10-3「明日もまた会えると思ってた」
「……っていう話だったんだけど、どうだったかしら?」
お姉さんに尋ねられたワタルは、緊張や恐怖が入り混じった溜息を深々と吐きだしてから答えた。
「あの……それじゃあ結局、その幽霊ってなんだったんですか?」
お姉さんは黙っておどけた表情で肩をすくめた。
それを見たワタルは若干呆れつつも話を続ける。
「……つまり、幽霊が言っていたように『そんな云われはない』のなら、お爺さんが言っていた言い伝えも全部デタラメだし、それこそ枕元に立ってたのもお夏さんじゃないって事になりますよね?」
「まあどこまでが違うのかは分からないけれど、そういった可能性もあるわねェ」
「それだと……なんか、僕は嫌です」
言い伝えが全部嘘だとするなら、Jさんの家は正体不明なものに何百年も祟られているという事になってしまう。
身に覚えのない、訳の分からないものにずっと取り憑かれている事を想像すると、ワタルは気味が悪くなった。
「あと言い伝えが嘘だとするなら、どうしてそんな嘘を語り継いできたのかもちょっと……訳が分からないですかね」
幽霊がいつからどういった理由で現れるようになったのか定かではないが、それから現代に至るまでのどこかのタイミングで、幽霊の正体の嘘話が作られ語り継がれるようになったはずである。
Jさんの先祖が……もしかしたらお爺さんが、かもしれないが……どうしてそんな事をしたのかがワタルには不可解だった。
そんな風に納得いかないといった様子を見せるワタルに対して、お姉さんが声をかける。
「うーん、でも私はちょっと分かっちゃうかもなァ……そういう嘘話を作り上げちゃう気持ちって」
「えっ……お姉さん、ひょっとして理由知ってるんですか?」
お姉さんはワタルの顔をじっと見つめると、フフっと微笑んだ。
「……よく分からないものに、形を与えたかったんじゃないかしら?」
「形……ですか?」
「例えば君も幽霊に祟られたとして、全く見た事もない幽霊と、どこの誰か分かってる幽霊となら、どっちが怖くないかしら?」
「……どっちも怖いんですが」
「……まあ、今のは悪い例え方だったわねェ」
お姉さんはゴホンと咳ばらいをして、話を仕切り直す。
「つまりね、何の身に覚えのないような幽霊に対してストーリーを作る事で、少しは怖くなくそうとしたんじゃないかしら?」
「ええ……? そんな事で怖くなくなりますか?」
お姉さんの話を聞いて、ワタルは怪訝そうな顔をする。
しかしよくよく考えてみれば、自分も幽霊の正体が分かる怪談より曖昧でよく分からないまま終わる怪談の方が怖く感じていた事に気づいた。
なるほどそういうものか……とワタルは少し納得する事が出来たのだった。
「それで……あとどこか怖い所あったかしらァ……?」
にんまりとした笑顔でワタルの顔を覗き込みながらお姉さんが言った。
「……若者があの後どうなったのか分からないのが、なんだかゾッとしますね」
Jさんが体験した1度目の話では、お酒を無理やり買って行った男はその後幽霊に祟られて恐ろしい目にあったらしい。
だとするなら、2度目の話に出て来た若者も、特にその後の話は語られなかったとしても、同じような恐ろしい目に遭っているのではないだろうか。
ワタルはそれを想像するだけで、足元から冷たさがせり上がってくるかのような感覚を覚えるのだった。
「確かに、何も無かったとは考え難いわよねェ……」
お姉さんはワタルの話を聞くと、腕組みをしながらウンウンと首を縦に振る。
「ただ、その若者……たしか大学生だったかしら、その人が自分だけ被害に遭うのならまだ良いのかもしれないわね」
「そ、それってどういう事ですか……?」
「美味しいお酒なら自分以外の人にも振舞ったりしたく……なるんじゃないかしら?」
「……つまり……お酒を呑んだ人たちの所に、ゆ、幽霊が……」
「……出るかもしれないわねえ」
お酒を介して恐怖が広がっていく、その光景を想像するだけでワタルは言い知れぬ恐怖を覚えるのだった……。
「……でも、お酒ってそんなに美味しいもんなんですか?」
