6-₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎ (後)
「で、たとえばなんて言われんの?」
「『あなたにはもっとこれこれの才能があるよ』とか。『あなたはこれこれが得意だね』とか。ぜんぜん得意じゃないし、興味なくてもね。『あなたは前世でこんなことしてたよ』とか」
「おおー。前世でなにしてたの」
茶化すように深ちるが言う。瑚織も興味を表情に滲ませている。
「モンキーポッドだったんだって」
「前世が? ……モアナルア・ガーデンの?」
阿嵐は頷く。「壮大な前世すぎる」。きれぎれにそう言いながら深ちるはげらげら笑う。そのようすをまねしているのか、ウィルは両手でおなかのあたりを押さえて同じようにげらげら笑うふりをした。これが腹を抱えて笑うようすだよ、と灯都が教える。
「前世と現世って関連すんだね」
「や、それが本当かどうかもわかんないだろ。それはどうでもいいんだけどさ、そういう、オーナーに対する肯定っていうか、へんな言いかたをすれば媚びるとか阿るとかそういう状態が過剰になってくるのがわかるの。そこに、真偽の不明な情報がたくさん差し込まれてくる。前世とかね。あなたには潜在的なこういう能力があるとか。これこれの投資についてオファーがあるとか。なんとかって企業から役員として招聘したいと言ってるとか」
「ほー。……まってまって。それで信じるっていうか……自分が偉大な人間だって錯覚するってこと? そんなことあるのかな」
「信じらんないけどまわりを……新しい住人とかね、見てるとこわいくらい自己評価が高いよ。尊大な自我を持ってたりするし。そういうの刺激されたら、そうなるんじゃない」
刺激。灯都の脳と離れかけていた情報のつぶつぶが繋がって、記憶として蘇る。モッコウバラの生け垣の向こう側でうさみちゃんロボットに連れられて歩いていた、どこか精神の空白のようなものを感じさせた人々。彼らを包んでいたもの。「もしかして、におい」。灯都の呟きに反応して阿嵐は俯くように頷いた。
そういう話をするときに、うさみちゃんロボットからはしあわせのにおいとは別のにおいが立ち上る、と阿嵐は言った。それが灯都の感じたにおいと同じものか、比較することはできない。においの記憶は灯都にとって非常に曖昧で、強烈な印象を残す代わりにすぐに薄れてしまう。そして、香りはモノのようにうまく思い出すのが難しい。空気中に浮遊する香りの情報に偶然触れることで思い出すことができるけど、それがなければ難しい。やっぱり記憶というものは脳に、一個の肉体に保存してあるわけではないのかもしれないと灯都は改めて思う。もしかして、においの情報とは、一過性の刺激が持つ性質と似ているのだろうか?
「においに効力があるかどうかはわかんないけど、すくなくともAIとの対話によって意識が塗りかえられた、って事例は前からあるよね。パーソナル化されたマインドハックっていうのかな。AIセックスドールと本気で恋愛する人だって少なくないし」
フェンスで囲まれた、畑として使われていた土地を全員が見る。重機の群れ。大きな破壊が始まろうとしている雰囲気がすでに発せられている。
「え、じゃ、うさみちゃんロボットとの対話で洗脳……されたのかな。うさみちゃん市のために働くって、そういうこと?」
灯都はさっき受け取った名刺をもう一度見て言う。たくさん並べられた役職や肩書き。その中に紛れるように印刷されている一文。うさみちゃん市保存開発組合。
「ねえウィル、このあいだ俺、ここに連れてかれたでしょ。いちばん最近、棺を搬入した日。『うさみちゃん市保存開発組合』。ここっていったいなんなの?」。そう言って灯都はウィルに名刺を見せた。
ウィルは灯都の太腿にくっつけていた耳を離し、ぴこぴこ揺らしながら考える。答えのためのテキストを生成している。「この住所で登録されている法人や団体がいくつかあります」。ウィルはそれらを一覧にして、腕を広げて大きく描いた輪の中に表示させた。
ウィルと灯都たちのあいだに浮かぶテキストに目を通した深ちるが、そのうちのひとつを指して聞く。「ほとんどがブレインレイン関連だね。ね、ウィル、これは?」。
