7-₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎ (前)
₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎ {7-₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎ はちょっと長くなったので前・後編にわけて公開します
完全に機械化された世界ではなかった。瓦礫のようなものが雑然と積み上がった風景がどこまでも続いている。広い空間の中は天井までどこか煙ったような白く濁った空気が詰まっていた。重く硬いものがぶつかるような音。そして、積み上がった瓦礫の隙間と隙間と隙間には人間がいる。人間たちが、たくさんいる。
工場とか倉庫みたいな広い空間を灯都は見た。白い通路を抜けて突然ひらけた景色は、それまでの無機質さからくる印象と正反対の落差をもつ雑然さと不衛生さを感じさせる。
人間たちはここで作業に従事しているようだ。無規則に並んだ人間たちの前には――かたちを一部失ったうさみちゃんロボットが横たわっていた。
「ウィル」
白い通路から突然変わった風景に呆然としながら灯都はなかばうわごとみたいにウィルの名前を呼んだ。隣に立つウィルは灯都を見上げ、次の言葉を待っている。そうしている間にも、この空間にはあらゆる雑多で不快な破壊音があちこちから響く。目の前から視線を空間の端のほうまでずらして見渡した。
端に雑に積み上がったものに目が留まったとき、灯都のからだに冷たい衝撃が走った。見たことある箱。その脇には折りたたまれたコンテナがやっぱり雑に積み上がっている。Zプラン。いつもウィルが回収してくるZプランの折りコン棺。
折りコンが積まれた側の壁には閉められたままのシャッターが並んでいた。それがどこと繋がっているのか灯都にはわからないが、その先になにがあるのかという直感が差し込む。搬入口。灯都はいつも建物の外側からしか見たことのない搬入口に繋がっている気がする。
「ウィル。ここは、……」
その次の言葉を思いつくことができない。なにを聞いたらいいのか、――いや、なにを聞きたいのかというレベルでわからない。すべての情報を少しずつ繋ぐ複雑であまりにも細い糸が、脳の中で溶けてしまっている。――いや、情報を繋ぐ糸のようなものなど、ほんとうは存在していないのかもしれない。肉体によるあらゆる感覚から芽生える衝動を、人間はただ、眩しい光に咄嗟に目を瞑るように、やり過ごしているだけで。うさみちゃんシティに移住してきた新しい住人たちみたいに。ただ、うわべだけをそれなりに取り繕って生きている人々みたいに。
言葉が見つからずに、ただ目の前にひらける雑然とした景色を呆然と見つめる灯都はもういちど、からだに冷たい電気が走るのを感じた。視線が止まる。目が、目玉という肉体の一部が意思で動かせなくなる。考える力を司る脳のどこかを動かせなくなる。すべて自分の肉体なのに。すべて、灯都が支配しているはずの肉体なのに。それでも、意思ではないどこかが灯都の肉体を勝手に――もしくはどこかの次元で――支配して、灯都には動かせない。ただ、いっこの対象だけが目に入って、そこから途切れなく続く恐ろしい刺激だけが灯都のからだに差し込み続けている。
「ねウィル。あのひと。こっからよく見えないんだけど、俺の知ってる人じゃない?」
そう言って灯都は指さした。ごちゃごちゃ積み上がった瓦礫みたいな中で動いている人間。いま焦点が合っている人物を、ウィルに正確に共有できないのがもどかしく思う。ウィルはしばらく考えている。「どこ?」。ウィルは『あのひと』と『こっからよく見えないんだけど(あのへんにいる)』の曖昧なニュアンスをつかみ取ろうと考え、求められた答えを導き出そうとしている。とはいえ。灯都には痛いほどの直観がびしびし差し込んでいる。視覚を通して脳が確信する前に、灯都の脳、もしくは灯都をつくる〈なにか〉――魂とかキャップのようなものがあるとすれば――に、灯都が見ている人物が誰であるかという情報がすでにもたらされている。
