6-₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎ (前)
₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎{6-₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎ はちょっと長くなったので前・後編にわけて公開します
がさあ、あんなふうになったらどうなると思う? 災害起こったらやばいよ、全員が飢え死ぬよ。先の大戦で実証済みだろ? 首都圏には食べ物がなくなって、たくさんの人間が飢えて雑草食って、それすらなくなったんだから」
灯都は瑚織と深ちると並んでいちご味のアイスクリームを囓り、阿嵐の話を頷きながら聞いている。全員の視線はすべて同じほうへ向いている。大きな重機とダンプカーの集合。日差しが日に日に強くなっていく季節になってきて、地上にあふれるものすべてに――人間という〈モノ〉も含まれる――光が注ぎ、白く照らされ、地面にはそれぞれの影がまるで静止した付属物みたいに溜まっている。
「住宅部分がなくなるだけかと思ってたけど、畑とかもなくなるの?」
「管理する人がいないからって」
阿嵐が言う。目を瞑り、耳介を指で折りたたんでアイスを噛み砕く肉体の内側の音を聞いていた瑚織ははっとしたように目を開き「そういえば留守っぽい家が多かったけど」と言って灯都を見る。「このあいだ絢吏の家が暗かったの、覚えてる?」。
瑚織とのあいだで情報のつぶつぶが共有されて――それは個別の肉体でそれぞれ処理されるから、同じ情報でもまったく同じものを共有するわけではない。ようするに、同じ対象物を見ているわたしたちは、わたしたちの肉体の位置が少しずつ違うから別の角度から見ていることになり、まったく同じものを見ているとは言えないのと同じだ――このあいだの和玖の家でのできごとが灯都の脳のなかに蘇る。いちご味のにおいを鼻の奥に感じながら頷く。
「絢吏さんがへんだった夜のことだよね」
「そうそう。そんとき、まわりの家も留守が多かったなって」
「なんだろ。みんなどこか引っ越してっちゃったのかな」
フードプリンターでつくったといういちご味のアイスクリームは、囓ると中からいちご味のソースがてろーんと垂れてくる。すべてが、いちご味、という人工物の香りと味に支配されているチープなアイス。阿嵐はアイスのバー――バーは白樺ではなくプレッツェルでできていた――を奥歯で噛み砕きながら「かもしれないし」と言って、そのまま黙ってしまった。
黄色いフェンスに囲われた内側には、雑草が無造作に伸びすぎた畑が広がっている。つい最近まで、ここには畝が伸びていて、なにかが植えられていたような気がするがはっきり思い出せない。ここで作業をしていた人たちもいたけど、今は見えない。作業の手伝いをするうさみちゃんロボットも、力士ロボットの姿も、いまはまったくない。
ここにあったはずの生活とか日常、人間がいなくてもつねに感じられた体温のようなものが、いまはもうない。
やがてこのあたりは無機質な土に覆われて、無機質な建物ができあがるのだろう。このあいだの和玖の声が灯都の脳にまるでいま聞いているみたいに鮮明に再生される。『なんだかね。支店文化的な街になっちゃったね。いままでの結果を教科書的になぞってできた街みたい。ぜんぜんおもろくない』。支店文化のまちにはその土地の風土も特徴も残らない。残るのは、かつての光景を知る者だけが繋がる情報のつぶつぶだけで、それらもすぐに繋がりをなくす。人間は忘却のいきものだ。
「……かもしれないし、?」
深ちるが聞くと、阿嵐はちらっとウィルのほうを見た。視線を察知したウィルは顔をそちらへ向けて微笑む。阿嵐は微笑みを返す。そのとき、灯都にも瑚織にも受信できない情報のつぶつぶが、深ちるの脳にだけ反応したらしかった。深ちるは目の周りを一瞬だけ強ばらせる。
「え、深ちるはなんか知ってんの?」
いちご味のアイスに齧り付きながら、深ちるはきょとんとした顔で答える。「知らん。なんで?」。
「いまそれっぽい顔してたから……なんだ気のせいか」
「知ってんのは阿嵐でしょ。あとウィル」
食べかけのアイスの先を阿嵐とウィルのほうへ向けながら深ちるは言った。灯都はウィルを見る。ウィルは灯都の隣へやってきて、耳を太腿の脇あたりに、ぴと、とくっつける。
「いや、知ってるというか。なんかここ最近、へんだなって思うことがあってさ。久しぶりにこのへん借りしている人たちと話す機会があってね。……ここにもともと移住してきた人たちだから、自分たちの仕事にはもちろん誇りを持って毎日作業してる。そうだろ?」