しばらくお姉さんと話をする流れで、話題は怪談からお酒の話に移っていた。
ワタルにそう尋ねられたお姉さんは、視線を他所に向けながら上ずった声で答える。
「さあー、私は呑んだことないから知らないわねェー」
「いやまあ、そういうのはいいんですけどね……」
そう言いながらワタルは先ほど聞いた話を思い返していた。
話の中に出て来た大学生の若者は、わざわざ犯罪を犯してまで……いやそれ以前に、幽霊が出るという曰くが付いているような物を手に入れようとしていた。
それは、よっぽどそれが呑みたかったという彼の欲望の現れだったのではないだろうか。
一方で、ワタルの父も二日酔いで苦しい思いをしているのに、一向にお酒を呑むのをやめようとしない。
つまりそれだけ、お酒という物が魅力的という事ではないのか。
ワタルがそう言うと、お姉さんは「私は本当に知らないけれど」と断った上で……。
「人から聞いた話によると……ぐわんぐわんとするのよ、頭が」
「ぐ、ぐわんぐわん……ですか?」
「そう、軽く目が回ったかのような感じ……なのかしらね?」
ワタルは以前遊んだ公園の遊具で目を回した事を思い出していた。
「そうして、顔が次第にじんわりと熱くなる……のだとか」
「顔が熱く……?」
「そう……そして段々とふわふわした感じがして……」
「ふわ……ふわ……」
「何だかふらふらと漂ってるような感じがして……そしたらキミはだんだんと楽しい気持ちになって来て……」
そこでワタルはハッと意識を取り戻した。
いつの間にかお姉さんがワタルの耳元に顔を近づけて囁いてきたせいで、まるで夢を見ているかのような気持ちになっていたのであった。
「も、もうお姉さん! そういうのやめてって言ってるじゃないですかあ!」
「ふふっ、ごめんなさいねェ? でもたぶん、キミがさっき感じてたのがお酒呑んだ時の状態に、近いんじゃないかしら?」
「そ、そうですか……?」
「そうよォ……、お酒はとっても素晴らしい物なのよ?」
なんだかちょっとドキドキして、少し恥ずかしくて、不思議と高揚感を覚える様な……。
だとするならお酒も良いものなのかな、とワタルは思……おうとした所で踏みとどまった。
「だとしても、僕は未成年だからまだ呑めませんからね」
「……そうねェ」
「お姉さんもですよ?」
「……まあ、私は呑んだこと無いんだけれどね?」
お姉さんは再び視線を明後日の方向に向けて早口で答えた。
そうこうしているうちに、気が付くと日が大分傾いている事に二人は気づいた。
真っ白な図書館の外壁も夕日で赤く染まっている。
「……っと、もうこんな時間だ」
「あら、帰ってしまうのォ……?」
「ごめんなさい、でもお母さんも心配するだろうし……」
実際の所は門限があるわけでもなく、暗くなってから帰っても両親はそれほど気にはしないのだが、日が落ちて暗くなってしまうと帰り道が怖くなってしまうのである。
確かにワタルも、多少は名残惜しさを感じていた。
ただ、別にこれまで通り図書館に行けばお姉さんに会えるのだし、それなら明日また来ればいいだけの話だった。
「それじゃあ……」
「あっ、ちょっと」
そう言ってその場を離れようとするワタルに、お姉さんが声を掛ける。
「あの、キミって……」
──その時。
ポーポポー、ポーポポー、ポーポポーポポー……。
夕方のチャイムが辺りに鳴り響いたせいで、何かを言おうとしたお姉さんの言葉が遮られた。
「えっと……何ですか、お姉さん?」
ワタルは尋ねるが、お姉さんは少し間をおいてから笑顔で首を横に振った。
「ううん、何でもないわァ」
「そ、そうですか……? それじゃあ……」
そう言ってベンチから離れていくワタルの背中を見ながら、お姉さんは小さな声で、
「……バイバイ」
と呟いたが、ワタルがこの声に気づくことは無かった。
……そしてこの夏、ワタルがお姉さんに会う事はもう無かった。
(第10話、了)
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