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アナバチ性ミントブルーうさみちゃんシティ  作者: 夏果和 なまり


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25/25

7-₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎

 配線でうさみちゃん市全体は無電柱化しているのだが、ここだけは見上げると空中線が張られていた。車から降りて灯都は空を仰ぎ、二匹の鳩がとまっている電線を見上げる。ぽーぽうっぽぽー。長閑の象徴みたいな鳴き声が誰もいない駐車場に朗らかに響く。

 またここに来てしまった。と灯都は思う。いや、来たくて来たわけではない。コ・ドライバーのウィルが案内した先が、またここだったのだ。モッコウバラの生け垣。白い建物。駐車場。『うさみちゃん市保存開発組合』があるらしい付近。

 助手席側から車の中を覗くと、ウィルはウィンドウを下げて灯都を見た。「ねえウィル、うさみちゃん市保存開発組合ってのはどこにあんの?」。一秒おいてウィルは住所を読み上げる。「――にありますよ」。そこで灯都は運転席からドアを開け、エンジンを切る。「こっから歩いて行けるかな?」。エンジンが止まったのを確認したウィルは「行けるよ」と答え、ドアを開けてシートから降りた。ウィルはエンジンが停止しないと車から降りられないようになっている。

 助手席のシートからぴょこんと降りたウィルの足の裏からピッピサンダルの音がして、誰もいない周囲の空気に響くように溶けていく。灯都の車しか駐まっていないがらんとした駐車スペースを、ウィルと並んで歩き始める。モッコウバラの生け垣の向こうには白くて四角の建物、その向こうにはホールケーキのかたちの建物、その周囲に建ついちごのかたちの建物の一部が見える。

 うさみちゃん市の、新しく開発された地域に広がる慢性的な喧噪はここにはない。ウィルと並んで歩きながら灯都は、もともとの住人たちがいまも住んでいる――もしくはつい最近まで住んでいた――地域に漂うのんびりとした空気と、ブレインレイン社がここへやってくる前の、なにもなかったうさみちゃん市の空気を思い出していた。この場所の静けさと、時間の流れのないのどかさに想起されて。

 駐車場から延びる人間とうさみちゃんロボットの歩行用を想定されたような狭い道路沿いには、名前のわからない木が規則的に植えてある。新しい葉を枝先にたくさんつけている木々には、姿の見えない鳥たちが留まり、そして木と木の間を、枝と枝のあいだを素早く行き交っているのが葉の揺れでわかる。

「うさみちゃんロボットすら歩いてないんだね。まだ誰ともすれ違ってない」

 独り言のようにつぶやいた灯都に答えるみたいにオナガの鳴き声がした。ぎゃあぎゃあ。灯都は咄嗟に木を見上げたが、美しい色の鳥の姿はどこにも見えなかった。

「うさみちゃんロボットは半径五〇〇メートル圏内に十三体いるよ」

「意外と少ないんだね? え、だってここブレインレイン本社の近くだよね?」

「現在確認できるのは十三体だよ」

 そしてウィルと灯都はてこてこ歩いた。誰ともすれ違わず、なんの音もせず、ここが一体どこなのかすらわからない状態で歩いていると灯都の中に不安が発生する。この場所は本当は関係者ではない者が入っちゃいけない場所なのでは? とか。

 てこてこ歩いた先に、やがていちごのかたちの建物が見えてきた。ホールケーキのかたちの建物ができたあと、その周辺にいっこずつ建っていったいちごのかたちの建物。これらもすべて、今ではブレインレイン社によって使用されている。

「ウィルは、俺をここに連れてきたの?」

 てこてこ歩きながら灯都は聞いた。並んで歩くウィルを見下ろしながら。視線を感じたウィルは立ち止まり、灯都を見上げて視線を合わせ、そして再び前を向いて歩き始める。「うさみちゃんからひとこと。今日は大きな混乱が起きるかもね。あなたが生まれた日の海王星に対して、今日の太陽の位置がオポジションです。今日のあなたは本能的に対立から逃げる傾向にありますよ」。

「ほー。てか誰かと対立することがあんのかな。こわいわあ」

 いちごのかたちの建物群が近づいてきた。とはいえ、たとえば総合病院の内部がそうであるように、街に並ぶビルがそうであるように、歩いている者に対する歴とした看板はない。ここにはこういう組織がありますよ。みたいなことは外部から決してわからないようにできていて、ただいちごのかたちの建物が並んでいるだけだ。ただしウィルはそのすべてを見分けることができて――情報とウィルは密接に繋がっているから――迷わずに、いちごの建物群のうちの、いっこの前でぴたと止まった。

