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アナバチ性ミントブルーうさみちゃんシティ  作者: 夏果和 なまり


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14/15

5-₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎

 のは、うさみちゃんの壜だった。壜。「これ持ってったら店で新しい壜にお水入れて売ってくれんだって」。一緒に夕食をとることになった瑚織が言う。テーブルの上にはうさみちゃんのかたちをした壜が直立している。

 灯都は驚きというよりなにか気味の悪さを感じながら、直立するうさみちゃんの壜を見つめている。うさみちゃんの目の上あたりまでお水が入っていて、耳と耳のあいだから飲み口が伸びているのでうさみちゃんというより別の生物に見える。気味の悪さは容姿ではない。この壜の存在だ。

「え、これ売ってたの? 瑚織さん買ってきたの?」

 さっき飲食店が販売していた日本酒を、五合瓶から酒器に注ぎ、和玖が振る舞ってくれた。灯都はそれを一口飲んでありえないくらいの美味しさに感動しながら瑚織に聞いた。

「配ってたんだよ。ブレインレインの近くでサンプリングしてたみたい」

 直立するうさみちゃんのお腹にデバイスを翳すと広告が現れた。うさみちゃん壜をお店に持って行くとサーバーからうさみちゃん印のお水を注いでもらえる。ごみの削減につながってとってもエコ。うさみちゃん印のお水の販売価格はペットボトルに入っているお水よりすこしだけ安価に設定されている(だから今までよりたくさんお水が買える!)。壜はブレインレインがうさみちゃんシティの各商業施設に回収用うさみちゃんを設置して、そこで新しい壜と交換することができる(要交換費用)。

 壜には種類があり、うさみちゃんシティで採れた石を砕いてガラスに混ぜたものもあって、ガラスには美しい色が現れる。そのガラスで造られた壜は生産数が限られるので、通常の壜より高価だけど、限定販売というかたちで今後展開する。

 という広告にはコメントがたくさんついている。なんで今までなかったんだろう。うさみちゃんシティのお土産に買って帰るつもり。うさみちゃんシティにしか売ってないなんてレア。壜の値段高くない? 専用の壜じゃないとだめなの? ネガティブなコメントを書き込んだアカウントにはブレインレインからの丁寧な返信がくっついている。

 ペンダント型のデバイスを翳すのをやめ、灯都は無意識に目を大きく見開いている自分にようやく気づいた。「灯都どしたの。すごい顔してる」。和玖の家のいたるところに床から生えているきのこ――型の椅子――をまるで犬の散歩をするみたいに移動させて灯都の脇へ持ってきた和玖が言う。きのこ椅子の土台は金属と木を組み合わせてつくったとても重いものらしいけど、その底面には磁力が発生していて床から僅かに浮いているから簡単に移動することができる。

「このあいだ絢吏さんが、どの店もお水だけで売ってくれないって愚痴ってたんだよね。壜持ってくからその中に入れてくれたらいいのにって」

 和玖と瑚織は顔を見合わせた。そして灯都を見る。「ああー……」。声が揃う。「カスタマーの意見が取り入れられたってことね。表向きは」。和玖が言う。そして、瑚織は諦めと呆れの顔で目を瞑り、首を振る。「いつもの」。

「絢吏さん知ってんのかな」

 それを聞いてウィルは腕で大きな輪をつくり空中に映像を投影させて聞く。「絢吏さんとつなぐ?」。

「さっき絢吏の家の前通ってきたけど、まっくらだったよ。どっか出掛けてんじゃない」

 ひらたけみたいな形をした――ただし色は鮮やかな鴇色で彩られている――テーブルに置いた酒器を持ち上げながら瑚織が言う。このテーブルも椅子と同じように、僅かに床から浮いているので重いのに移動がとても簡単で、使わないときにはまとめて部屋の端に片付けることができるが実用化されていない。

「あんまり夜、出歩かない人なのに珍しいね。まあそういうこともあるんだろうけど」

 ウィルはさっさと絢吏との通信を始めて、空中に浮かんだ映像にはまだ半分が空白のふたつの画面が浮かんでいる。とはいえ、留守にしてるっぽいし、出掛けてるなら繋がらないだろうと灯都は画面を注視していなかった。

