11-1「お姉さんのいない図書館」
夏休みが明けた。
しかし夏の日差しはまだまだ厳しく、青空に浮かぶ太陽が小学校の校舎をジリジリと照らしている。
「よーし、みんな休まず学校来れたね!」
元気に声を上げる担任の磯崎先生に対して、教室の生徒たちのほとんどは気だるげそうにしていた。
まだまだ続く猛暑に加えて長く楽しいお休みが終わってしまったばかり、これは仕方がない。
「それじゃあさっそくだけど、夏休みの宿題を提出してもらおうかしら!」
「先生ぇー、もしやって来なかったって言ったらどうなるの?」
えーちゃんが頭の後ろで手を組みながら半笑いで尋ねる。
それに対して、先生はくるっとそちらに顔を向け笑顔で言った。
「出来るまで居残ってもらいます」
「……もし宿題全部やってなかったら?」
「出来るまで残ってもらいます」
教室中からヒエ~と小さな悲鳴が上がり、えーちゃんは冷や汗をたらりと流した。
そんな中、ワタルはどこか元気がない様子で外を眺めていた。
その姿が気になったのか、磯崎先生が声を掛ける。
「──君? おーい、大丈夫?」
「……あっ、はい。すいません、ぼーっとしてました……」
「ふふっ、夏休みはもう終わったんだからシャキっとしないとね、シャキッと!」
クラス中で小さな笑いが起きたが、ワタルは空笑いをするので精いっぱいだった。
その後、夏休みの宿題の提出や2学期の予定などの説明をしてからホームルームの時間は終わり、そのまま下校となった。
翌日からまたいつも通り朝から夕方まで学校で勉強するのかと思うと、ワタルを含めた子供たちはみんな憂鬱な気持ちにさせられるのだった。
「ワっちーん、一緒に帰ろうぜ」
「一人ではこの旅は危険すぎる、我らとともに参ろう」
暑い日差しの下ワタルがトボトボと帰り道を歩いていると、後ろからえーちゃんとカッツが声を掛けて来た。
「帰ってごはん食べたらさ、今日もうちでカイモンやろうぜ」
「君たちは我の強さについて来れるか……!」
「あー、カイモンね……」
少し考えたあと、ワタルは二人の誘いを断った。
「ごめん、今日は自分ちでだらだらしてるよ……」
「ん……そっか」
数秒の沈黙が三人の間に走った後、えーちゃんがワタルに一言声をかけた。
「なんか元気ないみたいだけどさ、悩みあるなら俺たちいつでも聞くぜ?」
「えーちゃん……」
「強敵と書いて友と読むしな!」
「俺は敵じゃないよカッツ……」
二人が気にかけてくれたことがワタルはとても嬉しかったが、この思いを誰かに話すにはやっぱり何だか恥ずかしいように思えた。
大丈夫だよ、と言ってからワタルは二人と別れたのだった。
その後、午後になるとワタルは図書館へと足を運んだ。
しばらく館内を散策してから、数冊の本を借りて外のベンチに腰を下ろしてめくり始める。
今ワタルが読んでいるのは、児童向けながらも大人でもゾッとさせられるような怪談本だった。
以前の彼なら手に取る事も出来なかった。
しかしお姉さんのお陰……いや、お姉さんのせいでこわい物に多少は慣れる事が出来たのだった。
……そう、夏休みの始めにこの図書館で出会った、見知らぬ大学生のお姉さん。
お酒の怪談を聞いたあの日を最後に、お姉さんはワタルの前から姿を消してしまったのである。
それ以来図書館に足繫く通っているのだが一向に顔を見ないでいた。
ワタルがどこか元気が無い理由はこれが原因だった。
本を1ページめくるたびに、ワタルは顔を上げて辺りを見回す。
もしかしたら、こうやって怖い本を読んでいればあの日の様に声を掛けに出てくるかもしれないと思ったからだ。
しかし、ワタルの想いとは裏腹に辺りはお姉さんどころか通行人すら通らない。
