7-₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎ (後)
おばさんはときどき家にやってきて、父や母とおしゃべりを楽しんだ。父か母の友人か、知り合いだと思っていたけど、凛斗がある仕事のために訪れたスタジオで会うこともあった。具体的にどの会社のどういう仕事をしている人か凛斗にはわからなかったけど、嫌われてはいけない人であることはわかった。気に入られなければならない人。そういう直感が凛斗にはあったし、同じようにレッスンを頑張る周囲の人々も、所属する事務所の人々もそういう態度で接しているように見えた。
『いらないものが多いと、人生の風通しが悪くなる』。おばさんはことある毎にそういうことを言っていた。凛斗の実家には人間が営み、時間とともに育ててきた〈家庭〉に必要なものが時間の経過とともに増えたものがそれなりにあった。それに、スクラップ工場にはありとあらゆるガラクタが積み上がっていた。それらすべてが凛斗の実家に影響する〝良い風通し〟を阻んでいることもある、おばさんはそう言った。
とはいえ、凛斗の実家にあるすべてのものには存在する理由があった。少なくとも凛斗はそう思っていた。使わずに放置されているものも、まったく必要のないものではない。モノにはそれぞれのストーリーがくっついている。そういう意味でも凛斗にはこの家にあるものすべてが『いらないもの』かどうか、いるもの・いらないもの、だけのたったふたつの分類にふるい分けることはできない気がした。
おばさんはいつものように家に訪れて、いらないもの、という概念を凛斗の実家の中にあるモノにくっつけはじめた。最初は些細な提案だった。『読んだままの朝刊がリビングテーブルに置いてあるのはだらしない、読んだらすぐに片付けるほうが家の中に良い運が流れ込む』。『リビングにごみ箱を置くと運気が下がる』。それらの提案で凛斗の実家の中はすこしずつ変化していったけど、それはあまりに些細な変化で誰もがなんの感情も持たなかった。
いつもはなんとも思わない〝モノ〟たちが、おばさんが家に訪れるたびに〝いらないもの〟に変わった。おばさんはいつも『私はおせっかいだから』ということを自嘲のような雰囲気を滲ませて言った。凛斗が在宅していないときに、おばさんはよく訪れてくるようだった。家の中に飾られていた絵画や陶芸がいっこずつ減っていった。父や母のクローゼットが片付いていった。ソファーの脇に置かれたオットマンとか、観葉植物とか、一年を通して使うことのない季節家電がすこしずつ減っていった。父も母も、おばさんの提案には従順だった。『いらないもの』を片付けることに、ある種の快感のようなものをおぼえている、といったことを話していた気がする。
父のクローゼット、母のクローゼットに眠っている、彼らの若いころに買ったセットアップとかバッグとかアクセサリー。それらをおばさんは家を訪れたときに『じゃあ、これは私が処分しとくから。こういうの処分するのもお金かかるからね』と言って、おばさんが乗ってきたハイエースに積み込み、持って行った。家の中のあらゆる場所にだんだんと隙間ができてきて、その隙間をおばさんは『余裕』と呼んだ。余裕。その言葉を凛斗には理解することができなかった。余裕、という言葉のもつイメージとかけ離れている気がしたからだった。
父も母も、その『余裕』を喜んで受け入れているように感じたし、今まで大切に仕舞っていたものを精査して『いらないもの』として決断し、捨てる、というある種の破壊行動を行う自分たちに対して、勇敢で決断力のある豪傑さを兼ね備えた優れた人間であるという自負を抱いていくように見えた。心の内側に溢れる歪んだ満足が父と母を満たしていくのがわかった。父も母も、捨てる、という行為の強い刺激がもつ中毒性に溺れた。
『余裕』が多くなるのと比例して、凛斗へのしごとのオファーが増えているようにも〈感じていた〉。だから、これらすべてに、凛斗には関連があるように感じたのだ。脳が簡便な分類をして人間自身を騙したのか、それとも真理なのか、凛斗にはいまでも解らない。
おばさんは『いらないもの』を捨てると言いながら、勝手に売りさばいて利益を得ていた。父も母もそれを知らされることはなかった。『いらないもの』はただのごみであり、価値などないとおばさんに言われていたから。それに彼らには、年代によるものなのか、新しいものへの価値信仰のようなものが根底にあった。古いものには価値などなく、新しいものだけに価値がある。それは過去数十年で育まれた消費社会の中で育った者たちに根付いてしまった、あまりに短絡的で愚かな考えかたかもしれない。
ものがだんだん無くなっていく家で、父と母はおばさんを半ば崇拝していた。おばさんを信じ切っていた。もしかしたら〈導いてくれる者〉のように感じていたのかもしれない。導いてくれる先には明るくて今よりも良い状態のイメージがくっついていて、それ以外を想像する余地は父にも母にもなかった。
この街に設置されていたソーラーパネルが耐用年数を過ぎたり、災害で壊れたりして、それらを凛斗の実家の会社が引き取って解体していた。空いた土地に移住者がやってきて、ケーキやいちごのかたちの建物がつくられはじめた。その前からいろんなところにうさみちゃん石像は建っていて、次第に街には新しくなっていった。
