10-2「夏禁の酒」
……ねえ、キミは知ってるかしら?
とある田舎で代々続いている小さな造り酒屋では、珍しいお酒が作られているんですってェ……。
それは「夏禁」という名前の日本酒で美味しいのはもちろんなんだけど、なぜか夏に売ってはいけないっていう決まりがあるそうなの。
それを破ってしまうと、とても恐ろしい出来事が起こるのだとか。
今からするのは、それに関連するお話よォ……?
この話をしてくれたのは、その造り酒屋の今のご主人であるJさんという方なの。
なんでも、過去に2回ほどこのお酒のせいで怖い目に遭ったんだって……。
最初にそれを体験したのは、今から何十年も前……まだJさんがキミくらいの年ごろの頃だったそうよ。
その造り酒屋は代々彼の家筋が経営していたのだけれど、この頃のJさんはまだこの酒屋を継ぐだなんて思っても居なかったわ。
ただ、それでもお小遣いが貰えるからって積極的にお店の手伝いをしていたの。
そんなある夏の日、ちょっとした用事でその家の大人たち……Jさんのご両親とお爺さんが出かける事になって、一人で店番をする事になったんだって。
そうしてJさんが一人でお店にいると、店先に大きな高級車が停まって中から派手なスーツを着た如何にも怖そうな男が降りて来たそうよ。
もちろんそいつはお店に入ってきたんだけど、中を見回してからJさんにこう言ったの。
「なんでもここには『夏禁』っていう幻の名酒があると聞いたんだが、それをいくつか貰おうか」
夏禁についてはJさんも今の時期は売ってはダメだと教えられていたので、それをそのまま男に伝えたの。
すると、男は急に威圧的な態度を取ってきたわ。
自分は会社の社長でわざわざ遠くからここまで来たのに売らないとはどういう事だ!
その事で訴えたっていいんだぞ、そしたらお前の家族も困るだろう?
それに客に物を売らない理由が夏だからでは理由にならず、その場合売らなければ法律に違反する。
……みたいにある事ない事めちゃくちゃ言って、幼いJさんを責め立てたの。
もうちょっと大人だったらすぐ警察を呼ぶって判断も出来たんだけど、まだ子供だったJさんにそれが出来るわけもなく、結局半べそかきながら奥からお酒を持って来て渡すしか出来なかったそうよ。
男はそのお酒を受け取ると、代金を投げつけて不機嫌そうに帰って行ったんだって……。
しばらくすると大人たちが帰ってきたのだけれど、それを見た途端にJさんはぐしゃぐしゃに泣き出してしまったわ。
それは売ってはいけないと言われていたお酒を売ってしまった事への罪悪感と、横暴な客の態度の怖さからだったのだけれど……小さな子供には無理もない話よね。
Jさんのご両親は彼から話を聞くと、大丈夫だよと慰めようとしてくれたのだけれど、Jさんのお爺さんは顔を真っ青にして狼狽えだしたの。
それを見てJさんは、やっぱり売っちゃダメなお酒を売ってしまったからショックを受けたんだ、って自分がしてしまった事をひどく後悔したそうよ。
……さて、その日の夜。
泣き疲れたせいか、布団に入ってすぐに眠ってしまったJさんだったけれど、しばらくすると何かの気配を感じて目を覚ましてしまったんですって。
そうして気配のする方へ顔を向けてみると、自分の枕のすぐ側に何者かの裸足が目に入って、Jさんはヒッて小さく悲鳴を上げてしまったの。
そうして、恐る恐る目線をその上へと向けると……。
……着物姿の女性が、Jさんを見下ろしていたわ。
女性は何やらぶつぶつと呟きながら、何かを言いたそうな目で彼を凝視していたの。
そのあまりの恐ろしさに、Jさんは悲鳴を上げる間もなくその場で失神してしまったんだって……。
翌日、目を覚ましたJさんが肩を落として朝ごはんを食べに行くと、既に他の家族はみんな食卓に着いていたのだけれど……。
どうしたわけか、みんなJさんみたいに青い顔をしながら元気のない様子だったわ。
Jさんが不思議に思っていると、お爺さんが彼を見るなりこう言ったの。
「……J、お前の所にも表れたか」
その一言でJさんは全てを察したわ。
つまり、彼が昨晩体験したものを家族みんなが同じように体験しているのだという事を……。
そうしてJさんも食卓に着くと、お爺さんはこんな話をしてくれたわ。
それは、今から何百年も昔の事……。
その頃この一帯を治めていた庄屋……大雑把に言うと村長さんみたいなものだけれど……そのお庄屋さんが大層酒好きだったの。
そして、当時からこの造り酒造もあったのだけれど、そのお庄屋さんによく贔屓にしてもらって、たくさんお酒を買ってもらっていたのね。
