2-3「見知らぬ海に想いを馳せる」
「……っていう話だったんだけど、どうだったかなァ?」
話を終えたお姉さんはワタルの顔を覗き込みながら訪ねたが、当の本人は答えられるような元気が無いように見えた。
お姉さんの話を聞いて、去年家族旅行で行った山奥の旅館の事をワタルは思い出していた。
夜、部屋の窓のカーテンを開けた時のトラウマ。
窓にびっしりと張り付く極彩色の様々な大きさの蛾たちの記憶を思い出してしまっていたのだ。
しかし蛾ならまだいい、見た目は気持ち悪いけれど生きているんだから。
お姉さんの話に出て来たのは死んだ手たちだ。
だからなお一層不気味で怖い、ワタルはそう思った。
そうやって黙ったまま俯いていると不意に、耳元にふぅっ……と息が吹きかけられた。
お姉さんである。
驚いたワタルはワァッ! と声をあげてその場から飛び退いた。
「だっ……だからそういうのやめてくださいよぉ!」
「ふふっ……でもほら、元気出て来たじゃない?」
「元気が出たというか、これはぁ……!」
何かしら反論しようとしたワタルであったが、なんだかバカらしくなってしまったので、ため息を吐いてから元座っていたところに戻り、お姉さんに今自分が考えている事を素直に話した。
「あー……私も見た事あるわァ、でっかい蛾」
「今思い出しても気が滅入りますよ、アレは……」
「信じられないような色のやつが、混じってたりするのよねェ」
「そうなんですよね……」
「でも、さっきの私の話からそれ連想しちゃうなんて、キミ面白いわよ……?」
「……いや、面白くないですよ」
「ふふっ……」
眉をひそめるワタルに対して、お姉さんは意味深な笑みを返すだけであった。
「そ、そういえば……」
ワタルはお姉さんに、さも当然のような質問をした。
「一応聞きますけど、今回出た幽霊って結局何だったんですか?」
「んー……………さあ?」
「さあ、て」
おどけたように両手のひらを上に向けるお姉さんにワタルは文句を言った。
「その……あんまりそういうの、僕好きじゃないです……」
「あら……そうなのォ?」
「あまりモヤモヤしたまま終わられるとスッキリしないというか……」
「ふぅん……幽霊の正体がハッキリしてた方が好きなんだ」
「そういうわけじゃないですけど……」
確かに正体がハッキリしていても怖くて嫌だが、正体が不明なのに比べれば幾分マシだ。
ワタルはそう思った。
「うーん……でも今回の話って、私はそれ程よく分からない話じゃないと思うわよォ……?」
「えっ、そうなんですか?」
「私の勝手な想像だけどねー……聞きたいィ?」
ワタルは少し迷ったが、そのまま首を縦に振った。
「ヒントは最後に出て来た『海難事故で死んだ人の死体がよくあの砂浜に流れ着く』って所だと思うの」
「ええっと、つまりお姉さんは、その死体の幽霊だっていいたいんですか?」
お姉さんは首を横に振る。
「それだけじゃ、灯りを持ってる事に説明がつかないわァ……」
「確かに……そうですね」
「あそこら辺の海で行方不明になったら、最終的にあの浜で打ち上げられる可能性は高い訳でしょう? つまり……」
そこまで言って、お姉さんは話をやめて、にっこりと微笑みながら、ワタルをじっと見つめてきた。
目の前の少年が、怖がりながらも答えを出すのを待っているのである。
それを受けてワタルは少しの間考えを巡らせたが、その時、話に出てきた幽霊たちの言っていた言葉をふと思い出したのだった。
『すいません、ここら辺で見かけませんでしたか?』
それを思い出した瞬間、ワタルはある考えに辿り着きアッ! と声を上げ、お姉さんにわなわなと唇を震えさせながら、今思い至った事を話し始めた。
「お、お姉さ……つっつまりこれって……」
「うんうん、落ち着いて落ち着いて」
「つまり……幽霊の正体は打ち上げられた死体じゃなくって……」
「……」
「それを探してる人たち、って事ですか……?」
「ふふっ……正解」
そう言いながら、お姉さんは満面の笑みでワタルを抱きしめた。
顔がお姉さんの大きな胸で押しつぶされそうになり、慌ててワタルはお姉さんから体を引き剥がした。
「はっ、はぁ……急になんなんですかぁ!」
