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アナバチ性ミントブルーうさみちゃんシティ  作者: 夏果和 なまり


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13/15

4-₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎₍ᐢ.ˬ.ᐢ₎

 ちょうちんのかたちをしたライトを右手の先に吊り下げて、ウィルが先頭を歩いている。そのあとに灯都、すでに酔っている和玖が続き、うさみちゃん市の新しく開発された市街へ、夜じゅう明るい街へと進む。夜のあいだもうさみちゃんロボットは街にたくさんいて、ウィルはすれ違うたびに挨拶している。ビルが立ち並ぶ街は明かりと行き交う人と街のノイズで溢れている。

「なんだかね。支店文化的な街になっちゃったね。いままでの結果を教科書的になぞってできた街みたい。ぜんぜんおもろくない」

 周囲を見上げながら和玖が呟いた。常に新しくて、誰かがつくった完璧の概念でデザインされたいろんな店が入居している通り。うさみちゃん型のりものピクピクが次々に走ってくる片側二車線道路。ウィルが提げていたちょうちん型ライトの明かりはもう必要ないように感じるくらい光が溢れているけど、ウィルはそのまま明るい道路を照らしながら歩く。

 よく見ると人の流れは同じ方向に向かっていることに気づく。灯都と和玖は夕ごはんを買いに出てきただけなのに、気づけば人々の流れとおんなじ方向に進んでいることに気づく。流されているみたいに。そして、うさみちゃんロボットはもちろん、人間もほとんどがちょうちんを持って歩いている。

 今日はなにかのイベントが行われるのかな? とウィルに聞こうとしたところで灯都は思い出した。今朝ウィルが言っていたこと。『うさみちゃんからひとこと。今日のラッキーアイテムはちょうちんです。夜になったらちょうちんを持ってしっぽりお出掛けましょう。伝統的なアイテムがあなたの魅力をぐっと引き立てますよ。今夜はうさみちゃん広場に設置された数十か所のポイントでうさみちゃん印を集めましょう。ポイントで謎を解くと押印します。あらかじめうさみちゃん印帳をダウンロードしておいてね。うさみちゃん印1こで1こ徳が積めます。謎の答えは次のポイントのヒントになりますよ。参加者の徳はランキング化してリアル更新します。上位を目指そう!』。

 灯都はそのすべてに興味がなかったのでいつものように聞いた途端に忘れていたけど、街にはちょうちんを持った人やうさみちゃんが溢れているし、通り沿いの雑貨屋さんの店頭にはうさみちゃんが描かれたちょうちんが灯され、販売強化しているし、急設えの路上店舗では無地の急いで仕入れてきたようなちょうちんを販売している者もいる。

「ね和玖さん。うさみちゃん広場ってどこにあったっけ?」

 和玖は持参したタンブラー――ここにはうさみちゃん市で収穫した酒米を使った日本酒が入っている――から舐めるように一口飲んで、「この先にあるよ」と言った。「もともとはケーキが建ってたとこ」。それで灯都はやっと合点がいった。

 和玖はこの街にかつて、いくつかのケーキのかたちの建物をつくった。小さいものから大きなものまで。現在残っているのはブレインレイン本社として使われているものだけで、そのほかは全部取り壊されてしまった。うさみちゃんシティの開発のためには必要なのだと大きな力に説き伏せられて。いっこずつ建物が取り壊されるとき、和玖はひとつも愚痴をこぼさなかった。また作りたくなったら、作ればいいだけ。そう言ってたけど、灯都をはじめもともとの住人たちは納得できなかったし、和玖の生活は一時的に荒れた。その気持ちは灯都にもよくわかる。

 人の流れは巨大なうねりのようになって、気づいたら和玖も灯都も人々と同じ方向へずんずん進んでいた。ウィルの先導によって。夕ごはんを買うために途中で人の流れから離脱したかったのに、後ろからずんずん流れてくる人々に押されて結局、同じ方向に進むしかなくなった。無駄に体力が削られていくのを感じながら。灯都の気分と足の裏がずんずん重くなっていく。

 うさみちゃん広場の手前でようやく人々の波がばらけて、人々の波による強い圧力が弛んだ。抗えない前進から解放された灯都と和玖は道路の端に立ち止まり、人々が吸い込まれていく広場のほうを見る。「あ、ウィル。戻るからこっち」。先導していたウィルが広場のほうへ進もうとしていたので灯都は呼び止める。ウィルはすこし不思議そうな顔をして灯都のもとへ戻ってくる。

