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アナバチ性ミントブルーうさみちゃんシティ  作者: 夏果和 なまり


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5-₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎ (前)

₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎{ 5-₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎ はちょっと長くなったので前・後編にわけて公開します

くる人々が増えているという。「まだ見たことない」。灯都は鏡のなかのちると目を合わせて答える。

「なんかね。この近くにも来てて最近」

 灯都の目の前には大きくて丸い鏡を持ったウィルが立っている。ウィルはそうして、深ちるが灯都の髪の毛を切り終わるまで、じっと動かずに鏡を持っている。

 深ちるは理容師と美容師の資格を所有している。理容師を目指したのは単純な動機だった。中世ヨーロッパでは理容師が外科手術を行っていたという史実への子どもっぽい憧れ。なんでもできるマルチなイメージ。そして資格取得した深ちるは、腕は確かなのに、客の言う通りに切ることができない。

 どんなに複雑なカットもセットアップも、深ちる自身の勘のようなものと、物心ついたころから育んできた理容への情熱による独自の技術によってすべてのイメージを形にすることができる。でも、客からのオーダーが客自身とのあいだで美しい相関を描く可能性が低いとか、深ちるの頭に浮かんだイメージと全く違う方向性だとか、深ちるにとってまったく納得がいかない場合、その通りに切ることができない。だから独立して、この街にやってきた。それ以外の生きかたが、どこにもなかった、と移住してきたばかりのころ深ちるは言っていた。その息苦しさのようなものはもともとの住人たち誰もが知っている。

 それに、うさみちゃん市のサロンでは人間が働いていない。最新のスタイリングマシンとヴァーチャル鏡が並んでいるだけだ。ヴァーチャル鏡が提案する髪型や髪色やメイクが、鏡に映る客自身の姿にシミュレーションされる。客は映像を参照しながらヴァーチャル鏡と相談し、スタイリングの方向性を決め、そしてスタイリングマシンがカットやカラーやパーマやメイクを施す。床に落ちた髪の毛はうさみちゃんロボットが掃除するし、マシンは自動洗浄されるし、薬剤の補充はマシンのメンテナンスを行う専門の技術者やうさみちゃんロボットが各店を巡回している。

 深ちるはスタイリングマシンの監修のために週に三回、決められた曜日の決められた時間にブレインレイン社へ通っているが、本音を言えば、カットウィッグじゃなく、目の前で生きている人間の髪の毛を触りたいと言う。髪の毛にはその人の人生すべてが詰まっているから。

 昔から、髪には念が宿っているとも言われているとおり、深ちるは髪の毛に触れるだけでその人となりがある程度わかるという。同じ人間でも、人生のタイミングによって髪や髪に宿る情報はまるで違う。それが、生きている人間と触れあっているという実感で、髪と手を伝って深ちるに流れて来る情報――のつぶつぶへのリンク――を感じることは深ちるにとって、生の実感につながるのだという。

 うさみちゃん市のサロン利用者たちは、もちろんスタイリングマシンに監修者がいることなど知らない。無限の提案を可能にしたスタイリングマシンは、AIの自主学習によるものだと謳われているからだ。とはいえ、人間のあいだで凹凸する流行も『なんかへん』『なんかいい』の価値観も、人間が教えてあげなければ自主的に学ぶ事は難しい。うさみちゃん市にもともと住んでいる者たちはみんなこうして、日陰で生きている。養分を吸い取られながら。

 とろとろの艶をまとう鋏が灯都の毛先を切り落とす音と、数秒遅れて、床に髪の毛がてきとうな束になって次々に落ちる音。灯都は鏡を持つウィルを見つめながら、この場にしかない音を楽しんでいる。そもそも、髪を切ってもらうためにここに来たわけではなかった。明琉がしぼりたての牛乳を使ってつくったジェラートのお裾分けに来ただけだった。

 ジェラートを持ってプリン型住宅の玄関に立つ灯都を見た瞬間、深ちるは一瞬で表情を曇らせ、「うおおおおおお」と唸った。灯都が怯む隙は無かった。「おおおお。なにその髪。なにそれちょっとこっち来て」。そして素早くジェラートを冷凍庫に仕舞い、ウィルに椅子と鏡を運ぶのを手伝わせ、灯都を座らせた。それから鏡に映る灯都をのぞき込みながら髪の毛に触れ、うんうん唸りながら悩んだ末に、ようやく鋏を入れ始めた。

 しばらく唸りながら鋏を入れていた深ちるも、次第に求める美しさが灯都の髪の毛に宿っていくにつれて普段のように会話を始めた。そこで自警団とかいう人々の話題になったのだった。