おばさんがブレインレイン社を紹介したのもそのころだったのか、凛斗には詳しいことはわからない。最初は取引先だったブレインレイン社が、凛斗の実家の会社の債権を買い取ったのか、もしくはブレインレイン社からの出資の申し出を受け入れたのか、共同経営の話があったのかわからない。役員の名前が変わった。ブレインレイン社経由の仕事が増えた。株式をブレインレイン社に譲る話が出た。
「そんで今では一家離散。家族は消えちゃったから。俺はブレインレインにこうして閉じ込められて、矯正させられてるわけ。反骨分子だから」
絢吏の手が止まる。顔を上げて凛斗の顔を見るタイミングで、目の前のうさみちゃんロボットがベルトコンベアーで運ばれて行った。代わりに次のうさみちゃんロボットが入った棺が運ばれてくる。うさみちゃんロボットは顔やからだにペイントが施されていて、グレンチェックのダウンジャケットに包まれている。
「え。消えたって」
「俺は子どものころからアイドルで頑張ってたんだけどさあ。そのころから、誰も素の自分を見てくれてないっていうか。つくられた大宮凛斗像と接してるっていうのかな。だから、めちゃくちゃ寂しくてさ。唯一、ふつうに接してくれんのが灯都だけだったんだよね。灯都にはほんとに感謝してる」
絢吏の独り言のような質問には敢えて答えなかったのか、言葉を遮るように凛斗は言った。目の前のうさみちゃんロボットを包むグレンチェックのダウンの内側にはラベルがくっついている。そのロゴに対して、誰もが社会的価値を感じる消費システムができあがっているけど、灯都にはそのすべてが空虚に感じられる。
「こないだ、凛斗と喋ったんだけどさ、そんときいまの凛斗と違う凛斗だったんだけど、あれって凛斗だった?」
「こないだ?」
「うん。なんか高尚な話してたじゃん。救済とか、合意形成アルゴリズム世界とか。あと痩せてた。いまより」
凛斗はばちばちとまばたきをして、スマートグラスを操作しているか、もしくは記憶を思い出すための個人的儀式を繰り返している。人間の集中にはある種の儀式めいた行動がつきものだ。「あー。あれ」。目玉を最大に上へ向けたまま、凛斗は唇の先で呟く。クロスを持った手の動きを止めずに。ここでの行動も、もしかしたら〈ポイント〉として計上されているのかもしれない。うさみちゃんシティに暮らす者としての適合ポイントとして。ブレインレイン社の思想を曇りなく信じ、すべてを受け入れて生活できる者の適格ポイントとして。
「あれはね、凛斗くんなんだわ」。打楽器がでたらめみたいなリズムを鳴らしていたところにすこしずつ別の楽器の音が加わっていって、凛斗が「凛斗くんなんだわ」と言った瞬間に分厚い合奏になって音楽になった。供養とか葬儀みたいなイメージとは真逆の音楽。世界にはいろいろな考えかたがあるものだ。音に阻まれて凛斗の声は聞こえにくくなる。「あれは俺じゃなくて、俺のかたちのうさみちゃんロボット」。音楽に合わせて踊るうさみちゃんロボットたちと、音楽に合わせてなにか歌う人間たちの声。別の場所からは経を上げる声。音木の清らかな高い響き。それらにかき消されて灯都の耳には一部の言葉しか入ってこない。
「耳なかったけど」
そう言いながら灯都はウィルの耳の先っぽを触る。それに気づいたウィルは耳をぴこぴこ揺らして指先から逃げようとする。
「うん、だって俺のかたちのうさみちゃんロボットだもん。人間の耳しかないよね。ふつうに。……で、灯都をここに呼びたかったのはそれもあるんだよね。うさみちゃんロボットが必要だったから」
「ん? だって凛斗のかたちの〝うさみちゃんロボット〟なんだよね?」
「そう。でもオーナーが違うから」
音楽がやみ、周囲が静かになったのでふたたび凛斗はまばたきで生成したテキストを共有する。凛斗はここに矯正のため閉じ込められた状態でありながら、ブレイン・マシン・インターフェースを使って外を出歩いていた。感覚として凛斗の代替を務めたのが〈凛斗くん〉であり、そのオーナーは凛斗のコアなファンなのだという。凛斗のかたちのうさみちゃんロボットをオーダーで作成――ただし権利保護のため、本人による承諾が必要。だいたいが却下される――申請し、凛斗はAIによる制御プログラムのほか、ブレイン・マシン・インターフェースによる凛斗本人の制御を可能にすることで許可した。全然知らない人だったら即却下してたけど、知らない人じゃないからね。凛斗はそういうふうに言って唇をつきだす。
「そんでこのあいだ、離島に行く機会があってさあ。いいとこだったなあ。のんびりしてて」
「へー……。じゃ、このあいだ俺と喋ってたのは?」
「ロボットAI凛斗くんのほうじゃない? だって俺、そんな救済とかアルゴリズム世界とか考えたことないもん」
凛斗はまったく考えてなかったことを、AI凛斗くんは力説していて、それを凛斗自身は知らない。凛斗が実際に訪れていないところへAI凛斗くんが訪れて、それを凛斗は体験としての実感を得ている。AI凛斗くんの成分は、凛斗の外側の人間たちが造り上げた『大宮凛斗像』だ。彼はこういうことを言うだろう、彼はこう振る舞うだろう、というイメージでつくりあげられた人格。ときどきそこにリアルの凛斗の発言が吸収されて学習対象になるけど、でも強固な〈イメージ〉と、ブレインレインが差し込む〈思想〉で、AI凛斗くんはまるで凛斗とは違う人間になった。のだろうか?
