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アナバチ性ミントブルーうさみちゃんシティ  作者: 夏果和 なまり


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7-₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎ (前)

₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎{7-₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎ はちょっと長くなったので前・後編にわけて公開します

 のではなかった。ぶつかったように見えたけど、ウィルはその直前できちんと止まってからだをひらっと翻し、からだの向きを変えて、こちらに近づいて来る人物と同じ方向へ向き直った。そのあいだ、灯都の脳はめまぐるしく動き続けている。眼鏡をかけた人物に見覚えがある。気がする。

 とはいえ、うさみちゃん市に住んでいる人たちではない。眼鏡の人物はもともとの住人が着る制服を着ていないし、でも新しい住人たちが着ている制服でもない。ブレインレインの人々が着ているものとも違う。眼鏡をかけていて、太っている。伸びきった髪の毛を束ねてマンバンにしている。きれいに整えたのではなく、ところどころアホ毛が飛び出ている。絢吏や灯都がしているのと同じマスクをしていて、いまは角度によって鼻から下が見えない。

 灯都は知らないのに見覚えのある人物を、それが誰なのか思い出そうとして凝視した。すぐ隣にウィルがいたら彼が誰なのか聞けるのに、いまはすぐそばにいない。ここからウィルを呼ぼうと思った瞬間、アフリカンプリントの衣裳を身に纏った集団がものすごい音量で演奏を始め、うさみちゃんロボットたちが舞い、あたりはさらに騒がしくなった。声が届く気がしなかった。

「……りん」

 脳が記憶と視覚との完全な一致を自覚する前に、灯都の声がこぼれる。「……凛斗」。とはいえ、目の前の人物について、灯都はまだはっきりと誰であるかわからない。

 近づいて来る人物は灯都と絢吏のそばまで辿り付いたところで止まり、右手をあげた。「おー。灯都じゃん。やっと来た」。マスクの角度が変わって顔の全体が見えた。けれど、絶対的な〈だれ〉を確信するものがいっこも見当たらずに灯都は戸惑う。

「え。灯都知り合い?」

 ウィルと一緒に近づいてきた人を指して絢吏が聞く。そのとき天井か壁に埋め込まれたスピーカーから音楽が流れ始めた。優雅な雰囲気の汎用BGM。それが流れ始めたとたん、供養のために行われていた騒がしい楽器の演奏もダンスも、周囲で人間たちが行っている作業も、すべて途中で止まる。絢吏も手に持っていたクロスを置いた。「休憩時間だから灯都もそれ置かないと怒られるよ。共通時間ってほんとめんどくせえのな、どんなに作業が良い感じに進んでても、そこで強制的にストップしなきゃなんないんだから。ほんとめんどい」。そして傍らにあった椅子に腰掛けた。

 凛斗っぽい人はどこかから椅子をふたつ持ってきて、ひとつを灯都に勧める。椅子に座った灯都の隣にウィルは立つ。「ずっとこっから呼んでたのにさあ。ウィル経由で。なのにウィルの内部には俺でも接触できない領域があるんだね。それで手こずったわあ」。

 それを聞いてウィルは胸のあたりで手をクロスして、警戒のふりをする。ぺらぺら話している凛斗っぽい人をじっと見つめながら、灯都は確信を得られずにいる。恐る恐る聞いてみる。「……凛斗? であってる?」。

 凛斗はひどくむっとした顔をして「そうだよ。やだなあ、灯都にも忘れられてる」と言った。

「や、忘れたわけじゃなくて……俺が知ってる凛斗とぜんぜん違うんだけど……え、めちゃ短時間で太った? このあいだ映像でみたときはこんな……じゃなかったような……」

「あそっか。灯都は凛斗くんと喋ってたから」

 混乱する灯都に、絢吏が小声で尋ねてくる。「灯都の知り合いだったわけ? この人に呼ばれてたの?」。

「あ、うん……。大宮凛斗さん。こちらは調香師の絢吏さん。オケージョンノートの監修とかしてる」

「こんにちは。あ、久しぶり、かな。大宮凛斗です」

 そう言って優雅に右手を差し出し握手を求める凛斗っぽい人の仕草はひどく洗練されていた。仕草のすべてに、眼鏡の下で美しく造られた表情のすべてに、肉体の内側のすべてに、自信が満ちている。凛斗っぽい人のまわりに一瞬でオーラのようなものが生成される。たくさんの人々に見られることを意識し続けて生きる人だけが持つ特別なオーラ。その、物質的ではない灯都にとっての感覚が確かな裏付けとなって、凛斗っぽい人は間違いなく〈凛斗〉だ、と確信する。