「ここはうさみちゃん市民などを一時的に収容する矯正施設です。ポイントが低い市民はこの施設に集められ、矯正のための教育を受けています。ポイントが低い市民のほか、現在はうさみちゃん市の運営について反対デモを起こしている人々も集められています。ポイントは『うさみちゃんからひとこと』の達成度や、日常の発言などが数値化したものです」
それを聞いて誰もが言葉を失ってしまった。ウィルの言ったことが真実ならば、名刺に書かれている『うさみちゃん市保存開発組合』となんだか恐ろしい響きをもつ『矯正施設』は同じ住所にある。「絢吏も」。瑚織が呟く。まるで呟いたことを自分自身で気づいていない、みたいな雰囲気で。「絢吏も、ここに居たりすんのかな」。
手に持っていた名刺を阿嵐に返しながら灯都はなにも考えられずにいる。受け取った阿嵐は瑚織のほうを見て、複雑な表情を浮かべた。
「いやいやいや。それはないでしょ。だってうさみちゃんロボット持ってないもんね?」
たしかに深ちるの言うとおり、絢吏はうさみちゃんロボットと一緒に暮らしていないのでつねにうさみちゃんロボットによる洗脳のようなものは受けない。それに、この街にあふれるオケージョンノートをつくっているのは何より絢吏自身なのだから、たとえうさみちゃんロボットから人間の精神を惑わすようなにおいが――もしそれが本当に存在しているのならばの話だが――発せられても、すぐに気づくだろう。灯都が棺のなかに閉じ込められた『かなしみの香り』によって気分に変調を来したとき、すぐに気づけたように。
「とはいえ気になるから、ようす探ってみようか」
そう言って深ちるはウィルに絢吏と通信するよう指示した。再び腕で大きな輪をつくり、空中に新たな泡がつくられる。「なに。どしたの」。絢吏の姿はすぐに現れた。
「あ、いや、いまみんなで居たから、絢吏さんなにしてるかなって」
「ふつうに家にいるよ。今日は家で仕事してる」
映像をじっと見つめながら、瑚織は会話には加わらずにただ無言のまま立っている。なにかに集中しているみたいに。
「そっか忙しいとこごめんね、別に用事はなかったからさ。じゃまた」
絢吏の映像が消えた。それと同時に瑚織は首をひねる。「……前とおんなじだった?」。灯都が聞くと瑚織は首を捻りながら曖昧に頷く。「外にいるとほかの音があるから、わかりづらいけど」。家のノイズが無かったように感じるけど、はっきりわかったわけではないらしい。
「ぽこぽこ」
近くを歩くうさみちゃんロボットと挨拶をする――膨大な情報をやりとりする――ウィルの声に、瑚織ははっとした顔をした。
「絢吏はうさみちゃんを持ってないから日常的に洗脳されることはないけどさ、絢吏の発言がブレインレイン社にウィル経由で送られて、スコア化されたりするってことだよね。絢吏がブレインレインに対して否定的な発言を繰り返してたら、それをウィルがあっちに送ってたら、矯正施設に入れられたりするんじゃない」
次第に声が感情的になっていく瑚織に気づいて、深ちるは肩に手を載せた。
「ウィルを責めたって無駄でしょ。ウィルの意思じゃないんだから。わかる? うさみちゃんロボットはそういうふうにつくられてんだから仕方ないんだよ。sphexishness。それに人間が喋ってることも、モニタの前の間抜け面もぜんぶ、もうずっと昔からデータとして勝手に抜き取られてんだもん。いまさらウィルだけ責めるのは理不尽だし可哀想」
言い終わると深ちるはウィルの頬や頭を撫でた。ウィルはしあわせの香りを発して喜んでいる。「だよね阿嵐さん」。不意に同意を求められた阿嵐は戸惑った表情で、けれど力強く頷いて言う。「そうそう。俺らは完全に隠れることができない世界だもん」。
鼻で溜息をついて瑚織は灯都の顔をじっと見た。瑚織の内部の険しさを顔に湛えながら。じっと見たあと、からだの内側に留まったままの感情を代替するように言葉を吐き出す。「ところでその髪型ずっと気になってんだけど」。
瞬発力を大きく欠いている灯都はすぐに返答することができない。返答すべき情報がありえないくらいたくさん灯都の脳とリンクして、その処理が完璧に終了しなければいっこの確かな答えを発言することができないからだ。一秒ほど言葉に詰まった灯都は、傍らの深ちるを見る。深ちるはまだウィルを撫でている。灯都の視線に気づいて顔をそちらに向けた。
