8-₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎ (後)
のどかなエリアに入りしばらく進んだ、プリンのかたちの家の前でコ・ドライバーの誘導は終了した。ぴゅう。
車を停めると、やっぱり絢吏の家の周りはフェンスで囲われている。とはいえ、以前とあまり変わっているようすもない。ようするに、うさみちゃん市のどの工事現場でもそうだが、誰もいない。
「家んなか入れんのかな?」
進入禁止と掲示されているわけではないので絢吏を先頭に三人とウィルはフェンスの内部に入り――フェンスは雑に設置されていて、フェンスとフェンスのあいだに隙間が空いていた――ラーメンどんぶりが載ったプリン型住宅の玄関へ回る。玄関ドアの脇に手を伸ばす。わちゃ、と音がしてロックが開き、絢吏は驚いたような顔をして灯都を振り返った。
家の内部もまったく変わっていない、と絢吏は言う。「ここ住み続けてもいいってことなのかな」。
「どうなんだろ。おじゃましまーす」
玄関で靴を脱ぎ、ウィルには回収の時に使う室内型ルームシューズを履かせて、一緒に家のなかに入る。凛斗もそのあとに続いて入ってきた。
絢吏が家に帰ることができなくなった時期がはっきりわからないけど、家のなかはふつうだった。生活が営まれていた形跡。ただし、生活を送っていた時間がすこしだけ離れているような印象も部屋のなかに満ちている。人間の生活のなかにある普遍的熱量が、この家のなかからすこしずつ漏れ出したか、時間の経過によって薄められていったような他人行儀な空気が満ちている。
「でもフェンスで囲われてたでしょう。遅かれ早かれこの家は潰されて、更地になるんだよきっと」
まわりの家だってそうだし。凛斗は指で周囲に建つ家を指すようにして言う。この家のまわりもフェンスで囲われていて、家のかたちはまだ残っているけど誰かが住んでいる気配はすでにない。もうすこし離れた場所にある家々には重機が横付けされて、家のはんぶんがごりごりに削られていた。
「そうなのかな。……絢吏さん、この家壊していいって同意というか、サインしたの?」
「まさか。するわけないじゃん。むしろ逆。この近所の人たちと『壊さないで』って嘆願してたんだから」
絢吏の家がフェンスで囲われていたのに初めて気づいた瑚織に呼ばれて出掛けた日のことを、灯都は思い出した。あのとき瑚織は、うさみちゃん市保存開発組合について絢吏が話していたと言っていた。けれどさっき、うさみちゃんロボットの棺とそれらを供養するための作業に従事している者たちが閉じ込められた場所で絢吏に会ったとき、なにも知らないと言っていた。
とりとめのない思考が巡る脳の、どこから絢吏に切り出したらいちばんすっきりと相手に〝聞きたいこと〟が伝わるのか何度も考えながら灯都は言葉を探るように聞く。「もしかしてそれって……うさみちゃん市保存開発組合と関係ある?」。
「そう! 思い出した。『うさみちゃん市保存開発組合』。その関係の人が話をとりまとめてくれててさあ」
二人の会話を脇で聞きながら絢吏の家に並ぶ香りのサンプルを端から眺めていた凛斗が振り向く。「おお。それ俺じゃん」。
「……は? 凛斗が話をとりまとめてたの」
「いや違くて。さっきも言ったけど、うさみちゃん市を離れて新しい土地に行こうって考えててさ。そんで、いまあるうさみちゃんシティを内側から壊して、新しい土地に新しいうさみちゃん市をつくんの。それがうさみちゃん市保存開発組合。なんか微妙にダサい名前って逆にリアルにありそうでしょ」
「じゃあ、絢吏さんの家とか、このへんの住人の話をとりまとめてたのは誰? 凛斗の知ってる人?」
「それは知らない。てか、一方的に追い出されて勝手に壊される家があるとか、住人がいるとか、知らなかったもん。いま初めて聞いたし」
ひどい話だわあ、演技がかった声でそう続けた凛斗は溜息をつく。ウィルもそのとなりで大袈裟な溜息のまねをする。
「凛斗が絡むと話が全部ややこしくなるのな。ウィル、どう思う? いまの話」
凛斗のまねをしたポーズのまま、ウィルはすこし考える。「うさみちゃん市保存開発組合はブレインレイン社に逆手に取られたと考えることができます。組織が暗躍するのを阻止するためブレインレイン社がうさみちゃん市保存開発組合を名乗り、住人たちの話をとりまとめたように工作した可能性があります」。