(……どこ行っちゃったんだろう)
ワタルはため息をつくと、再び本に目を落とした。
それから数週間経った。
相変わらずワタルは図書館に通い続けているが、一向にお姉さんが現れる様子は無い。
ただそれだけなのに、ワタルの心の中はどんどんと言葉で表せないモヤモヤとした気持ちが募っていった。
そんなある日の夕方、ワタルは母と一緒に近所のスーパーへ買い物へ来ていた。
「ワタル、今日は何が食べたい? ちょっと奮発してもいいわよ」
「えー? 誕生日でも何でも無いのに?」
「いいのよ、何でもない日に美味しいもの食べたって!」
そんな事を言う母だったが、実際の所はここ最近どこか元気がない息子を元気づけたかったのだ。
ワタルも両親や友人たちに心配をかけている自覚はあったのだが、どうしてかお姉さんの事を人には言えないままだった。
そうして二人でいろんな棚を見ていると、ワタルは視界の端に黒い服を着た誰かが横切ったのを見た気がした。
「……っ!?」
突然の事にワタルは大きく振り向いたが、辺りにはそれらしい姿の人はどこにもいない。
「ワタル、どうしたの?」
「い、いや……何でもないよ」
一瞬お姉さんが居るのかと思ったワタルは、ただの見間違いだった事に酷く寂しい気持ちを覚えた。
その後、母と一緒に帰宅したワタルだったが、先ほどスーパーで感じた寂しさがまだ消えないままでいた。
何故か心が苦しく、じっとしていられない気持ちになってくる。
(……会いたい、今すぐお姉さんに会いたい)
そんな思いが浮かんだワタルは、気が付くと自分の部屋を飛び出していた。
「あっ、ワタルあんたどこ行くの?」
玄関を出ようとした所で母に見つかり、声を掛けられる。
「ごめん、ちょっと図書館行ってくる!」
「ええっ……もう夕方よ?」
「遅くならないようにするから!」
そう言ってワタルは家を出て図書館へと駆け出した。
到着するなり、ワタルは館内の至る所を必死になって見回った。
小説が並んだ棚、実用書が並んだ棚、若者向けの本が並んだ棚、談話室、カフェ……。
しかし、どこを見ても探している人の姿は無かった。
最後にワタルは、いつもよく座っている図書館の外のベンチへと向かった。
しかしやはり、そこには誰も座っていない。
はぁ……とため息をついてから、ワタルはベンチに腰を下ろした。
図書館の白い外壁は夕日で赤く染まり、辺りは今にも消え入りそうなセミの鳴き声しか聞こえない。
そんな中で一人ぽつんとベンチに座っているワタルの脳裏に、急にこれまで見て来たお姉さんの顔が浮かんできた。
相手の反応を見ながら、嬉しそうに怖い話をするお姉さん。
恥ずかしがりながらスキンシップを取ってくるお姉さん。
別れ際、いつも寂しそうな表情をするお姉さん。
今までのいろんなお姉さんとの思い出がワタルの頭の中を駆け巡る。
……夢や幻なんかじゃない。
ワタルは彼女とのかけがえの無い日々を、改めてはっきりと思い出すことが出来たのだった。
もしかしたら、もう二度とお姉さんに会えないのだろうか。
そんな不安がワタルの胸の中に沸き上がった。
「……会いたいなあ、お姉さん」
その時、ワタルの頬をつーっと水滴が流れた。
いつの間にか目に涙が溢れだしていたのである。
「あっ……あれ、なんで……」
拭っても拭っても涙は止まる様子を見せない。
まるで今まで心に抱いていた寂しさが外にあふれ出ているようにワタルは感じた。
堪えきれなくなったワタルは、顔を両手で覆ってうつむき、わんわんと泣いた。
そうして、その瞬間やっとワタルは自分の気持ちが分かったのだった。
──自分はお姉さんの事が好きだったんだ、と。
(11-2に続く)