ただ、お酒が大好きなのはいいとしてこのお庄屋さん、酔っ払うと酷い癇癪を起して暴れてしまうそうだったの。
それはとっても酷い物で、雇っている奉公人に怪我までさせる程だったそうよ。
そんなある日、お庄屋さんの妻のお夏さんという人が酒屋にやって来てこうお願いしてきたの。
「最近あまりにも酷いから、うちの人には二度と酒を呑まないように約束をさせました。ですので、もしお酒をこっそり買いに来たとしても、絶対に売らないようにお願いします」
これには当時の酒屋のご主人も、仕方がないと思って承知したんだって。
……さて、それからしばらく経ったある暑い夏の日。
手ぬぐいで汗を拭きながら、例のお庄屋さんが久しぶりに酒屋に顔を出してきたの。
「いやあ今日はやけに暑ちいな、いつものやつ1つ貰おうか」
「これはお庄屋さん……しかし、お酒は売ってはいけないとお夏さんからきつく言われていますので」
「そうじゃねえんだ、今日うちの方に藩の役人が来るんだが、客に出す酒が足りなくて仕方なく俺が買いに来たっていうわけよ」
「はぁ……まあそういう事なら」
どうせ客用だなんていうのは嘘で、自分が呑むために買いに来たことはご主人には丸わかりだったわ。
ただ、お庄屋さんからの注文が無くなったのはお店としては痛手に感じていたので、騙されてると分かっていながらお酒は売ってしまったの。
後からお夏さんに問い詰められても騙されたと言えば大丈夫だろう、なんて考えてしまったのね。
お庄屋さんはお酒の入った小さな樽を担いで、鼻歌交じりに帰って行ったそうよ。
……そうして、事件が起きてしまったわ。
今まで酒を止められていた鬱憤がとても溜まっていたのか、酔っ払ったお庄屋さんが刀を持って屋敷中暴れ回ったそうなの。
これには奉公人の何人かも大けがを負い、妻のお夏さんに至っては刀でぐっさりと刺されてそのまま死んでしまったんだって……。
もちろんこの事はすぐに世間に知れ渡り、お庄屋さんは厳重に処罰されてしまったそうよ。
さて、一方お酒を売ってしまった酒屋の当時のご主人はというと、取り返しのつかない事をしてしまったと後悔したそうよ。
ただ、いつまでも気にしてもしょうがない、早く忘れようと思ったそうだけれど……、そんな彼に恐ろしい出来事が起こったの。
事件が起きてしばらく経ったある夜、ご主人が寝ていると何やら妙に寝苦しさを感じたんだって。
そうして目を覚ますと、枕元に誰かがいるような気配を感じたの。
ご主人が恐る恐る顔を向けると、そこには……。
「……よくもお前は、あの人に酒を売ってくれたなあ?」
もの凄い形相で睨みつける、お夏さんの幽霊が立っていたそうよ……。
「……それ以来、うちで作っている酒は夏に売ってしまうと、買った客や店の人間の所にその幽霊が現れる……と言われておるのだ」
お爺さんの話を聞いて、Jさんは震えあがったわ。
それじゃあ自分が昨晩見たのは、その殺されたお夏さんの幽霊だったという事じゃないか、って。
彼を含め、その日の食卓は酷く暗い雰囲気が漂っていたそうよ……。
でもこの時の話は、まだこれで終わりじゃなかったの。
それから数か月ほど経ったある日、Jさんがお店の手伝いをしていると店先に高級車が止まるのが見えたんだって。
それは、あの日夏禁を買いに来た乱暴な客が乗っていたものと同じだったの。
また来たのかとJさんに緊張が走ったけれど、車から出て来たのは男ではなく美しい女性と小さな男の子だったんだって。
そして、その手には数本の酒瓶……夏禁の入った紙袋を持っていたわ。
女性は以前に来た男の妻だと言って、お店にいたJさんやお爺さんに対して深々と謝罪をした後、お酒を返そうとしてきたの。
どういうことかとお爺さんが訪ねると、女性……奥さんは青い顔をしながらこんな事を言ってきたわ。
男が夏禁を買って帰って来てからしばらく経ったある日の夜、夫婦で一緒に寝ていると突然、男が大きな悲鳴を上げて苦しみだしたの。
奥さんは突然の事に驚いたのだけれど、その時苦しみ悶えてる男のすぐ傍に、着物姿の見知らぬ女性が立っているのを目撃してしまったの。
男はその後救急車で病院に運ばれて一命は取り留めたものの、それ以来家の中でその着物姿の女性を頻繁に目にするようになってしまったんだって。
「それで……もしかしたらこのお酒が原因かもしれないと思って、それで返しに来た次第なんです」
そういうと奥さんは、暗い顔をしたまま返金のお金も受け取らずに、子供と一緒に帰って行ってしまったそうよ。
その話を聞いたJさんは、酒を買った客の方にまで祟ってくるお夏の霊に対して、心底恐ろしい感情を覚えたんだって……。