「なになに。どしたの」

 だから画面から声がしたとき、灯都たちはすこし驚いた。画面のなかの絢吏はいつものように制服を着て、絢吏の家の中を背景にして映っている。

「え、出掛けてんじゃないの」

 瑚織が聞く。絢吏は不思議そうな表情をして「家にいるよ」と答えた。瑚織は眉間に皺をよせて首を捻っている。もともとの住人たちが住むエリアは、一戸の住宅に対して広めの敷地が宛がわれている。それは、この街がまだなにもなかったころ、各住人たちが自分たちで土地の区画を決めたからだ。各住宅には彼らがしたいことをするために十分な広さの土地が必要だった。ようするに、住宅が密集しているわけではないこのエリアで、瑚織が絢吏の家を見間違った、という可能性は限りなくゼロに近い。

「そだ。絢吏さん。これ見て。このあいだ絢吏さんが言ってたアイデアと一緒じゃん」

 画面に収まるように灯都は、テーブルの上で直立していたうさみちゃんの壜を持ち上げて映り込ませた。それを見た絢吏の顔、というか上半身が左右にふわふわ揺れて、そして驚きの声を上げる。「ええ! かわいい」。

 思っていたリアクションとまるで違ったので灯都はすこし怯む。とはいえ、絢吏が喜んでいるのならそれは素晴らしいことだ。映像の絢吏は食い入るように壜を覗き込んでいる。灯都は壜の触感を絢吏に共有する。優しい凹凸で覆われた冷たいうさみちゃんのからだの表面。

「これはもう発売されてるの? どこに行ったら買えるのかな」

 わくわくした声で絢吏が言う。灯都は言葉にならない違和がじりじりした感覚になって胃の辺りにうろつくのを感じる。この気分の正体はいったいなんだろう? と思うが、言葉がみつからない。〈この感じ〉をあらわす言葉が、まだ地球上にないのかもしれない。人間は、人間に見えないものを〈無い〉と思い込む生き物だ。

「瑚織さんがもらってきたんだよ。配ってたんだって」

「そのうち発売されるらしいけど、詳しいことは知らないんだわ」

 そう言って瑚織は目の前を旋回する虫を追いやるみたいに手を払って、酒器から日本酒を飲み、映像の絢吏をじっと見つめる。すこしだけ顔を傾けて。

「これ、絢吏さんが作ったんじゃないの? ガラスいじんの好きじゃん」

 どこか静寂をまとう空気が灯都たちのあいだに流れている。阿嵐が管理している山で採れたのを砕石して粉状にしてガラスに混ぜた、という、このあいだ絢吏の家で見たガラスの破片を思い出しながら灯都が聞くと、絢吏は大袈裟なくらい笑って否定した。「そんなわけないでしょ。こんなの造れないよ」。違和違和違和。

「へー。……あ、あさって発売なんだって。へー。欲しいなあ」

 絢吏の視線は映像には映らない、下部にあるなにかしらのデバイスに向けられていて、そこでうさみちゃんの壜に関する情報を拾っている。絢吏はどこかはしゃいでいて、うさみちゃんの壜を発売するブレインレインに対して前向きだ。発売日や値段や販売場所、詳細を読み上げる絢吏の声はいつもと変わらないけど、底にある気分のようなものがまるで違うと伝わるものも違う。気がする。

 そして絢吏は唐突に「ごめん明日早いから」と言って通信は切れた。はんぶん暗くなった、空中に浮かんだままの映像をウィルが手のひらに閉じ込めて消す。そして灯都のそばに戻り、灯都が座っているきのこの椅子の空いている部分にまんまるの尻尾だけを乗せる。

 灯都たちのまわりにある静寂の成分を含んだ空気が次第に床に向かって沈んでいく。そのとき、人間の皮膚や感情の温度を、気づかないくらい僅かに影響する静寂から、温かいと冷たいのあいだに無い、べつの〈つめたい〉が肉体に発生するのを感じる。