「あ、アハハァー……つい嬉しくなっちゃって……ゴメンねェ」
お姉さんの奇行に、さっきまでワタルが抱いていた恐怖心はどこかへ飛んでいってしまった。
「つまりね……海で行方が分からなくなった身内を探す人の霊……いえ、もしかしたらその強い気持ちが念として残ったもの、それがあの砂浜に現れる、灯りを持った手……だと私は思うんだァ……」
「念……ですか?」
「例えば今私がキミの事大好き! って強く思ったりするじゃない?」
「なっ……!?」
急に変な事を言われて、ワタルは顔を真っ赤にした。
そんなワタルのリアクションを面白がるように、お姉さんは話を続けた。
「それでね? その時の思いがこの場に残り続けて、何年か経って夜ここを誰かが通った時、このベンチに私みたいなシルエットが浮かんで、まるで幽霊が出たみたいになる……とか、そんな感じかしら」
「そ、そんな事があり得るんですか……?」
「普通は無いわねえ」
ワタルの問いにお姉さんは首を横に振る。
「それくらいの気持ちじゃその場に残り続けるのは難しいでしょうね……」
「ま、まあそうですよね」
「だから……」
お姉さんは憂いを帯びた目をしながら、少し悲しそうな顔を見せた。
「……真夜中になっても、灯りを持ってあの砂浜で家族を探す人がいたら」
「ああ……」
その感情をワタルは上手く想像することは出来なかった。
でも、それはきっと、とても強いものなのだろうと思った。
そして、それが例え幽霊だろうと強い思いが残ったものだろうと、何十、何百年も、見つかりもしない大事な人を探し続けているのだとしたら……。
「何だか……悲しいですね」
「……そうね」
ワタルもお姉さんも、なんだかやるせない気持ちでいっぱいになったのであった。
二人がそうしていると、何処からか夕方5時を知らせる音が流れてきた。
「いけない、いい加減帰らないと……」
ワタルはベンチから立つと、すぐ側に止めてあった自転車に飛び乗った。
「あら、もう帰ってしまうの?」
「そろそろ家に帰らないと、お母さんに怒られるから……」
ワタルの母は基本的には放任主義だが、いつまでも帰ってこなければ心配もするだろう。
それならこうしてここで時間を潰している理由もない。
そうして帰ろうとしているワタルに、お姉さんが声をかけた。
「私、明日もここで調べ物とかしてるから……」
「だっ、だからそんな事言われても、来れるか分かりませんって」
「でも、今日は来てくれた」
「……たっ、たまたまですよ」
確かに今日は図書館には行かずに海へ遊びに行って、その帰りに少し無理をして図書館に顔を出したわけであるが……。
「……それじゃ!」
ワタルはなんだか恥ずかしくなってしまって、そのまま後ろを見ずに自転車を走りだした。
そんなワタルの背中を、お姉さんは微笑みながらずっと見つめているのであった。
「ただいまー」
ワタルが帰宅すると、すでに母が台所で夕飯の支度をしている姿が見えた。
「おかえりー、随分遅かったわねえ」
「ちょっと寄り道ー」
そう言いながらワタルは水着やタオルを洗濯カゴに入れてから、2階の自室に戻ろうとした。
その時、台所から母の声が飛んできた。
「ワタルー、あんた明後日の夏合宿の準備出来てるのー? ちゃんとしておきなさいよねー」
「分かってるー」
そう言って自室に戻ったワタルは、まだ夏の熱気が残る部屋の窓を全て開けた。
夕方の涼しい空気が部屋の中を吹き抜けて、一気に涼しくなる。
エアコンが壊れていても夜間はこうして涼しくなれる部屋向きであることに、ワタルは感謝した。
「さて……」
そこでワタルは、勉強机の上に広げられた夏合宿のしおりを手に取り、パラパラとめくる。
着替えなどはもう準備した。
500円分までは持ってきてもいいお菓子も明日買う予定だ。
準備は全て順調である。
……ある一つを除けば。
「これどうしようかなあ……」
ワタルが見ているページ、それはキャンプファイヤーの項目である。
そしてそこにはこう書かれていた。
『キャンプファイヤーの際には、クラスのみんなで怪談会をします。怖い話を1つは準備してくるように』
──第2話、完。