「自警団ってくらいだから、なんつーか、いいことしてる人たちなんでしょ?」

 灯都は鏡を持ったまま一ミリも動かないウィルに目配せをしたり、キスを送ったりして実験する。それは人間が無意識に相手に求める忠誠のようなものを計りたくなる気分と、ウィルがもつ能力の高さを知っているのに今一度確かめたい気分からなる態度だ。

 ウィルは灯都の目配せを確かめると、鏡を持ったまま、鏡のうしろにはみ出しているウィルの左目をウィンクさせた。鏡はまったく揺れない。キスを送ると、鏡のうしろですこしだけ首を傾げるようにしてキスを送ってくる。鏡はまったく揺れない。人間なら二人がかりで運ばなければならないくらい重い鏡なのに。灯都は感動して、いますぐにウィルのそばにいって頭を撫でたかったが、下手に動くと鋏でどこかしらを傷つけられそうでやめた。灯都が閑そうに見えたのか、ウィルは自身の顔をあだち充ふうの顔に変化させて、クイズを出す。「これはどのキャラでしょう?」。

 しばらく鏡を持つウィルに気を取られていて、鏡の中の自分の姿をまったく見ていなかったので、灯都はふと視線を動かしたときに初めて、変化した自分自身に気づいたのだった。「えまって」。灯都は鏡に釘付けになってしまう。脳から目の奥が固まっている。

「深ちる、……この髪型なに?」

 深ちるは問い掛けに答えない。目の前の毛先と、鏡の中の灯都の全体像と、鋏と、それだけの世界の中にいる。そういうときの目をしている。黒目に、目玉が物理的に持つ〝大きさ〟をまったく無視し、あまりに深淵な奥行きが現れる。これは数値化した目の前の世界では説明できない現象だ。こういうとき、没頭した人間はここにいるけどここにはいないのかもしれない。ここではないどこか、それは〈ここ〉と鏡映しの、まったく別の世界にいるのかもしれないと灯都は思う。ここにいる灯都と、ウィルが持つ鏡の中の灯都の世界がふたつ同時に進行しているのと同じで。

 もはや話し掛けても反応しない深ちるは、灯都の隣にある全く別の世界で作業を続けている。作業完了まで――その〈完了〉は深ちるの満足以外、要件を満たすことは決してない――灯都はすべてを成り行きに任せる以外の選択肢を持たない。視線を、鋏を持つ深ちるから鏡の中の灯都へ戻して、すぐにその脇のウィルへと移す。ウィルは灯都の視線が向いたのに気づいて瞬きする。視線にも人間には見えないだけの、別の次元では有形の、情報が詰まっていて、目から、もしくは目の周りのはっきりと定まっていない箇所から、もしくは人間の脳から直接発せられている。だからウィルにも気づける。人間だけの情報伝達方法というものは存在しないのかもしれない。

 しばらくのあいだ、無言と、鋏と髪がつくる拍、髪の毛が床に落ちる重唱だけが続いた。灯都の左側の頭部だけに冷たい風があたるのを感じる。背後から覗き込む深ちるの顔が鏡の中で灯都の顔に並ぶ。そして深ちるは満足そうに「よし」と言って、灯都の肩に残った髪の毛を払った。

「できあがり……なわけないよね? こっちは? こっちは?」

 鏡ごしに灯都は髪の毛を指さしながら訴えた。訴えたい、という自我が強すぎるせいか、言葉がまるでうまれてこない。ただ口から出て来るのは焦燥に溶けて残った滓のような単純なことばだけだ。「ねえ、こっち。終わってなくない?」。

「ウィルありがとう。もう鏡おろしていいよ。さっきのとこに片付けてもらえる?」

 訴えを無視して深ちるはウィルへ微笑む。ウィルは「りょうかいしました」と言って鏡をおろし、もとあった場所へ片付けに行った。仕上がりを確かめながら深ちるは独り言のように灯都の天頂へ呟く。「もうあんなへんな髪になるまでほっといたらだめだよ」。そして洗髪のため、灯都が座っている椅子の脇にシャワーボウルを持ってきた。目隠しされた世界で髪の毛をわしゃわしゃ洗われている灯都の脳には、さまざまな思いが巡っている。左右でまるで違う長さの髪型にフィックスした現在位置と、フィックスしていないこれからにおける可能性について。

 作業を終えてひと段落した深ちるは、ウィルがテーブルの上にボウルとスプーンを用意しているのを見てようやくジェラートのことを思い出した。冷凍庫から取り出し、ウィルに盛り付けを任せる。美しく均等に盛りつけられたふたつのボウルは見分けが付かないほどまったく同じにジェラートが盛られている。

「べつに気に入ってるけどさ。どうして俺はこの髪型になったの?」

 乾いたばかりの髪の毛を左右に振りながらテーブルに着き、スプーンでジェラートを崩しながら灯都が聞く。すでに一口食べて感動している深ちるは、しばらく感動で黙ったあと、喉を上下させて飲み込み、答える。「うま。これがとれたて牛乳のうまさなんだ」。そして灯都の質問を思い出したように、目を見つめ、返答すべき言葉を探して言った。