 凛斗から突然発生するオーラに圧倒されながら右手を差し出し、操られているみたいな仕草で握手をして「こんちは」とだけ言った。握手のために立ち上がった絢吏は椅子に座り直し、なにか考えているふうの顔をする。

「まじで凛斗、感じが変わったから一瞬わかんなかった」

「そお? ちょっと顔に肉が付いちゃったかなあ。まあ最近はここにいるだけだし。舞台とかの仕事もやってないしなあ。あんま良くないんだけどメンテできてないね」

「おああ。大宮凛斗知ってる」

 絢吏は急に繋がった情報のつぶつぶによって記憶が甦ったのか、手を口にあてて驚いている。「わー。テレビかなんかのメディアでよく観たよ。灯都と知り合いだったんだ? てか俺、会ったことあったっけ」。

 さっきまで無関心と訝しさのような気分で凛斗の一步外側にいた絢吏は、凛斗が醸すオーラか、もしくはかつての記憶――特撮ヒーローとかつての純粋な心の関係性に似ている――を触発されたのか、上擦ったような気分で凛斗に前のめりに接している。そういう態度を凛斗は昔から経験していて――それは相手がほんとうの彼に接していないという点で、彼にとって孤独に等しいと言っていた――、けれどすこし肉の付いた頬を持ち上げ、それでも美しい笑顔をつくって「そうなんだよね」と言った。

「凛斗は子どものころ、このへんに住んでたんだよね。うさみちゃん市になるずっと前のことだよ。そんで俺も学校いっしょだったから仲良かったの。絢吏さんが住みはじめたころ、みんなで夜集まって話したりしてたじゃん。そんときいたよね」

「そ。でもたまにしか参加できなかったけど。子どものころはここにスクラップ工場があって、それが俺の実家だったんだけど、いまはブレインレインになっちゃったから」

 絢吏の表情がこわばったのが灯都にはよくわかった。目のまわりに制御できない力が無意識に加わって、表情は大きく変わらないけど印象が大きく変わる。

「じゃあ、ブレインレインの人」

 ミーハー的ふわふわではなく、苦い、警戒や批難のようなものが含まれた声で絢吏は聞いた。それにすでに気づいている凛斗は過剰なくらい柔和で人懐こい笑顔を浮かべて首を振る。レンズの下部に頬の肉が押しつけられているけど、凛斗の美しさの本質はまるで変わりない。

 再びスピーカーから音楽が流れる。さっきと違う汎用BGM。そして、周囲の人々がわやわやと動き出した。チューニングをする管楽器の音。B♭~。F~。うさみちゃんロボットたちが動く音。鐘の音。人間たちが再び供養のための作業を始める音。それに倣って灯都たちも椅子から立ち上がり、目の前で止まっているうさみちゃんロボットに対する作業を――灯都はここでなんの作業をすべきなのかまだよくわかっていない――始める。同じように凛斗もうさみちゃんロボットを囲みながら作業しているような動作をする。

「それが逆で。実家とかぜんぶ、簡単に言えば乗っ取られた」

 それから凛斗は、声ではなくテキストで言葉を共有する。凛斗がかけている眼鏡を使って、まばたきでテキストが生成され、それらが灯都や絢吏のデバイスと、骨を通して、読み上げられた音声が耳の奥に届く。

 凛斗は子どものころからこのあたりに家族と一緒に住んでいた。レッスンやメディアの出演があるときは、本数の少ない最寄り駅から電車を乗り継いで通った。レッスンは楽しかったし、出演するメディアが増えるのもわくわくした。理由のわからない、明るい未来のようなものが目の前に連なっているという実感がそれらの活動には付随していた。だから凛斗は積極的に挨拶回りに行ったし、どんなに規模の小さいオファーも断りたくなかったし、精力的に活動に勤しんだ。そんなことが数年続いた。代理店やメディアによって作られた〈人気〉のヒエラルキーは努力や優れた能力、資質だけで上位に昇れるものではないことを知るほど、まだ凛斗は大人ではなかった。

 次第に凛斗の活動を追うファンのような人々が活動の合間に現れるようになった。最初は一人か二人だったけど、活動が忙しくなるにつれて人数は増えていった。その実感も、凛斗にとっては嬉しかったし、ときにはしんどいレッスンを頑張る力にもなった。

 単発での仕事が少しずつ増えてきたころだったと思うけど、正確ではない。そのくらいじわじわと、あのおばさんは凛斗の家や家族に浸透していったように思う。

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