さて、そんな幼少期に恐ろしい体験をしたJさんだったけれど、この恐怖をもう一度体験してしまう事になってしまうの。
2度目に体験したのは、Jさんが大人になって本格的に実家の造り酒造を継ぐことを決めた頃の事よ。
以前あんなに恐ろしい体験をして、一度は継ぐのを辞めようと思ったそうだけれど、成人して初めて呑ませてもらった自分の家で作っているお酒……つまり夏禁のことだけれど、それが大層美味しくて感動したんだって。
そんなわけで、Jさんはその時のお店の主人であるお父さんの元で働きだしたそうなの。
そんなある日、お店に一人の若者がやってきたわ。
「すいませーん、こちらになんでも幻のお酒があると聞いたんですが……」
若者は県外の大学でお酒のサークルの部長をしていると言って、それを求めてはるばるJさんのお店までやって来たというの。
ただこの時は時期が悪く、今みたいに暑い夏の時期だったのね。
なのでせっかく来てくれて申し訳ないけれど、そのお酒は今の時期は売れないとJさんきっぱりと断ったそうよ。
ただ、若者も多少はごねる様な言動を見せたので、Jさんは仕方なく自分が知っている、あのお酒にまつわる云われについて語ってあげたの。
最初は半信半疑だった若者も、Jさんの語る臨場感のある実体験を聞くうちにおとなしくなっていったんだって……。
最終的には騒がせてしまった事を謝罪して、近くに取ってある宿へおとなしく帰って行ったわ。
……でもね、翌日大変な事になってしまったの。
次の日、Jさんが起きるか起きないかという早朝、家中にお父さんの大きな声が響き渡ったわ。
「ど、泥棒に入られた!!」
慌ててJさんがお父さんの元へ向かうと、そこはお酒を保存している蔵の前だったわ。
施錠されていたはずの戸はしっかりと開け放たれていて、それに掛けられていた錠前は開いた状態でそこらに放り投げられていたの。
それまで泥棒に入られたことが無かったから、錠前もちょっとピッキングの知識があれば簡単に開いてしまうような代物だったのね。
一体何が盗られたのだろうか、Jさんは恐る恐る蔵の中を見てみたのだけれど……実際にはそれは泥棒とは少し違ったの。
無くなっていたのは夏禁の入っていた一升瓶が一本だけ、その前にはちょうど一本分の代金が置かれていたわ。
これを見たJさんは、すぐさま昨日店に来た若者の事を思い浮かべたんだって。
一応警察には通報して来てもらったものの、盗られたのはお酒の瓶が1つだけ、しかも代金は置いて行ってあるという事で、セキュリティについて一言二言述べて帰ってしまったの。
結局、お酒は若者と共にいずこへと消えてしまって、回収は敵わなかったそうよ。
ただ、Jさんたちにとっては盗られたことよりも、これがお酒を売った判定になるかどうかが気がかりだったわ。
もしそうなら、近いうちにまた夜にお夏の霊が出て来ることに……。
思い出すだけでも、Jさんは気が気じゃなかったそうよ。
そして彼の心配はすぐに現実のものとなってしまったの。
お酒を盗られたその日の夜、寝ているJさんはまたしても寝苦しさを感じて目を覚ましたわ。
その時、ふっ……と枕元に人の気配を感じたんだって。
(あの時と同じだ……)
当時の記憶を思い出しながら、Jさんは顔を気配のする方へ向けたわ。
すると、やはり昔見たような着物姿の女性が自分を恨めしそうに見下ろしていたの。
瞬間、冷や水を掛けられたかのように全身に恐怖を覚えたJさんは、目を閉じてその場で謝ったそうよ。
お夏さんごめんなさい、自分のご先祖がお酒を売ったせいで貴方が死んでしまうような目にあってしまってごめんなさい、お願いだから成仏してください……みたいな感じにね?
そうしてJさんがしばらく小声で必死に呟いていると、それまで何を言っているのか分からずブツブツと言っていた幽霊が、大きな声で一言喋ったの。
「そんな云われはない」
そのあまりに恐ろし気な声を耳にしたJさんは、その場で気を失ってしまったそうよ……。
翌日、他の家族に尋ねてみたけれど、やっぱりみんな自分と同じような体験をしていたんだって。
Jさんは昨晩の出来事を思い出して身震いをすると同時に、お酒を盗んでいった若者が大変な目にあってないかと心配したそうよ……。
ただそれ以来、未だにその若者や関係者がお店にやって来てないから、どうしているのか分からないって言ってたわ。
それとね、この話をしてくれた時……最後にJさん、こんな事を言ってたの。
「あの幽霊が最後に言っていたのって、つまり私がお爺さんから聞いた話がデタラメだったって事なんですかね……?」
それを聞いてね、私は何も言えなかったわァ……。