「え、いまの絢吏さんだった?」

 とはいえ誰も、否定すべき材料をいっこも持っていないのだった。どう見ても絢吏のかたちをしていたし、絢吏の声だったし、絢吏の家っぽい背景だった。灯都は答えのない疑問が静寂の成分を含んだ空気と一緒に床に向かって沈んでいくあいだ、きのこの椅子に意味もなく座り直そうとして、座面に両手をのせて力を入れ尻を浮かせようとした。ウィルの尻尾がそこにあるのを気づかずに、むぎゅ、と手の腹で押しつけてしまって、ウィルは咄嗟に叫ぶ。「きああ!」。

「あっウィルごめんごめん……なにそれ初めて聞く声だわ。……」

 そこで灯都は脳のどこかがなにか――べつの次元に漂う情報のつぶつぶ――に触れたような気がして黙る。ウィルは尻尾を踏まれて一瞬だけぷりぷり怒ったけど、すぐにもとのウィルに戻った。とはいえ、もう一度きのこの椅子に尻尾を乗せるとき、ウィルは何度か後ろを振り返って尻尾をのせるところが安全かどうか確認する仕草をした。

「そう。初めてつーか、なんか違ったんだよなあ。音が」

 天井と自分とのあいだの空中を見上げながら瑚織が言う。そこに記憶が残っていて、参照しているみたいに。和玖は組んだ脚を左右入れ替えて、ウィルを見る。

「ウィルの声のこと?」

「や、違くて。さっきの。絢吏の映像。家のノイズっていうの? 家のなかに流れてる音ってあるじゃん。それがなんか違ったっていうか。ノイズがないっていうか」

 灯都も和玖も、そのノイズというものがよくわからなかった。ウィルに聞くと、さっきの映像は記録されてまだ残っているという。だから三人は息を詰めて、もう一度絢吏と繋いだ映像を見た。耳を澄ませて。

 とはいえ。灯都も和玖も、そのノイズというものを聞くことができなかった。瑚織が言うには、背景に流れている音が家のノイズらしいのだが、絢吏の声と声とのあいだにある無音の中には無音しかなかった。ようするに人間は、見えないものの中にはなにもないと思い、聞こえないものの中にもなにもないと思う生き物だ。

 聞こえないものの中からなにかを探そうとする作業に疲れて――和玖も灯都も、もともとの住人たちほとんがそうだが、興味ないものにはまったく興味が湧かないから労力を費やそうとしない――すでに興味はべつのところに移っている。

「なんだろ。へんなかんじ。なんの音もない」

 映像を見終わって瑚織は首を捻りながら呟く。灯都も和玖も、その〝へんなかんじ〟を理解できなくて残念だったけど、でも別の〝へんなかんじ〟とは繋がっている。違和違和違和。

「なんか喋りかたっていうか、雰囲気ちがくなかった?」

 和玖が首を傾げながら頷く。「わかる。気がする」。

 感覚だけで支配された三人の空間のなかに、感覚を伝えるための、表現のための言葉がいっこも見つかっていなかった。すべてはこの言葉に代替される。「なんかへんなかんじ」。そして詳細は、この言葉がもつブラックホールの中に光と一緒に吸い込まれて消える。

 テーブルの上に直立するうさみちゃんの壜のまねをしているウィルの尻尾が僅かに左右に揺れている。「ウィル」。意味もなく呼ばれたことを知っているウィルはうさみちゃんの壜のまねをやめ、灯都の隣へ近づいてきた。「うさみちゃんからひとこと。うさみちゃんの壜と、うさみちゃんストローが発売されるよ」。そして映像を投影させる。うさみちゃん印のお水を入れるための壜と、ト音記号みたいなかたちにぐにゃぐにゃに曲がっているストロー。そのまんなかの部分はうさみちゃんのかたちに膨らんでいる。

「めちゃくちゃ使いづらそうじゃんこれ」

 言葉はすこし違ったけど、ここにいる全員が同じ感想を反射みたいに呟いた。次の瞬間、三人のあいだに共通の一瞬の停止が流れ、そして笑う。なんにもおかしくないのに笑いが勝手に肉体から生成されてくる。それは静寂が沈んだ床や、へんなかんじ、が吸い込まれたブラックホールに囲まれて緊張していた肉体が、世界がめくれて現実に戻ってきたような感覚があったからなのかもしれないし、たぶん

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