 ウィルの背後、広場にはちょうちんの明かりがたくさん集まって、空中に浮いた点描抽象画のようだった。一秒ごとに変わる点描。ただしそれはアートではない。現象だ。

 広場にはなにかの香りが漂っている。ここに集まった人々の気分へ作用するオケージョンノート。灯都には香りの組み立てについての知識がひとつもないが、ここに噴霧されている香りがなにか違うような気がした。場所に自然に溶け込み、人々の気分に自然に作用するようになっているオケージョンノートが、広場から、広場に集まる人々から、どこか浮いている気がした。

 以前、絢吏が持ち帰ってきた香りのサンプルを灯都の車の中で嗅がせてもらったことがある。その香りは特別に調合された『うんてんの香り』というもので、運転中の緊張を適度に解し、かつ、周囲への注意を高める作用がある香りらしかった。でも、灯都の車の中に噴霧してみたら、なんか全然ちがった。においが気になって運転に集中できなかった。それを絢吏に伝えると、彼は真顔で答えた。「あたりまえじゃん。噴霧を想定してる車が違うもん」。

 絢吏は車の大きさとか高さとかエンジンとか構造とか、車そのものと香りとを計算して香りを作っているから、『うんてんの香り』を調合したのと別の車種の車内に噴霧したところでそれはただの「いやなにおい」にしかならないのだと言っていた。その理由が灯都にはさっぱり理解できなかったのだが、いまはなんとなくわかる気がする。なんか違う、という気分を誘発する、世界のかたちと供給とのあいだに生ずるずれのようなもの。

「ここのにおいも絢吏さんがつくったのかな? なんかさ。……違くない? うまく言えないけど」

 ざわつきの大波の中で灯都は和玖に聞いた。鼻をぴくぴく動かして周辺の香りを嗅ぎ、和玖は首をひねる。「におい?」。そしてもう一度鼻をぴくぴくする。ここに充ちる人間各個体から漂うにおい、渇いたアスファルトのにおい、それらはすべてが雑多に交じり合って街のノイズのスパイスとなり、個別の境目など失っている。オケージョンノートの香りもしかり。でも溶け込んでいるけど、馴染んでいない。しかし酒を飲んでいるせいか、和玖にはオケージョンノートもすべて交じり合って〝いっこのにおい〟になっているらしい。

「うーん。わからん。人工的なにおいが嫌いだから感じないようになってんのかも。そもそも。肉体が。それか酔ってんのかも」

「はは。和玖さんの好きなにおい、材木屋のにおいだもんね」

「めちゃくちゃいいにおいだよなあ。おがくずの中に住みたい」

 広場の入口も、その周辺も、まだ工事が終わっていない場所があってところどころが工事用フェンスで囲われ、その周辺にうさみちゃんが工事用ヘルメットをかぶってお辞儀している工事用看板やスタンドが並んでいる。夜も働く誘導員うさみちゃんも立っていて、すれ違うたびに「足元に気をつけてくださいね」と声をかけ、ウィルとは挨拶をした。「ぽこぽこ」。

「そういえば回収のとき、めちゃくちゃ工事してるとこいっぱいあった。和玖さんもいたのかな。もしかして俺ら、どっかですれ違ってたかな」

「あーどうだろ。どのへん? いま人手不足で工事が頓挫してるとこが多くて。そのせいで忙しくてさあ」

「建築に携わる人材がいっぱい移住してきたって聞いたけど。それにうさみちゃんロボットもいっぱいいるじゃん」

 灯都が言うと和玖は頭を左右に振ってあきらめのような笑顔を浮かべる。

「まだ職人とか技術者って勘とか経験による作業も圧倒的に多いし、うさみちゃんに完全に任せらんないとこがあるんだよね。それに人材ってあれだわ。デザインとか建築様式とか建築の知識とか、あと資格とか、死ぬほど持ってんだけど、机の上と、観光地化した有名な建物を眺めただけの優秀な人材が集まったの。『なになに』になりたいけど、この手でモノづくりしたいわけじゃないんだって。だから現場作業は敬遠されんの。はあ……。知識しか持ってない点ではうさみちゃんロボットと同じなのかもね。うさみちゃんは人間より力仕事できる場合もあるけど」

