女が言いかけて、続けた。
「単身赴任で、ほとんど家にいなくて」
「そうなのか」
「年に、何回かしか」
「そうか」
「だから、家のなかは、ずっと母とふたり」
「うちと、似てるな」
俺はそう返した。
返したあとで、自分の言葉のなかに「うちと」の二文字が含まれていたことを自分のなかで確認した。「うちと似ている」という言い方は、二つの家族の構成の類似を、対称な形で並べる言い方だった。彼女のほうも、その言い方を受け取って、すぐには返事をしなかった。
「お母さんと、二人で、回してるんですね」
「そういうことになる」
「うちも、母と二人で回しています」
「同じだ」
「同じです」
彼女の「同じです」の声には、共通点を見つけたときの小さな安堵のようなものが混ざっていた。共通点を見つけるのは、夜の会話の中盤の、二人のあいだで一番起きやすいことの一つだった。今夜のその一つは、家庭の構成という、軽くは言いにくい類のものだった。
「お母さん、いつから看護師なの」
「俺が小さいころから」
「ずっと」
「ずっと」
「すごい」
「俺の物心ついたときは、もう白衣で出かけてた」
「子どものころ、寂しくなかった?」
「寂しいというより、慣れてた」
「そう」
「夜にいないことが標準だった」
言いながら、俺は手すりの上で左手の指を一度握り直した。
夜にいないことが標準、という言い方は、子供の俺が母の不在を引き受けるために、自分のなかで作っていた説明だった。説明は子供のころから少しずつ磨かれて、今の17歳の俺の言葉として、こうしてベランダの仕切り板の向こう側に届けられる形になっていた。
「相川くんのお母さんの、お名前」
「詩織」
「詩織さん」
「うん」
「綺麗なお名前」
「俺は呼ぶときは母さんって呼ぶけど」
「そうですよね」
「名前で呼ぶのは、たぶん人生で数えるほどしかない」
「分かります」
「分かるか」
「はい。うちの母も、わたしは美恵さんなんて呼びませんから」
「美恵さん、っていうのか」
「はい」
二人の母の名前がベランダのうえで並んだ。
詩織と美恵。仕切り板の左右にある二つの家のなかで、それぞれの母が娘と息子と二人で家を回している。回し方の細部は違うが、家のなかの音が二人分しかないという点で、二つの家は同じ構造を持っていた。
* * *
「お父さんは」
彼女が短く聞いた。
俺は答えなかった。
答えなかったというより、答えを口のなかで一度準備して、出すかどうかを止めた、という方が正確だった。父の話を、夜のベランダで彼女に対して始めるかどうか。始めれば、これまで言ったことのない種類の話を、俺は一度言葉にすることになる。一度言葉にした話は、言葉にする前の状態には戻らない。
彼女は、俺の沈黙を待った。待ったあと、彼女のほうから少し言葉を引いた。
「ごめんなさい」
「いや」
「踏み込みすぎました」
「そんなことはない」
「そう?」
「ちょっと考えてた」
「うん」
考えていた、というのは半分は本当で、半分は言い訳だった。父の話は考えた末に話さないという選択になることのほうが、これまで圧倒的に多かった。ただ今夜は、その選択の手前のところで止まっている自分がいた。止まっている自分を、彼女は急かさず、仕切り板の向こうで静かに待っていた。
「父は」
俺はそれだけを口に出した。
「うちにはいない」
「……はい」
「ずっと前から」
「そうですか」
「うん」
言ったあと、自分の言葉の輪郭を、俺は手すりのうえで確認した。
短い文を三つ。「父は」「うちにはいない」「ずっと前から」。それ以上の中身は、今夜は言わなかった。具体まで踏み込むと、俺の側の説明の負担と、彼女の側の受け止めの負担の両方が、今夜の量を超えてしまう気がした。三つの短い文だけが、仕切り板の向こうに置かれた。
彼女は、すぐには返事をしなかった。返事の代わりに、マグカップを手すりのうえに置いた。置いた音は、今夜のベランダのほかのどんな音よりも丁寧だった。
「そう、だったんですね」
「うん」
「……ごめんなさい」
「謝らなくていい」
「はい」
彼女はそれ以上は聞かなかった。
病名や亡くなった経緯について、彼女は何ひとつ尋ねなかった。葬儀のあとの家のなかの空気について、何ひとつ尋ねなかった。尋ねないという選択は、踏み込まないというより、踏み込むタイミングは今夜ではないという、慎重な見極めのほうだった。彼女のその見極めは、仕切り板越しに、俺の側に静かに伝わってきた。
しばらくふたりとも黙っていた。
夜風が手すりのうえを通っていった。雲は今夜は薄く、月の輪郭は依然として滲んだままだった。俺はマグカップの隣に置かれた彼女の指の影を、視線の端でなんとなく追っていた。指は動かなかった。動かないことが、今夜の彼女の受け止め方の表現だった。
「明日も、ベランダ、出ますか」
「出る」
「はい」
「月島さんは」
「出ます」
「じゃあ、また」
「また」
短い挨拶のあと、ふたりはそれぞれの部屋に戻った。
カーテンが閉まり、灯りはどちらも点いたまま残された。
* * *
自室に戻って、机の前に座った。
窓の向こうのベランダには、ラベンダーの鉢が今夜も置かれている。鉢の葉は夜のあいだ垂れて、明日の朝には戻る、と彼女は言っていた。葉の上下の動きは、苗の昼夜のリズムだった。家のなかの音が母と俺の二人分しかないというリズムと、ラベンダーの葉のリズムとは、別の種類のリズムだったが、どちらも俺の生活のなかに今は同居していた。
ベッドに入って電気を消した。
天井の暗さのなかで、今夜の自分の言葉を一度だけ並べ直した。父はうちにはいない。ずっと前から。短い文を仕切り板の向こうに置いた。彼女は何も尋ねずにそれを受け取ってくれた。受け取ってくれたという感触は、これまで誰かに同じ話をしたときの感触とは少し違っていた。
父の話を、したのはいつぶりだろう。
彼女は何も言わずに、それを受け取ってくれた。