いつものことだが、直観と、遅れて照合した事実確認とのあいだに大きな差ができることはほとんどない。ウィルは灯都が指す人物についての確認を終え、見上げながら答える。「あのひとは絢吏さんだよ」。
やっぱり。灯都は納得と困惑との複雑な気分が発生するのを感じながら頷いた。そして、なにか考える前に脚が前に進み出た。ウィルもあとからててててて、とついてくる。
「わわわ。灯都じゃん」
ベルトコンベアーで運ばれる棺の前に立つ絢吏が、近づいていく灯都に気づいて声を上げた。周囲にも人間が立ち、作業をしている。灯都が回収するときにいつも見る棺。うさみちゃんロボット。うさみちゃんロボットは各々が違う服を着ている。仰向けのまま横たわっているうさみちゃんロボットの周囲で人々はなにか作業をしている。
声を掛ける用意をしていた灯都はその前に逆に話し掛けられて戸惑い、混乱する。瞬発力を持たない者の性。発するべき言葉を探すのに見つからない。喉の奥に言葉のかけらが引っかかって出てこないので、灯都は腹に力を入れて整理されていない言葉のかけらを吐き出す。「あ。あ、絢吏さん」。
笑顔を向けた絢吏は灯都の顔から足まで視線を下げ、そして再び目を合わせて慌てた顔をした。
「灯都もこっち来たの? これつけたほうがいいよ」
絢吏は右手をポケットに突っ込んでごそごそと何かを探り、取り出して灯都の手のひらにのせた。マスク。絢吏もおなじマスクを着けている。角度によってマスクは人間には見えなくなるので、絢吏が顔の角度を変えた時にはじめて灯都にもマスクが見えた。「ここ、オケージョンノートがあんの」。そう言って人差し指を立て、複雑に交差するダクトや配管が剥き出しになった天井へ向ける。この空間のどこかにオケージョンノート噴霧器が設置されているらしい。灯都は受け取り、マスクを着けて礼を言った。
なんのにおいも感じていなかったけど、嗅覚を意識して呼吸すると微かににおいを感じる。ような気がする。それは、この空間に積まれた荷物やここに存在する人間たちのすべてが混ざり合ったにおいとは違った。記憶が甦る。モッコウバラの生け垣の向こうでよろよろ歩いていた人から強烈に匂った香り。
「え、絢吏さんなんでここにいんの? いつから?」
「だってブレインレインに仕事に来たらさあ。帰れなくなっていつのまにかセミナー室に入れられたんだもん。え。灯都もそうじゃないの? そんでここに配置されたんじゃないの」
目の前に止まった棺の蓋を開きながら絢吏は面倒くさそうに言った。棺の中には仰向けになったうさみちゃんロボットと、そのまわりにはバウムクーヘンとうさみちゃん印のお水がぎっしり詰まっている。
「や、俺は違くて。ウィルのあとをついてきただけ」
傍らのティッシュボックスみたいな箱からクロスを引き出して、棺のなかのうさみちゃんロボットの顔を拭く絢吏と同じように灯都もクロスでうさみちゃんロボットを拭き始める。とはいえ作法がわからないので灯都は拭いているように見える動作にとどめた。その隣でウィルは灯都を見上げながら静止してるみたいに立っている。
「なんでウィルちゃんがここに来ようとしたのかな?」
「灯都を呼んでる人がここにいるんですよ」
灯都よりも先にウィルが答える。絢吏のほうを向いて。呼んでる人、という言葉に反応して灯都は絢吏を見たが、絢吏はわけがわからない、みたいな顔をして首を振った。絢吏が呼んでいたわけではないらしい。
「どこかにいるってことなのかな。てか呼ばれる理由もないけど」
クロスを持った手を適当に動かしながら灯都は言う。知らない誰かが使用していたうさみちゃんロボットを見つめながら。誰かが使っていたうさみちゃんロボットを回収して、その後この場所で人間の手によってきれいにしたり、供養のための作業を――それはプランによってたくさんの方法があるらしい、ここからはいくつかの祭壇や立ち上るお線香の煙が見えるし、カラフルな祭壇も見える。鳥葬のための鳥が四角く囲われたヴァーチャル空間で飛び回っているのも見えるし、アフリカンプリントの布をまとった人間たちが楽器を演奏する音、そのまわりでうさみちゃんロボットがダンスしている音も聞こえる――ほとんど、人間が行っている。ここではうさみちゃんロボットよりも人間のほうが圧倒的に多い。