「へー。アルバイトしたい人っていないんだ?」

「むりむりむり。てか今も募集してんだけどね。みんな、現場に来なくなるか、仕事の途中でばっくれるか。それで人がいないからいろんな工事が停止しちゃう。だって、華やかじゃないだろ? みんな、努力せずに一発で名前が有名になって尊敬されるみたいな虚業が大好きなんだよ。ブレインレインからは進捗についていろいろ言われるし。できあがるものはぜんぜんかわいくないし。作りたいものをすきなように作ってるときのほうが生活はしんどかったけどめちゃくちゃ満たされてたな、いまはへんな疲ればっか溜まってくだけ」

「ぽこぽこ」

 まだこの街がうさみちゃん市になる前、少ない住人が好き勝手に暮らしていたころ、和玖は火山灰を使ったコンクリートでホールケーキのかたちやいちごのかたちのの建物をつくっていた。一緒に働く人数は今よりももっと少なくて、朝暗いうちから夜遅くまで毎日、和玖のつくりたいものの実現のために作業していた。あのころのほうがもっと大変だったと思うけど、でも『疲れた』なんて言葉は一度も聞いたことがない。その理由は明白だ。〈したいこと〉には苦痛が訪れにくい。

「そいえば、回収先でも自称コンサルにマウント取られたばっかだわ。……そもそもだけど、なんでこんな工事ばっか続くの?」

 和玖はタンブラーから日本酒をじわじわ飲みながら「知らん」と言って、なにかしんどい記憶が脳をつついているみたいな顔をする。しんどい記憶の情報を持つつぶつぶが和玖のまわりに集まってきて取り囲んでいる。やっぱり記憶は脳にはないし、近いところにいる人間同士はそのつぶつぶによって影響される。

 ここに集まっている人々からは、かつてのうさみちゃん市にはいっこもなかった気分がたくさん詰まっている。誰よりも優れていたい、誰よりも先に前に進みたい、誰よりも多く得したい。それらは人間と人間のあいだに作用し、周囲の物質に、すべての世界に溶け込んでしまっている。この街特有の空気そのものになっている。

 灯都も和玖も、いつのまにか変わってしまった〈街の空気〉の中にいると、同じような気分が肉体の深部で生成されていくようだ。意思とはまるで違う部分で勝手に。

「すてきな街、みたいなもんを作りたいんじゃないの? 知らんけど」

 和玖が呟いた。灯都はそれが工事の話に関連しているのだとしばらく気づけずにいた。知らん、と言われてその話は終わったと思っていたから。

「俺らもすてきな街を作ろうとしてなかったっけ」

「てか作ったでしょ。この新しい街には楽しくて嬉しくて安全でしあわせ、みたいな気分だけで過ごす人だけで形成したら、ずっとみんな楽しくて嬉しくて安全で幸せな気分になんのかもねって。俺らはそういうふうに暮らしたいと思ってるもん」

 思ってるけど、周囲に浮かぶ情報のつぶつぶの性質に影響されて、意思とはまるで違う結果になってしまう。

 人々が流れて行く道路から細い路地に入って、流れに逆らわずに歩いていた。細い路地にもうさみちゃんはときどき歩いていて、再び灯したちょうちんを手に持つウィルが挨拶する。「ぽこぽこ」。細い路地で人間に出会うと危険のようなものを感じるが、うさみちゃんはその正反対だ。安心の象徴。灯都はうさみちゃんとすれ違いながら考える。

「たしかに。でも不思議だね。俺らはすてきな街をつくって暮らしてんのに、その外側にべつの資本が入って囲われると、すてきな街のコミュニティまで影響を受けるっていうかさ。少なくとも、いま行きたくない広場まで行っちゃったし、広場にいる人たちとおんなじ気分を共有してないし。ブレインレインの言う『すてきな街』を強要されるとしあわせな気分が消えてくように感じるし」

「ぽこぽこ」

 和玖は溜息と一緒に言葉を吐き出す。「不思議だよね。言葉ではおんなじこと言ってんのに、すてきな街っていう。なのに、ブレインレインがつくるすてきな街の中に取り込まれた俺らはとても息苦しい」。