そのとき、玄関のほうから声がした。「ねえ誰かいる?」。突然のことで灯都たちはひどく驚き、狼狽える。「おーい」。灯都たちは警戒した。
「ねーえ。絢吏いる?」。もう一度声がする。灯都は絢吏へ視線を移すと、よくわからない、みたいな顔を返された。
「おっ。なんだいるじゃん。おじゃましまーす。てか灯都もいる」
玄関から上がりこんだ誰かが灯都たちのいる部屋を覗き込んで言った。絢吏は顔を明るくさせて声をあげる。「瑚織、おー久しぶり」。部屋のなかに入ってきた瑚織は凛斗の存在に気づき、なじみのない顔を視線だけで窺う。
「瑚織さん。凛斗だよ」
「えっ! ああ、え。一瞬誰かわかんなかった。わー。ひさしぶりー。……え、ほんとに凛斗くん?」
「瑚織くん久しぶり」
そこで瑚織はやっと納得したように凛斗と再会の握手を交わす。「あ、まじで凛斗くんだった。声が」。
突然いなくなった(ように見えた)絢吏との再会と、しばらくぶりの凛斗との再会をひとしきり喜びあった瑚織は、リヴィングのソファに腰掛ける。それに続くように灯都たちもソファや手近な椅子に腰かける。絢吏は冷蔵庫を開き、その中に入っていたのがうさみちゃん印のお水だけだったので、ボトルを人数分取り出して全員に配った。
「瑚織さんどうして家のなかに誰かいるのわかったの? てかどうやって入ってきたの?」
うさみちゃん印のお水をボトルのはんぶん、一気に飲んで、瑚織は制服の胸のあたりを掴み、ばたばたと揺らしてからだに風を送る。
「なんでこんな暑いんだ。あああ。夏スキップできないかな」
それを聞いてウィルはすこし悲しそうな顔をする。表情の変化に気づいて、灯都は隣に立つウィルの背中を撫でながら慰める。「ウィルは夏うまれだし夏が好きだもんね。否定されると悲しいよね」。ウィルはさらに悲しい顔をする。
ロボットに正確な誕生日が存在するのかわからないが、灯都はウィルの誕生日を定めている。ウィルが完成した日、というものがいっこに絞れない――ウィルには誕生日たる要件がいくつも発生している。ウィルの肉体ができあがった日。ウィルの脳ができあがった日。ウィルにはじめて通電した日。ウィルがはじめて〈Vir〉として動き始めた日。などがある――ので、灯都はその周辺の天体を調べ、蟹座の新月の日をウィルの誕生日に決めた。その日は金星が魚座にあって、夕方にはひときわ明るく輝いていた。
「ウィル、そういう意味じゃないんだよ。ごめんごめん。……てか、玄関のドアが開きっぱなしになってたからさ、気になって覗いたんだよね。ちょうどここ通ったタイミングでよかったわ」
「えっ。凛斗閉めなかったんだ?」
「だって閉じ込められたらいやじゃん。アナログなロックじゃないもん、玄関ドアが。開かないようにだってできるんだよ、たとえばブレインレインによって」
その話を聞いて絢吏はあわてて玄関へ繋がる廊下のほうへ駆けていき、ドアが開いたままであることを確認してほっとした表情を浮かべる。「やっと家に戻って来れたのに、またおんなじようなことがあったらしんどいもんね……」。
絢吏が体験したブレインレインの錯覚。家までの道のりがいつのまにか変化して、いくら進んでもブレインレイン社へと繋がってしまう怪。瑚織はそれを知らないので不思議そうな顔をしている。これまでのことをウィルに要約してもらい、瑚織へ伝えた。ウィルが話しているあいだ、絢吏は念のために玄関ドアとポーチの床とのあいだに、絢吏の家のまわりにころがるガラスや石を押し込み、ドアが動かないように固定した。
「とりあえず、ここに住み続けるのはあんまりよくないかもしれないと思うんだよね。だってさ、……ウィル、うさみちゃんシティから見て絢吏くんは現在、どこにいることになってるの?」
凛斗がそう聞くと、ウィルはすこし考えて答える。「ブレインレイン社で働いていますよ。でも現在は正しい位置にいるかどうか不明です」。答えを聞いた凛斗は大袈裟なくらい顔をしかめて、「ほら」と言った。
「ブレインレインが想定してる位置に絢吏くんがいなくてズレが生じてる状態を解消するのに、ブレインレイン側で絢吏くん側からの信号を探してる。だってブレインレインはあの場所から脱けられることを想定してないからね。実際は簡単に出られたわけだけど」
