8-₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎ (後)
「……このあいだまで、この凛斗と喋ってた」
拳を突いている先の凛斗の顔を見て灯都は思い出した。やっほー灯都、と言って通信していた凛斗は、この顔だった。いま箱か空間の中で一緒に移動している凛斗とはまるで違う、アイドルの延長として成長した凛斗。最適な筋肉量、最適な体脂肪率、最適な笑顔と最強のオーラ。〝凛斗〟という商品を自覚している者がつくる『凛斗』。
「そそ。こんくらいの時期の映像を参考に作ったんじゃなかったっけな。凛斗くん」
「ね、なんで普通にしてられんの? おまえら恐くねえの? おおお。動いてんだけど? 落ちんの?」
いつの間にか顔が真っ白になっている絢吏が弱々しい声で訴える。下降や揺れが続くこの箱か空間の予期できない次の一秒と、自分の肉体がこの先どうなってしまうのかわからない恐怖によるものか、もしくは揺れによる酔いによるものか、それともその両方かわからないが、絢吏は唇の色まで失って、壁に映るダンスする凛斗に寄り掛かっている。タイミングのせいでまるで脇腹を蹴られているみたいに見える。
「だいじょうぶだよ絢吏さん。……だいじょうぶ、だよね?」
言ってはみたものの不安になった灯都は凛斗に尋ねる。さっきまで流れていた曲に二曲目がカットインして、そのリズムに合わせて手だけ振りを合わせていた凛斗はしばらく考え、ウィルに質問をパスする。「だいじょうぶだよね?」。ウィルは質問に答えない。
箱か空間はまた揺れて、下降を続ける。尻からすべての生命エネルギーを抜き取られているように感じる妙な感覚と、終わらない臓器の浮遊、いままでの日常に決して存在しなかった状況の異常さと、この先〝だいじょうぶ〟が保証されていない現実が恐怖を増長させる。
むわん。静かな音が床から聞こえて、下降する感覚がすこしずつなくなった。むわん。また音がして、箱か空間は横方向に滑るように進む。
「できればここにいた人たち全員、一緒に出られたらよかったんだけど。でもそれは個人の自由だからさ。俺が強制することじゃないからさ。とはいえ、俺が引っ張ってきた人たちもいるから。一部は声掛けてあるんだけど、……」
「引っ張ってきた人たち?」
「そう」。凛斗は壁に映る映像を指さす。「全国を回ってうさみちゃんシティの住人を集めてんのは『凛斗くん』だから。ブレインレインのやり方でね。本物の大宮凛斗はうさみちゃんシティにそぐわない人間としてこうして閉じ込められてるわけだけど、とはいえ、彼らから見たら『大宮凛斗』は広告塔だもん」。
「でも、そこまで面倒見ることあるのかな」
箱か空間は下降をやめたとはいえ、横方向への移動もスピードをともなうので壁に手を突いていなければ立っているのが困難だ。
「や、単純に責任とかいうより、喋ってみたらおもろい人たちがいたから仲間になっただけで。ロボットのほうの『凛斗くん』はフェリー乗り継いで全国を回ってんだけど、そこのスタッフもうさみちゃんシティの住人なんだよね。で、彼らもブレインレインによって数値化されてて、矯正が必要と判断されると俺らみたいに閉じ込められるシステム。ツアーの途中で強制送還されんだよね。スタッフたちは基本的に大宮凛斗に対して好意的な人たちばっかだから。連れられてきた人たちには挨拶してたんだ、最初は不審がられたけど」
「たしかに違い過ぎるもんね」
灯都は映像の凛斗と、デバイス型眼鏡を装着してだいぶ肉付きの良くなった凛斗を指で交互に比べる。凛斗は高い声で、ははは! と笑った。
「そう。このあいだ連れられてきたスタッフは朝から晩まで酒ばっか飲んじゃうタイプだったからあれだったけど、たいてい、あの施設に連れて来られるのは能力ある人たちばっかなんだよね。裏を返せば、〝ふつう〟からはみ出た人たち。というか。ブレインレインの目指す〝ふつう〟……ようするに管理しやすさ、ってことだけど」
「ああー……たしかに一日じゅう酒くさい人いた」
下降が終わり、すこしだけ余裕が出たのか絢吏が壁に凭れながら会話に参加してきた。それに気づいて凛斗は絢吏のほうを向き、同意の微笑みを返す。
「だからさ、広告塔として使われてる大宮凛斗を逆手にとって、ブレインレイン社の思想を盲信する人たちをうさみちゃんシティにたくさん連れて来ようと思って。それで、うさみちゃんロボット『凛斗くん』をときどき操らせてもらってたの」
「なんのために?」
灯都が聞くと、凛斗は目を伏せて言葉を整えるように黙った。その横顔には灯都の知っている、凛斗のオーラがたっぷり漂っている。ゆっくりとまばたきをして、完璧な笑顔をつくって凛斗は答える。「ブレインレインを内側からぶっ潰したいから」。
横方向に動いている箱か空間の中に流れていた曲がキーチェンジして次の曲に繋がる。ここでは凛斗の歌以外流れることはない。しばらく言葉が消えた箱か空間の中に、凛斗の歌声だけが流れていた。それを取り囲む凛斗の映像のガチャガチャしたコラージュ。
