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アナバチ性ミントブルーうさみちゃんシティ  作者: 夏果和 なまり


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15/15

5-₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎ (前)

₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎ { 5-₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎はちょっと長くなったので前・後編にわけて公開します

 、下船したわけではない。なぜなら寄港していないから。ただし。羽哉はフェリーの自室に戻って、向かいの部屋、というか二段ベッド状の居室、すなわち梅小山に与えられていた居室があれからまだ変化していないことを確かめて、考える。

 ベッドの上は、さっきまでここに人が居た、ということを知らせている。通路と居室を仕切る厚いカーテンは開け放たれたままで、布団は雑に端に追いやられ、マットの上には空き缶をまとめた白いポリ袋が口を開けたまま置いてある。

 梅小山と話ながらすこし飲んで、仮眠したあと目覚めたらベッドに梅小山はいなくて、あれから向かいのベッドのようすはまったく変わらない。

 部屋の隅に置いてあった使用していないうさみちゃんロボットもいなくなったいま、羽哉が使用する居室の周囲には誰もいなくなった。上のベッドを使っていた人たちも戻ってこないし、梅小山も戻ってこない。羽哉は三時間後のイベントセッティングのため、きのうのニュースのテキスト読み上げをぼんやり聞きながら支度をととのえる。フードプリンターで作ってきた塩おにぎりを食べる。フードプリンターでつくったおにぎりは常温保存もできるからとっても便利。それに、フィルムが巻かれた状態で出来上がってくるから余計な手間をすべて省くことができてとっても便利。

 のろのろと立ち上がって、羽哉はベッドをあとにした。数時間前から風が強くなったのか、つねに床がゆらゆらしている。やけに踏みしめているように感じる足の裏をのろのろ動かしながら通路を歩いていると、後ろから話し掛けられた。ボランティアスタッフ。羽哉と同じグレードの部屋に泊まっている同じ制服を着たスタッフ。

「おはようございまあす。すっっごく揺れてますね」

 同じ制服を着たボランティアスタッフは羽哉の隣に並んで、同じ速度で歩きながら言う。大きな瞳をばちばち瞬きして、やたら大袈裟に身振り手振りしながら。きゅるんきゅるんで爽やかな笑顔だけど凛斗の笑顔とは違う笑顔だ。

 カラコンで人工的につくったオッドアイのせいでそう感じるのか、それともそういう癖なのか、羽哉がスタッフに目を合わせようとしたらすぐに逸らされた。

「おはようございます。風が強いみたいですね」

 羽哉からの返答を受けてそこで会話が終わったと判断したのか、スタッフは並行しながらデバイスを操作して自分だけの情報の中に入ってしまった。このまま並んで歩くべきか羽哉は悩み、通路沿いに等間隔に設置された窓の外を見るふりをして、スタッフにデバイスを翳す。ツアースタッフ同士は基本的に互いの名前も人となりも素性もまったく知らない。近い配置になった人や、梅小山のように居室が近い場合は互いの名前を覚えたり交流したりするけど、それ以外は個人主義的に暮らし、働いているから、このスタッフの名前も知らないし顔も覚えていない。

 デバイスを通じて情報が浮かぶ。『♨』。現在では誰もがそうだが、業務する際に本名で呼ばれることがない。自分で設定した〈なまえ〉が使われる。羽哉も、梅小山もそうだ。梅小山の場合、人材派遣会社に登録するときに与えられる便宜上の仮なまえをそのまま使用していると言っていた。

 隣を歩くスタッフのなまえは何と読むのか羽哉はしばらく悩んだが、名前の読みを聞くのも失礼な気がして――現代においてアイコンと指向性は明確さとセットになっているのだから――、デバイスを翳すのをやめた。それに、たぶん呼ぶ機会はツアー中には絶対におとずれない。

「あ、そだ。なんか聞いてます? 僕レベルのとこまで話が来るからたぶんあれなんだと思うんですけどお」

 きゅうに、隣を歩いて自分の世界に没頭していたスタッフが顔をあげて羽哉に聞いた。質問だけど、答えるにはとても難しい質問だった。ようするに羽哉には質問の質問たるべき内容がまったく伝わっておらず、答えるべき答えは世界に無限にある〈可能性〉と同じだけの広さに溜まったつぶつぶを持っている。羽哉はきゅるんの瞳を見つめ返し――すぐ目を逸らされた――曖昧な笑顔を浮かべることによって円滑な返答を演出する。その先は相手の解釈に身を任せるしかない。

「えー。……や、ほんとのことかわかんないんですけどお」。そしてものすごく声を絞り、お茶こぼし(spill the)ちゃ(tea)いたい的熱量をたっぷり含んだ囁きで続ける。「あの、僕から聞いたって絶対誰かに言わないでくださいね。絶対絶対」。

 その『絶対』が守れるなら教えてあげる、という取り引きを、羽哉は断るかどうか瞬間的に考えた。直感は言う。『聞いたら損するやつ』。直感の残響がまだわんわんいってるのを感じながら、読みかたのわからない♨を見る。目は語る。『めっちゃ言いたい言いたい聞いて聞いて聞いて』。