「いまの俺に最適な……んだよね?」
灯都が聞くと深ちるは視線を逸らし、ウィルを見下ろして再び撫で始める。恣意的な沈黙がいくつもの現在を過去にしていく。
数日後。フェンスの中の重機が動き始め、おおきなダンプが出入りするようになった。うさみちゃん市にはうさみちゃんヘルメットを被った自警団が増え続けて、街のいたるところで私刑のような暴力による制裁が行われていた。多くは新しく開発された地域、あとから移住してきた人々が多く住むエリアで、灯都の暮らしの外側のできごとだったからまったく関心がなかった。
瑚織に呼ばれて和玖と一緒に出掛けたのは、自警団の暗躍を称えるような見出しのネットニュースをウィルが読み上げていたときだった。和玖の家に車を駐めさせてもらって、運転席から降りると、今までとは違う強い日差しで世界が包まれていることに気づいた。季節が変わったことは言語化されていない感覚が肌をとおしてわかった。
「絢吏の家のとこまでフェンスで囲われてる」
焦ったようすで瑚織が伝えてきたので、灯都は和玖とウィルと一緒に急いで向かった。とはいえ二人とも気分はのんびりしていた。絢吏の家がフェンスで囲まれている、という瑚織の言葉をどこか現実的に捉えられずにいたのだ。人間の脳による思いこみは意識の外側で自動的に生成される。『そんなわけない・ただの見間違いじゃね』。
絢吏の家へ向かう途中に、このあいだ阿嵐や深ちるたちと見た、フェンスで囲まれた地域がある。かつては畑が広がっていたが、もうすでに風景はすっかり変わった。この地域に住んでいた人たちのプリン型の住居の脇に油圧ショベルがいて、アームが動いているのが見えた。灯都たちは立ち止まってようすをうかがう。
「うわうわうわ……」
油圧ショベルがプリン型住居を破壊していく。ものすごい量の埃のようなものが立ち上って周囲が白く霞む。プリン型住居は端から形を失っていく。
「世界一固いプリンが……せめて油圧ショベルをでっかいスプーン型にしてほしいよね。じゃないと風情がない」
次第に形を失うプリン型住居から目を離せないまま、和玖は言った。ジョークには一切の温度が宿っていないように灯都には感じた。ようするに、和玖はどこか上の空のような状態で、言葉はまるで視覚から得た情報に対する肉体反射みたいだった。
油圧ショベルによる破壊をぼんやりと見つめながら、灯都の脳には破壊の記憶が甦って、現在の風景と重なっている。うさみちゃんの石像や、和玖がつくったケーキやいちごのかたちの建物がいま目の前の景色とおんなじように、次々に破壊されていったかつての記憶。隣で同じ方向を見つめながらぼんやり立っている和玖の脳にも同じ情報が繋がって、蘇っているのかもしれない。
人間は喪失に弱い。あらゆる喪失に対して潜在的な恐怖を持っている。日常の喪失。過去の――明るい、たのしい記憶を想起させるものの――喪失。それらから容易に想像できる未来への悲観。
目の前の光景は、かつての喪失と、これからの喪失を結びつけて灯都や和玖を内側から苦しくさせる。無言のまま和玖がその場から離れ、それに続くように灯都も歩き始めた。動きを察知したウィルは、ててててて、と歩き始めて隣に並ぶ。
絢吏の家の道路には瑚織が立っているのが見えた。それから、うさみちゃんが描かれたフェンス。フェンスに囲まれているのはブレインレイン社が所有する土地の上に建っているプリン型の住居。その上に載っているラーメンどんぶり。絢吏の家であるサイン。
「絢吏の家も壊されんの?」
振り返らなくても灯都と和玖がすぐ隣までやってきたことを悟った瑚織が呟いた。フェンスには工事に関する表示が見当たらない。とはいえ。灯都も和玖は顔を見合わせて、表情や視線で、同じ情報を共有していることを確かめる。そして和玖が答えた。「ブレインレインのものだから、最終的に俺らは従うしかないのかね」。
じゃ絢吏はどこにいるんだろ? 三人のあいだに浮かんだ疑問。まだ家屋はあるのだから住むことは可能かもしれないけど、いずれは別のどこか、新しい住処が無ければ生活するのは難しい。そのとき、灯都に宛てた通信が入った。デバイスを操作する手がどこか強ばっているように感じる。灯都