「なんだろ。いまの灯都には非均質性ノンホモだなって思ったんだよね」

 深ちるはジェラートをスプーンの先で強調するように指した。まったく伝わらないが、ようするに、いまの灯都にはこの髪型が一番似合っている、ということと、ジェラートが美味しいことだけはよくわかった。灯都もスプーンですくって一口食べる。素材そのものがもつ甘さとうまさが舌の上にひろがる。おいしい、とはこういうことだと思う。おいしいと脳が感じるようにつくられた加工食品とは違う部分で、人間の肉体の深部で感じる〈おいしい〉。それは細胞やもっと小さな、人間をかたちづくるもの、肉体ではなく〈人間〉を形成するものが満たされているという感情に繋がっているのかもしれない。

 おいしいとしあわせだけで構成されたテーブルとジェラートの世界は灯都と深ちるとウィルのあいだで完結していたはずだった。けれど、深ちるの家の外側から、おいしいとしあわせの世界の中に外部へ意識を向かせる騒音が飛び込んできた。人と人と人と人とのあいだで言語が雑に飛び交う、ぐちゃぐちゃなワイヤーメッシュの大きな塊のようなものが近づいて来る。

 灯都と深ちるは窓の外を見た。ふたりとウィルがいるテーブルからは角度的に外のようすが見えなかったので、立ち上がって窓際へ行った。深ちるの家の前に停めた灯都の車、その脇の道路をたくさんの人間が歩いてくるのが見える。

「さいきんあの団体が出没するようになったよね」

 窓の向こうから目を逸らさずに深ちるが言う。灯都はウィルを呼び、ててててて、と隣にやってきたウィルは窓の向こうの人々をカメラの目で追う。

「みんな似たような格好してるけど微妙に違うね。あれが自警団ってやつなの? 自警団の制服?」

 灯都が聞くと、深ちるはなにかを言おうと口を半分開けたまま、首を傾げながら振った。たぶんちがうのポーズ。窓の外から次々に響いてくる大きな声に驚いたように、再び目をそちらに向ける。

 道路を歩いている人々には特徴がある。全員がソフィースカーフを身につけて――けれど誰もが違う色の違う素材の違う長さの違う巻きかたをしている――、ぴたぴたのカットソーと――誰もが略――ぴたぴたのダメージデニムかツイルのスキニーまたはテーパード――略――、という格好をしている。でも全体的に統一感があるわけではない。

「あれは制服じゃないよ」。ウィルが答える。みんなで似たような格好をして活動しようという方向性の団体なのかもしれない。理由はわからないが。

 人々のかたまりの真ん中を歩いている誰かが、マイクをつかって言う。「うさみちゃんシティはにおいで人間を操っています。街じゅうに漂うにおいは人工的に作られた化合物、いわば人間にとって危険なものであります。このにおいには、人間の中枢神経を破壊します」。そして周囲が拳を上げながら続く。「そうだそうだ」。どこか茶番というか、見え透いた低劣なコントに見える掛け合いは続く。「うさみちゃんシティは危険な街!」。そして集団の声が続く。「そうだそうだ」。

 うさみちゃん市の住人への親切なアナウンスのような内容だけど、集団がつくるイメージは攻撃的に見える。集団でぞろぞろ歩いている人々は、絶えず、周囲に鋭い視線を走らせ続けている。その視線が、窓のこちら側にいる灯都や深ちると衝突するのをおそれてふたりはなんとなく窓際に隠れて外の様子をうかがっていた。たぶん窓の外からはウィルの顔と耳だけが見えている。

「いまどき、あんなデモ行進とかまだある……」

 向こうに聞こえるはずのない声を、けれどなるべくひそめて灯都が言うのと同時に、あらたな叫び声が近づいてくるのが聞こえて来た。なにか叫びながら、別の集団が全力疾走でぴたぴたの服とソフィースカーフの集団に突進する。背後から不意打ちのように肉体をぶつける集団の人たちは全員、うさみちゃんを模したヘルメットを被っている。ヘルメットもしくは頭部だけの着ぐるみ。

 肉体と肉体はどのスポーツでも禁じられている方法で激しくぶつかり、そしてぴたぴたの服とソフィースカーフの集団の不規則なまとまりは崩れていく。集団の中にうさみちゃんヘルメットの集団が交じり合い、暴力があっという間にこの集団たちを支配する。馬乗りになって拳で殴る者、数人がかりで道路に転んだ人間を蹴り上げる者、持参した棒――棒の先っちょにはうさみちゃんがくっついている――を相手の顔や頭部に振り落とす者。

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