「どこにいる、って情報もブレインレインで操作されてるというか……自由に動いてるようで、そうじゃないってこと? 決定されてる未来を歩んでるみたいな」
「そこまでじゃないけど、それに近いのかも。知らんけど」
得体の知れない〈情報〉に飲まれていく・飲まれている、という実感に恐ろしくなりながら、灯都は絢吏に言う。「どの情報もすぐにひっくり返りそうで不安じゃん。いつ壊されるかわかんないし。それに、いまは一人になんないほうがいいよ。必要なものだけこっから持ち出して、べつのとこに移ったほうが安全かもしれない」。
それを受けて凛斗は何度か頷き、頬のあたりを緊張させた表情を絢吏へ向け、落ち着いたトーンでゆっくりと話す。
「そう、いまは……というか、昔から……ブレインレインに〈自分〉の生活をぜんぶ預けてしまうのは危険かもしれないってこと」
絢吏は慌てて立ち上がり、リビングから繋がる隣の部屋へ移ってごそごそと荷造りを始めた。ソファに座って待っているあいだ、座面とお尻のあいだにじりじりした緊張の痒さみたいなものを感じながら灯都は荷造りが終わるまでてきとうなおしゃべりをして待つ。
「ねねね。運ぶの手伝ってくれない?」
隣の部屋から顔を出した絢吏が言うので、灯都たちは立ち上がって移動する。「このベッドと、こっちのキャビネットぜんぶ。造作家具じゃないから運べると思うんだ。あとこっちの作業テーブル。あとソファでしょ。あと冷蔵庫とか洗濯機とかフードプリンターとか。エアコンどうしよ。買ったばっかなんだよなあ」。
「いやいやいや。俺の車に入るぶんって考えてたんだけど……これじゃ引っ越しレベルじゃん。無理だよ。トラックがないと。それにフロンガスの有資格者がいない」
「でもぜんぶ必要なんだもん」
途方に暮れて荷物を運び出す作業は頓挫した。「重いものならまかせて。いっぱい運べるよ」。エア力こぶをつくる仕草をしてウィルは頼もしいことを言う。「ありがとウィル。じゃあ、必要になったらお願いするね」。そう言って灯都がウィルのおでこを撫でる。しあわせの香りがウィルからたちのぼり、途方に暮れた気分が優しく変化する。「ウィルちゃん電気系とかガスの知識あんなら……やってもらおうかな……」。複雑な顔をして絢吏はエアコンの取り外しをウィルにまかせるかどうか本気で悩み、ぶつぶつ呟いている。その肩を灯都は背後から叩き、振り返った絢吏に首を横に振る。「ウィルは知識はあるけど、まだ技術はない」。
「えー」
わやわやと反論を続ける絢吏の背中に優しく手を添えて、凛斗は明らかなオーラを演出しながら諭すように言う。
「でかい荷物は改めて運び出そうよ。トラック手配してさ。すぐに壊されるわけじゃないし、住めないって決まったわけでもないんだから。とりあえず今日、明日の絢吏くんのこと考えなきゃ。また戻りたくないだろ」
凛斗の言葉やオーラにあてられたように、絢吏は反論をやめ、そして大人しく頷いた。それでもまだ不満が喉の奥で蟠るのか、ときどき「ううっ」と唸りか嗚咽のようなへんな声を上げながら絢吏はとりあえずの荷物を纏めた。リヴィングの窓の内側からは、まだ明るい午後のうさみちゃん市のようす、が透過して見えているのではなく、〝いまの季節のいまの時間の変遷っぽい〟環境映像が流れていることに灯都ははじめて気づいた。
暮れるのが遅い夜の前は、じめじめの空気が西の空を美しく紫色に染める。実際に見上げる空には人間の語彙だけでは表現しきれない美しさが畏れのように広がる。まだ青さが残る空のてっぺんに雲が伸びていて、その雲に沿うように赤い光が奇跡みたいに一筋だけ空を横断していた。
その頃には灯都たちは、和玖の家の隣の倉庫へと運べるものを運び終えていた。とはいえ灯都の車で運べるものには限界があり、物理的に入らないソファやベッド、立てたまま運ばなきゃいけない冷蔵庫、簡単に取り外せないエアコンなどはまだ絢吏の家に置いたままで、後日なにかしらの運ぶ方法を考えることにした。
そういうわけで、運べたのはほとんどが絢吏の仕事道具ばかりだった。それでも絢吏は満足そうに「これ失ったらまじで生きてけない」と言って荷物が載ったアングル枠