 ぴたと止まったウィルの隣で灯都も足を止める。そしてウィルを観察する。ウィルはなにも言わずに、いちごの建物のほうを向いて静止している。じっ。そういうふうに一点を見つめているように見える。

「ここになんかあんの?」

 そう聞いたあと灯都はいちごの建物の周囲を見渡した。ここで途切れる電柱と電線。その近くのいちごの建物のあいだには変電設備や予備電源っぽいクリーム色の大きななにかがある。ぽーぽうっぽぽー。長閑な鳴き声が聞こえるが鳩はどこにいるのか、ここからは見えないしわからない。

「灯都はここに呼ばれていますよ」

 周囲を見渡す灯都を見上げてウィルが言った。すこし困惑した灯都はウィルにもうすこし情報を求める。「呼ばれてる? 誰に? てか俺、はじめて来たんだけど」。そう言いながら、このあいだの話が灯都の脳裡をぴろぴろと行ったり来たりする。うさみちゃんロボットによる洗脳。それによってもともとの住人たちが使っていた畑や住居のあった場所に重機が入り、破壊して新しい街をつくっていた。とはいえ。ウィルは違う。と灯都は自分の思考を自己都合で洗い流す(洗脳する)みたいに意識した。ウィルはブレインレイン社の大きな脳と繋がっている。けれど、すべてがブレインレインのものではない。そういうふうにつくったのだから。

 うさみちゃん市保存開発組合という聞いたことのない組織の役員になったらしい、もともとの住人たちは、こんなふうにして誘導されたのだろうかと思う。唆されるようにして。けれど、目の前に提示された情報を選別するのも、信じるのも突っぱねるのも人間の意思だ。まるで理解できない現在状況の不安が、灯都の思考を濁らせて悪いほうへばかり導く。

 とはいえ。灯都には理解できずにいることがある。うさみちゃん市保存開発組合の役員としてブレインレインに呼ばれていった人たちは、いったい何のために呼ばれたのかということがまったくわからない。ようするに、今までの生活のままでも関われそうなことに、どうして生活の、人生のすべてを捨てるような極端なかたちをとろうとしたのかが理解できない。そういうものなのだろうか? ウィルに聞きたいけど、ウィルは――ブレインレインの脳を通して――灯都が聞きたい答えを教えてくれるだろうか? ウィルが、ではなく、ブレインレイン社が。

 灯都の頭のなかはさらにネガティヴに満たされていく。そうしているあいだにウィルは腕を頭上に伸ばしていちごの建物の外壁に翳すようにした。いちごの建物の内側からモーター音がして、継ぎ目のわからなかった外壁の一部が楕円状のドアみたいなかたちになってスライドした。ドアが開いたのを察知して建物の内側に――灯都に見えている数十センチ先までの狭い範囲――LEDが光で攻撃をするみたいな速さを放ちながらともる。

 いちごの建物の中に足を入れる。ウィルもぴったり同じタイミングで灯都の足の脇で移動する。音もなくドアは閉まり、外の音が聞こえなくなった。木々の葉が風でそよぐ音。鳥の鳴き声。気づかなければ〝ない〟ものとして認識されないのに、遮られて〝なくなってしまう〟と、ようやくそれらの音に気づく。

 ぴむん。そういう音とともにドアが完全に閉まると、灯都とウィルは狭い閉鎖空間の中に閉じ込められた。バターイエローの空間にはあらゆる情報が排除されて、ただのバターイエローの箱の中だ。ぴむん。もう一度音がした。そして、箱の外側から微かに音が聞こえ始める。自然にはない音だ。それは時間という形のない形を前歯の先で扱いているみたいな音。

 その次の瞬間、灯都のからだが浮くような、すべての上部から押さえつけられるような感覚に囚われた。頭に。肩に。腕に。背中に。鼻の奥に。押さえつけられるのとは反対に、胃と周辺の臓器がからだの内側で浮くような感覚があって、それは、ありえないほどのくすぐったさに似ていた。この世のすべてのくすぐったさを凝縮したものが、からだの内側でぶわぶわ暴れているような感覚だった。

 いやこのまま落ち続けたら。灯都は箱の中で考える。ようするに灯都とウィルが乗っている〝箱〟は現在、ものすごい早さで落下していて、そのうちどこか、落ちるまで落ちた先で止まる。そこに待っているのは想像できないほどの衝撃だ。重力や高さや早さや質量をすべて受け止める衝撃。