供養のための作業とは別の場所では、折りコン棺から取り出されたうさみちゃんロボットが人間の手で解体されている。その奥にある別室からは硬いものがより硬くて強い圧力によって潰されるような音もする。ばきばき。灯都が回収してきた棺を白くて四角の建物の搬入口へ運び入れるときに聞こえる音に似ている。
壁に設置されたシャッターの一部が開いた。ベルトコンベアーが動き、その上に乗った棺が運ばれてくる。灯都ではない誰かが回収した棺かもしれない。ということはここは、灯都が外側からしか見たことのない、白くて四角の建物の中なのだろうか? でもさっきはいちごのかたちの建物から入ったはずだ。
ここはどこなのか、隣のウィルに聞こうとしたのと同じタイミングで絢吏が口を開き、面倒くさそうな声で唸ったので灯都は喋るのをやめた。
「じゃ灯都はセミナー室には行ってないんだ。あれはしんどいわ。うさみちゃんシティてか、ブレインレインの信者をつくるための洗脳セミナーだよ。ブレインレイン社にとって管理しやすい人間をつくるための」
「なにそれこわ洗脳って」
周囲が騒がしいので二人の会話は周りに聞こえない。逆に、周囲にいる人間たちの――彼らが会話をしているのならばの話だが、それはわからない――声も聞こえてこない。けれど絢吏は向かい合う灯都のほうへ顔を傾け、すこしだけ声をひそめ、唇をとがらせる。不満そうな顔で話しはじめる。
「なんかね。仕事でこっち来たら帰れなくなってセミナー室入ったつったじゃん。家に帰ろうと進んでも進んでも結局セミナー室に道路が繋がってんの。それで結局、セミナー室に入るしかなくなったわけ。歩き続けて疲れてさ、家に帰れないしさ、絶望してたとこにおいしそうなにおいがしたり、こちらで休んでくださいとか優しく声掛けられたらそっちに行っちゃうでしょ。ふつうにね。
セミナー室に入ったらこんどは出られなくなんの。朝から晩までセミナーの毎日が続いて。セミナー用のオケージョンノートのにおいがしたからさ。それは自分で作ってるから知ってるじゃん。で、徳を積みましょうとか運を引き寄せましょうとか意識レベルで勝ち組になりましょうとか、お水買いましょうから始まってさ。割とほのぼのした雰囲気だから次第に慣れてくるんだけどね。
でも何日か経つと、雰囲気が変わってだんだんエグいことになんの。ざっくり言うと、なんか一人に質問が延々と続けられてさ。答えたくないこととか、そもそも答えらんないことってあるじゃん。そういうのについて、ずっとしつこく質問してくんの。そうするとだんだん、質問された人は追い詰められてって、だんだん考えられなくなるみたいでさ。脳みそのワーキングメモリーをぶっ壊すっていうのかな。そういう状態の人間を初めて見たわ。まるで、肉体から人間のもととなるものが抜けたっていうか。そんな感じに見えたね。なんか恍惚の表情を浮かべてて、それがまわりに伝播してくの。こわかったよ。
で、そういう状態になるとみんな、セミナーの内容に疑問なんて抱かないの。むしろ心酔するっていうか。ブレインレインがつくるうさみちゃんシティのしくみが人間にとっての真理、みたいになっちゃうの。不思議だよね」
このあいだ、プリン型の住宅が工事用フェンスに囲まれているのを阿嵐や瑚織や深ちると一緒に見に行ったとき、ウィルは言っていた。『ここはうさみちゃん市民などを一時的に収容する矯正施設です。ポイントが低い市民はこの施設に集められ、矯正のための教育を受けています。ポイントが低い市民のほか、現在はうさみちゃん市の運営について反対デモを起こしている人々も集められています。ポイントは『うさみちゃんからひとこと』の達成度や、日常の発言などが数値化したものです』。そして凛斗の声も追うように蘇る。『それから、ブレインレイン社の敷地内に矯正施設も設置されてるし。間違った情報を持つ人たちのための受け入れ施設だよ』。
これらは、絢吏が言っているセミナー室と同じ場所を指しているのだろうか? 灯都は話を聞きながら考える。だから絢吏の言葉がところどころ聞こえなくなる。