「……だいじょうぶ。私、口堅いし。それに、仲良く話をするスタッフとかいないし」

「あ、ですよねえ。僕もなんですう。てか、この仕事ってみんなあんま、仲良くしよーって感じじゃないですもんね。仕事して、はいそれでおわりって感じで。そっちのほうがやりやすいから助かりますけど」

 そして♨はさりげない仕草で羽哉へデバイスを翳して、素早く名前を確認して言う。「……ね、わかな、さん?」。

 羽哉は野太い声でおうおう叫びたい気分でいっぱいになっている。この流れでは、♨の名前を呼ばなくてはならないのに、どう読むのかわからない。でも聞くのも失礼な気がする。でも名前を呼ばないのはもっと失礼な気がする。こういうとき、いまは手元というか近くにいないけど、羽哉が所有しているうさみちゃんロボットがいたら間違いなく助け船を出してくれるだろう。話を逸らすなどして。離ればなれになっている現在状況を羽哉は悔やむ。悔やみながら、曖昧に微笑んでしばらくどろどろに感じる時間をやり過ごす。

「じゃあああ」。♨は接続詞の間延びによる音階を歌い、続ける。「わかなさんを信じて」。そして右手の人差し指を立てて唇に当てる。共感期成的『しー』。羽哉は複雑な気分で――それは、相手への迎合の強制が社会的振る舞いであることと、自我とのあいだの大きすぎる精神の揺らぎだ――口角に力を入れる。

「なんか。行方不明になってるスタッフがいるらしいんですよ。昨日から連絡とれないらしくって」

 羽哉は後頭部にものすごく冷たいなにかが走るのを感じて、息が止まった。すべての動きを制されたみたいに、一瞬、身体が強張った。大きく見開いた目を再びまばたきするまでに、ものすごく長い時間が掛かったように感じる。まばたきして、喉の奥に鼓動が響くのを感じ、ようやく時間が再び動き出す。羽哉はまだ強張りが完全に抜けない首をひねって♨のほうを見上げ、たずねる。「なんていうスタッフ?」。

「や、僕も名前はわかんないんですよねえ。そういう人がいたらしいよって共有されただけなんで。いまいろいろ調べてんですけど、名前はちょっと」

「へー」。羽哉はものすごい速さで考える。私の隣のベッド使ってる人がずっと帰って来てないっぽいんだけど。ということを言うべきかどうか。でもこれを言ったところで、新しい養分を得た噂は新たな形態に――ときには醜態に――変化することのほうが圧倒的に多いからだ。それに、噂と自分自身を関連付けたくない。関連付いてしまうことによって、謂れのない火の粉が降ってくる可能性がある。

「あ、でも、今までも、途中で下船したスタッフとか、そういう噂……聞いたこと……」

 敢えて断言を避けながら、探るように羽哉は言った。つやつやの唇をとがらせて♨は真面目な表情で羽哉を見る。視線は合わないけど。

「えー。僕それ聞いたことないですう。そういう人いるんですか?」

「あ、いや、そういう人も居るんじゃないかなって……」

「えええ? いますう? そんなひとお? 僕聞いたことないですう」

「あ、いや、わかんないけど、家族の事情とか。体調が悪くなったとか。そういうのもあるんじゃないかって……」

「あー」。♨はつやつやの唇をとがらせたまま、羽哉から天井へと視線を移す。

 そこで♨は口を噤んで、喋る意思をなくした、という雰囲気を醸した。羽哉ははっとして、「あ、でも」と無意識の言葉を零す。世界をあらゆる角度でひっくり返すための接続語。これで否定も肯定に変わる。「そうじゃないってこと、なんでしょ?」。羽哉も、根拠のない噂を楽しむ低俗の仲間である意思表示。

 凛斗ならこんなこと絶対にしないのに、と羽哉は思う。そもそも凛斗は、根拠のない噂などさっさと目の前で振り払ってしまうだろう。そして、こんなところに噂なんて落ちてなかったけど? みたいな顔をするだろう。羽哉には簡単に想像できる。

 自分もそうでありたいと思っているのに、こうして人間の圧力によって意思は容易く崩れ、目の前の相手との心地よさを共有し続けるためにくだらない大衆の共鳴に足を突っ込まなければならない。それが〝生きること〟で、それが生きづらさのもとだ。

 羽哉のいわゆる大衆的寄り添いの態度から肯定的インスピレーションを得た♨はオッドアイの目を明るくさせて、気分の回復を表情にあらわす。僧侶にも賢者にも況してや勇者にも習得できない気分の回復じゅもん。それは、嘘をつくことだ。自分を偽って共有する空気を、雰囲気を肯定的で明るいものになるよう務める嘘をつき続けるだけだ。

「そう。そうなんです。なんかね、ほんとか知らないんですけど」。♨はもったいぶって一呼吸置く。さあこのあと驚いて、の合図。人間世界は期待に応えて欲しい個体と、相手の期待に過剰に応えなければならない個体で成っている。♨はさらに羽哉に顔を近づけ、さらに声をひそめて言う。「単純にいなくなったとかの話じゃなくって。海に落ちたって話なんです」。

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