 こういうゆめをみたことがある、と灯都は落下する不安の間に、隙間のない不安と不安のあいだに思い出す。ゆめは抽象的なものが一般的らしいのに、やたらに具体的だった。すでに乗り込んでいたエレベーターには階を指定するボタンはあったけど数字は表示されていたか、人間には共有されていない言語による――でたらめな――表示だった。乗り込んだ途端に動き出したエレベーターは下降した。……違う、上昇するエレベーターが、突然下降を始めたのだ。ゆめの中では。エレベーターは加速度的に下降を続け、そして最深部まで落下して――その直前に「ここで止まる」という直感がゆめの中でも灯都に差し込んだ――からだじゅうで強い衝撃を受け止めた。衝撃と、痛みを感じるまでの短い瞬間に目が覚めた。

 ゆめの記憶がいまの状況と重なる。肉体の内部で、臓器がぞろぞろ浮いてくる。くすぐったさと気味の悪さで腹の中が緊張に似た痺れのようなものに支配される。痺れは胸、肩、首とせり上がってきて、目の奥まで到達したときにそれは恐怖に変わる。下降は終わらない。表示のない箱の中で、終わりの予測できない下降は恐怖を増大させながら続いていく。灯都は隣のウィルを見た。建物に脚を踏み入れたときと同じ方向を向いたまま、ウィルはまっすぐ前を向いて立っている。

 肉体の破壊を予感させる長い長い長い落下にべつの重力が加わったのがわかった。灯都の右側から左の方向へ力が掛かり、不意に灯都はよろける。それを知っていたかのようにウィルは灯都のからだが傾いた方向へ移動していて、脚を支え転倒するのを防いでくれた。

「ありがとウィル。いま、俺はどこに移動してんの?」

 体勢を直した灯都の脚から、支えていた手を離したウィルが答える。「現在、灯都はブレインレイン社にいる」。

 そして灯都とウィルのいる箱の中の外側でなにかが変化する音がした。長い長い長い落下が、正反対の力に変わった。上昇。のように感じて、灯都はウィルにたずねる。「傾斜角」。

 横方向に動く力はやがて薄れ、上昇している力だけが感じられるようになった。下降の恐ろしさは消えたが、新たに上昇への不安が芽生える。すべての情報を失うと人間は途端に脆弱だ。人間の肉体ではなく、人間の内部にある、情報を司る人間の本質のような部分――たとえば魂とかアジャ、プルシャ、このあいだ街で遭遇して知った〈キャップ〉という概念――が、肉体から得られる感覚を失った途端、ひどく不安定になり揺らぎ始める。感覚による情報を求めて、人間の内部にある本質のような概念が激しく叫んでいるのがわかる。制御することのできない動揺。

 下降と同じように上昇も長いあいだ続いた。神に押さえつけられているかのような重力。ただし、上昇には下降にない感情が生まれることも知った。上昇には、〈次〉への期待の要素が内包されているということだ。根拠のない期待は、こころのなかで溶けた瞬間に、肉体との、自我とのあいだで摩擦を起こす。経験による、過去に繋がった情報のつぶつぶによる抵抗をうみだす。根拠のない期待を()()()()()受け入れてしまうことへのシグナル。

 隣に立っていたウィルが腕を伸ばして灯都と手を繋いだ。それに気づいてウィルを見た瞬間、長い長い長い上昇が、長い長い長い移動が終了した。床が左右に細かく揺れて、やがて振動が止まる。この中には灯都の背中側のドアが開いて、そこから足を踏み入れたのだけど、こんどは目の前のドアが開いた。閉じ込められた中は曲線だけで作られた空間だったので、正確にはどこが前かどこが後ろかわからないが、いま立っている灯都の目の前の壁に円状の光が漏れてきて、円はスライドした。

 ウィルが足を踏み出す。開いたドアの向こうにはただ白い空間が広がっている。「ぽこぽこ」。周囲にうさみちゃんロボットが見えないけどウィルは挨拶をした。周囲を伺いながら灯都もウィルに続く。白い空間では幅も高さも見失う。右手を伸ばすと白い壁に手が当たった。冷たい。そしてよく見ると中指と人差し指のあいだあたりに擦れたような灰色の傷か汚れがある。そこから視線をずらすと、壁には同じような傷か汚れが点々とついている。

 閉じ込められていた空間から白い通路のようなところへと灯都が移動したのを確認したウィルは、いつものように先導して歩き始める。「ウィル、ここはどこなの。この先になにがあんの」。後をついて歩きながら聞くとウィルは歩くスピードを緩めずに答えた。「ここはブレインレイン社、……」。その先の言葉は壁の向こうから聞こえてきたものすごい衝撃音で聞こえなくなった。

「なに、……」

 驚いて灯都は反射的に白い空間をきょろきょろと見上げた。けれど白い壁に囲まれた空間にはそれ以外の情報を得られるものはなにもない。そこにあるのは

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