「オセロとか囲碁の石だね。おんなじ形してるけどぜんぜん色が違うし、囲まれたら変化を強いられるか、存在できなくなる。てか、存在を消される。――なかったことになる」

 路地沿いに並ぶ建物の向こう側からは人々の流れが放つノイズがここまで聞こえてくる。まるでギャアギャア煩い鳥の群れみたいな声のかたまり。路地に明かりを漏らすアジアンダイニングの軒先には、店内で提供しているメニューの一部が空中に投影されたテキストになって浮かんでいて、和玖が飲んでいるのと同じ日本酒の銘柄が並んでいた。『緊急入荷! うさみちゃんシティで収穫した酒米を仕込んだ希少な日本酒が限定入荷しました! 当店のみの取り扱い! 飲み放題コースならじゃんじゃん飲めます! じゃんじゃん飲んで徳を積もう! 無くなりしだい終了!』。

 灯都は酒米をつくっている生産者の、ここに移住してきてから絶え間なく続いている現在形の苦労を思い出している。決して自分たちではどうすることもできない自然と対峙する苦労。この価格には、という言葉が灯都の脳に差し込んでくる。空気中に浮かんでいる情報のつぶつぶがぶつかってきて知らせる、啓示とか直観みたいなテキストの差し込み。表示されている飲み放題コースの価格が内包するのはカラフルな水溶紙で飾り付けられた空虚な〈情報〉の価値で、生産者に対する尊敬は入っているのかどうか、よくわからない。

 どんよりしながら買い物を済ませて、灯都たちはコインパーキングに停めておいた車に乗り込んだ。助手席にはいつものようにウィルが乗り、その後ろのソファに和玖が座って残りの酒を飲んでいる。疲れてるからか荒れてんなあ、とルームミラーで和玖を見ながら灯都は思う。エンジンが始動したのを感知すると、ウィルは和玖の家までの経路の案内を始める。

 なにかがおかしい、と思ったのは道路を走りはじめて五分くらい経ったころだった。ウィルの言うとおりに車を走らせていたら、和玖の家があるエリアではなく、ブレインレイン本社のほうへ向かっていることに気づいた。

「え、ウィル。こっちであってる? 道、ちがくない?」

 コ・ドライバーのウィルは耳をぴこぴこ動かしながら答える。「道が混んでるから、こっちのほうが早いよ」。そう言うので灯都はウィルに従って車を走らせた。違和感を抱きながら。

 そしてウィルが案内を終えた地点。それは、灯都が回収した棺――使用済みのうさみちゃんロボット――を運び込む、ケーキ型のブレインレイン本社の裏にある四角い箱型の建物の前だった。ハザードを出して車を停め、灯都はすこし混乱しながらウィルに聞く。「え? ほんとにここであってる? ウィル」。ウィルは自信たっぷりな笑顔で頷く。

「ねえ和玖さん。ウィルが和玖さんの家ここって言ってんだけど、もしかして引っ越した?」

 首をひねって後部のソファに座る和玖に聞いてみる。こちらに背中を向けて座っていた和玖は振り返り、とぼけた顔をして座席の脇にある窓の外を見た。

「どゆこと? 俺がここに引っ越してきたかってこと? なわけないじゃん」

 ケーキ型のプレインレイン本社はライトアップされて夜に浮かび上がっているけど、四角の箱型建物は周囲の明かりが落とされ、ひっそりしている。誰かが働いてる気配も、住んでいる気配もまるでない。不審に思いながら灯都は改めて、ウィルに和玖の家への道のりを案内するように指示した。経路を計算しています、の一瞬の無言のあと、ウィルが言う。「指定されたゴールはここですよ」。そして案内終了のSEを唇を尖らせて鳴らす。ぴゅう。

 ブレインレイン本社の周辺の道路は、通行を許可された車以外たどり着けないようになっている。どんなに正確に、地図が示すブレインレイン本社への道路を走っても、気づいたらそこから弾き出され、いつの間にかブレインレイン本社へ向かう道路から外れている。まるで狐につままれたみたいに、まったく違うところにいる。ようにできている。

 だから、灯都たちがここまで辿り付いたのは偶然ではない。ここまで辿り付いたのだから、通行を許可されていたのだ。もしくはエラー。ウィルとブレインレインのあいだの。とはいえブレインレイン側のエラーは考えにくい。

 灯都は困惑していた。日本のどこに行くにも、こんなことはなかった。どんなに山奥でも、工事で通行状況が一時的に変わっていても、ウィルが間違うことは一度もなかった。困惑は妙な焦りに変わって肋骨から鎖骨までのあいだの肌の内側で血が沸いているような感覚をもたらす。