誰もが大宮凛斗本人だと信じているロボット凛斗が持っているはずの〝大宮凛斗であるもの〟とは、いったいなんだろう? 灯都は考える。それは人間すべてにもあてはまる。それぞれの人間〝であるもの〟は、いったいどこに存在しているのだろう? There's no "there" there.
「凛斗はずっとここにいて、凛斗のロボットが離島に行って同時に情報が繋がってる……やっぱり記憶は脳にはないね。もしくは、人間が考えるような物質的記憶はない。別の次元でふたつの凛斗を包括する情報、みたいなものがあるのかな。それとも情報のつぶつぶと、三次元の距離がぜんぜん影響しないのかな」
「よくわかんないけど。で、灯都とウィルに来てもらったのはここから出るためなんだよ」
声を抑えて言った凛斗の目を、灯都と絢吏はじっと見た。目には言葉にならない情報が溢れている。灯都の気分に、凛斗の目から溢れる情報が差し込んでくる。言葉のように整理された情報ではない。あまりにばらばらでとりとめのないいくつもの、凛斗にくっついている情報たち。
「……てか、ウィルが必要なのかな?」
灯都が聞くと凛斗は頷いてウィルに話し掛ける。「ここに入って来れたんだから、出られるでしょ」。凛斗を見上げたウィルはしあわせの香りを醸して――それはなぜか、マスクをしている灯都にも感じられた――口笛のような音を出した。ぴゅう。コ・ドライバーを務めているときのウィルが、目的地到着を知らせるのと同じ音。ウィルはなんでも知っている。
「じゃ、ここの作業が終わったら移動しよ。灯都に来てもらったのは、こっから連れて行きたい人がいるかどうか確かめてもらうため。えと、絢吏くんでしょ。それから他に、誰か知ってる人いそう?」
広く開けたこの空間の中を視線だけで見渡し、凛斗は言う。とはいえ灯都にもここからでは知ってる人がいるかどうか、はっきりわからない。
「絢吏さん、知ってる人に会った? ここで」
「えーどうだろ。たぶん会ってない」
そのとき、絢吏と凛斗の目の前に自動的に映像が現れた。一日の、時間ごとにびっしりと埋められた行動予定がテキストで浮かんでいる。現在の時間の予定がマーカーで示され、次の予定が点滅している。ここでの作業が終わったらセミナー室へ移動しなければいけないらしい。
スピーカーから音楽が流れて、それと同時に、ここにいる人間が一斉に弛む声、音で満ちた。作業が終わり、次の予定までの自由時間。わやわやしたノイズとともに人間たちは灯都たちと反対側にあるドアのほうへ向かう。ベルトコンベアーの上に乗ったうさみちゃんロボットが入った棺はそのままで、絢吏も凛斗も作業をやめる。誰もが中途半端なままで作業をやめ、ここから移動するために行動し始める。供養とは形ばかりだ、ここにはオーナーがロボットとの別れの際に込めた想いは残っておらず、ただブレインレインによって決められた予定に沿って行動する人間たちの、機械的な作業と心のない効率があるだけだ、と灯都は苦々しく思いながら、絢吏たちに倣っててきとうに周辺を片付ける。
停止したベルトコンベアーにはさまざまなランクの棺が、刺繍が施されたものや銘木を使ったものや段ボールが、点々と連なって