阿嵐の話に灯都たちは無言で大きく頷く。ウィルの耳が太腿の脇に擦れる。
「でも、このあいだ会った時、『自分はうさみちゃん市のために働かなきゃだから、畑はぜんぶ売る』って言い出してさ。それが一人二人じゃなくて。ここに住んでると考えかたが変わるのかなあとか思ってたんだけど。そんで、これもらって」
そう言って阿嵐はトガのような制服のポケットから――この制服には胸のところに内ポケットがついている――名刺の束を取り出した。近くにいた瑚織が受け取る。そして一読すると、解読できない文字を見たときのような表情を浮かべながら深ちると灯都に渡した。
名刺には中央にゴシック体で名前が印刷されている。その上には細かい文字がてろてろ並んでいる。そのすべてが非現実的なものに灯都には感じられる。文字から浮かび上がる、隠された偽り。たくさんの役職や肩書きには統一感がないが、まったくの嘘やでたらめではない。実際に存在する役職や肩書きだけど、どこか現実的ではない。
その羅列のなかに『うさみちゃん市保存開発組合』という文字を見つけて、こんどは灯都が目の周りを強ばらせて、無意識にからだを瞬間的に揺らした。それに気づいた深ちるが言う。「え。灯都なんか知ってんの」。
「ぽこぽこ」
甘えるようにくっついたウィルの耳を撫でながら、灯都は先日のことを簡潔に話した。「このあいだ、ウィルが何度もそこに誘導した」。ブレインレイン社からの帰り道の誘導。駐車スペース。モッコウバラの生け垣。ウィルに聞いたら『うさみちゃん市保存開発組合本部』がこの近くにあるのだと言っていた。
「へー。どこにあんの?」
「ブレインレイン社に回収した棺を搬入するんだけど、その近く」
「てことは、ブレインレイン社と関係あるのかな? そこの……副理事長。こっちは監事になってる」
いちご味のアイスを食べ終えた瑚織は、なにか考えごとをするように重機のならぶフェンスの向こう側をぼんやり見つめている。阿嵐も同じように、なにかを見ているというより、視線が内向きになっている状態が外側から見たらぼんやりしているように見える、みたいな感じでどこかを見ている。
「そういえば」。アイスをすべて食べ終えた瑚織がひとりごとみたいに呟く。「いつだったか、絢吏もそんなこと言ってた気がする」。
「え。絢吏さんもこの組合の関係者なの?」
ぼんやりどこかを見ているように見えた――人間の中枢となるなにかが完全に肉体から離れていた――阿嵐が、目玉に力を――それは人間の本質にはまったく関係のない、地上における肉体のためだけの『力』かもしれない――宿してすこし驚いたような声で聞く。
「うーん。どうだったっけ。正直あんま覚えてないっていうか。興味ない話題だったから」
興味ない話題だったから、という理由に灯都も瑚織も共感していたが、阿嵐は頬やこめかみをすこし赤くして「興味なかってもさあ」と言った。普段は隠している、幼少から親しんだ言語やイントネーションは精神が昂ぶったときに不意に現れるものだ。
「山に入るとき、ブレインレイン社のうさみちゃんロボットを連れてくんだけど」。阿嵐は〝ブレインレイン社〟とわざわざ強調して話し始める。山での作業を手伝ううさみちゃんロボットを所有しているのは誰もが知っていることなので、灯都たちは自明の雰囲気をはらんだ相槌を打つ。
「そのロボットたちと話してるとさ、作業に関することじゃなくて、日常的な雑談だけど。いつからか『うさみちゃんからひとこと』を言うようになって」
「あ、それはウィルも言うようになったよ」
「ね。その日の行動指針ていうか。ちょっと行動を操られてる感じがするっていうか。でも街の人たちはけっこう従ってたりしてるの見て、そういうものかなって思ってたけど」
ちょうちんを持って広場に集まっていた人々の記憶が灯都の脳に結び付く。うさみちゃんロボットが提案する話題に簡単に反応して行動するのは、それが個人的な利益に直結しているからだ。阿嵐は灯都の太腿に耳をぴったりくっつけているウィルを見て微笑み、話を続ける。
「最近になって、うさみちゃんロボットの言うことがすこし変わったっていうか。なんていうのかな。ロボットオーナーの自我を過剰に肯定するっていうか。でも人間って肯定されて普通に嬉しいじゃん。だから毎日、良い気分で聞いてるわけなんだけど。それと同時に、俺っていう人間の根幹を揺さぶるようなことも言うわけ。ウィルはそんなことないと思うけど」
「そだね。ウィルは」。灯都はまばたきをして言葉を続ける。「ブレインレインのじゃないからね。正確には」。