「内側から腐るなら凛斗が直接関わったわけじゃないからね」
壁に背中を預ける灯都は、目の前の凛斗と、その背後に映っている凛斗を見ながら呟く。
「そう! そういうこと。だからブレインレインの思想に心酔してしまう気質の人とかツアーで集めてて」
「じゃあ、俺がいつも映像で話してたのはうさみちゃんロボット『凛斗くん』てこと?」
「基本的にはこっちで動かしてたけど、対面してたのはロボットのほうだね。だから救済とかなんとか言ってたんだろね。ブレインレインの脳で喋ることがあったと思うから」
以前、凛斗の言ってることがひどく理解できないことがあった。救済。『単純に同じだと思うよ灯都。俺らはまったくおんなじこと言ってんのよ』。凛斗はそう言って、救済という彼の思想について独善的に語っていた。そのときの記録をウィルが空間に投影させる。映像の凛斗くんは言う。『うさみちゃんロボットを通じて、住民たちはその個人に合った次の行動があらかじめ示される。そしたら絶対に失敗しないし傷付かないし人生を最短で良いものにできるし、その状態を維持できる。なんの無駄もなくて、高い倫理観を持った人たちが集まる、住みやすいってか、生きやすい街。すばらしいよね』。
凛斗くんの映像を見ていた凛斗は喉の奥でううーん、と唸る。「自分とおんなじ顔の人物にダメ出しすんのすごくやなんだけど、こんなこと言ってる俺ってそうとう阿呆だと思われてるよね。なんも考えないでただ目の前の大衆に迎合するだけのやつみたいじゃん。『あなたは頑張ってるよ、だからだいじょうぶだよ』って無責任に励ますのとおんなじじゃん」
「ブレインレインの思想を代弁してるだけだからね。いや、ふつうに凛斗がそう考えてると俺も思ってたけど」
空中に投影された凛斗の映像が弾けて消えるのと同時に凛斗は大きく溜息をついた。「べつにいいんだけどさ」。そして諦めのような表情を浮かべる。「ある程度ブレインレインに沿って動かしてないと、狙われちゃうから。あのうさみちゃんロボットのオーナーは俺じゃないからさ、迷惑かけらんないよね」。
横方向へ進んでいた箱か空間のスピードが緩まり、むわん、と床下から音がして、揺れとともに上昇を感じる動きに変わる。「わわ」。まだ完全に顔色の戻らない絢吏は予期しない衝動にからだをよろめかせて、壁に映った凛斗の映像にしがみつき、再び血色を失う。
「ま、こんなかんじでいろいろ、ブレインレインを潰すためにいろんな人たちを集めてたわけ。なんつっても俺自身がこっから動けなかったからね、できることなんて限られたけど。ネットでへんなミームつくってうさみちゃんシティ潰しの思想ばら撒いたり。人間は脆いもんだね。目の前の思想に人が集まってると、そこに群がってくるんだもん」
灯都に差し込まれる記憶。ぴたぴたの服の集団と、彼らが暴力をもってうさみちゃん市に乗り込んできたようす。それから、自警団とかいう集団に更なる暴力で叩かれていたこと。
「quzxに扇動されてうさみちゃんシティに反対する人たちが乗り込んできたり、ネット上で暴れてたとか聞いた。てか見た」
「やだ。灯都はわかんなかったのかあ。クズじゃん」
そう言われて灯都はむっとする。「おまえさあ。クズってひどすぎるだろ」。箱か空間が揺れる。まだ上昇は続いている。凛斗は一瞬だけ、わけがわからない、みたいな顔をしたあと笑い出す。
「違うよ、灯都が言ってる『きゅー・ゆー・ぜっと・えっくす』。クズってよむの。lint。わかる? 凛斗とlintなわけ。俺につながるじゃん。すぐに気づくだろ、ふつう」
ふつう、がなにを表すか灯都にはわからない。この場合の『ふつう』を知っているのは凛斗ひとりだけだ。〝凛斗に沿って解釈するならば〟が正しい。
しかし、そこには人間の肉体と自然を超えた超越的理解――たとえば凛斗と繋がっている情報のつぶつぶを、凛斗の脳の中で具現化したイメージを、完璧に覗き見ることのできる技術――が必要だ。ようするに、凛斗が求める『ふつう』、そして人間が気軽に周囲に求める『ふつう』とは、誰もが『ふつう』に対して抱いている簡便で安易なイメージとはあまりに乖離しすぎた、人間の肉体、能力だけでは解決できない力を指している気がする。
たしかに凛斗がquzxとして人々の――個人によってかたちがすべて違う――正義を煽り、うさみちゃんシティに集まった人間たちによって、または彼らに対立する勢力によって、街は荒れている。あらゆる悪徳が蔓延っている。そういう意味では、凛斗の思惑はうまく運んだのかもしれない。
上昇の感覚はまだ続いている。箱か空間がどんなに揺れても、どの方向へ移動する感覚が続いても、直立の姿勢を保っているウィルはウィルの脳のほとんどを別の作業に宛がわれていて――それはこの移動に関わる出力だ――背中を向けて