「たいへんたいへん。ウィルが壊れちゃった!」

 灯都はシートベルトを外してウィルの顔や頭や腕を触って異常箇所を探す。けれどウィルはいつものように、灯都のてのひらが触れるたびにしあわせのにおいを醸し、喜んでいる。

「どしたの」

 ソファから身を乗り出して和玖が聞いた。ウィルは和玖にも撫でられたい、みたいな顔でそちらを見る。

「なんか知らんけどウィルが道わかんなくなったみたい」

「あら……そんなことあんの。まあ、知らない道じゃないし帰れるでしょ。なんなら俺が道案内するけど」

 たしかに目の前のことだけならなんとかなるのだった。帰り道がわからないわけではない。しかし、灯都は次々に込み上げる焦りを、からだに溜まっていく焦燥をどうすることもできずにいる。内向きの潮流をつくる焦りの渦はそのたびにエネルギーを発生させて、からだの奥にとげとげの熱を感じる。

「や、そうなんだけどさ。ウィルが道案内してくれないと回収の仕事ができなくなる」

 明日もブレインレインから依頼された回収の仕事が入っている。もしウィルがいまみたいに、指定された住所じゃない場所を行き先に勝手に設定していたら、と考えるのは恐ろしい。ただでさえ時間というものに追われてキーッとなるのに、指定された時間を破ることによってさらにもっと大きな時間の力に追われることになってしまう。

「灯都だいじょうぶ?」

 灯都の心拍数とか血圧が急上昇してからだ全体に滲む汗を感知したウィルが言う。優しい気遣いが心に染みるのと、不安のもとがそもそもウィルであることと、それらの感情が綯い交ぜになって灯都は首を振りながら頷く。

「したくないことならしなくていいんじゃない? 灯都は搾取されすぎてるよ。俺もだけど」

 後部座席から和玖がのんびり言った。そのとき、フロントガラスの向こうにある四角の建物の右側上部にある照明が一瞬で世界を変えるように灯り、辺りを照らした。そして白い光に照らされた地面の一部を削るように影を作りながら、建物の扉――灯都は何度もこの建物を見ているのに、扉の存在をいま初めて知った――が開く。

「わわわ。誰か出てくるかも」

 用も無いのにここにいることを咎められるかもしれないと思い、灯都は急いで車をバックさせ、そして道路へ出た。『一秒先を、彩る』。ブレインレイン社の看板がてっぺんに据えられた建物群を抜けながら。一秒先のすべてが危険をはらんでいる、と思いながら。

 マップとコネクトしたウィルはいつもより機械的無感情に道路案内をして、和玖の家の近くまで辿り付いた。とはいえウィルの案内はなくても容易に到着できるくらい馴染んでいる経路。ブレインレイン社や新しく作られた街並みからもともとの住人たちの居住区へ入ると、途端に全体が暗く感じる。夜が一段と深い、べつの夜を纏った夜のようだ。

 プリンのかたちをした住居は、窓から漏れる明かりがない家が目立つ。そのせいで、夜の暗さがさらに暗く感じる。

「留守の家が多いのかな。電気点いてない家がけっこうあるね」

 とはいえ、もともとの住人たちは朝が早い人たちも多いし、夜に出掛ける人はあまりいない。この街に共通時間が導入される前は、陽が沈んだらみんな家の中で過ごしていた。それが人間にとって、生物にとって自然だし、明かりの少なかったこの地で真っ暗ななか、出掛けようとする人間はいない。たぶん人間のほとんどがそうであるように。ブレインレインがつくった街のなかは、消費活動を促すための明かりで満ちているけど、それは単純に生きるための明かりではない。

「なんかね。最近、留守にしてる家多いんだよね」

 和玖が言うのとほぼ同時に灯都はハザードを点滅させて道路脇に停車し、和玖を先に降ろした。「ここてきとーに停めていいよ」。運転席の後ろのスライドドアから降りた和玖は言って、プリン型の住居へ入っていった。道路に面した窓が、灯された照明の明かりを透過してオレンジ色に変わる。和玖の家の敷地に車を停めさせてもらって、灯都はエンジンを止めた。

 ウィルと一緒に車から降りると、明かりのすくない道路の向こうから人影が近づいて来るのが見えた。「あ、灯都だ。ちーす」。突然声を掛けられて、驚いた

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