9-3「傘の下」
「……っていう話だったんだけど、どうだったかしら?」
話を終えて感想を求めて来るお姉さんに対して、ワタルは青い顔をしながら腕組みをしてうーん……と声を漏らした。
「あの……これって、もしかしなくてもヒトコワの話になりますかね……?」
「そう……ね、確かに言われてみればそうなるわねェ……」
ヒトコワというのは怪談のジャンルの1つで、オカルトらしい要素が無く、生きている人間が中心の話である。
今回お姉さんが語った内容でいえば、幽霊も不思議な現象も一切出てこず、ただただ元担任の黒田先生の不可解な行動が奇妙で怖い話だった。
ワタルはこの、いわゆるヒトコワというジャンルが苦手だった。
もちろん他のホラーと同じ枠組みであることは理解しているのだが、どうしても他怖い話とは違った所にダメージを受けるような印象がある。
例えるなら、他の話は背中に氷水を掛けられたような感じなのに対して、ヒトコワは脇腹に重いパンチをドスっと入れられたかのような……。
ワタルがその様な事を言うと、お姉さんは首を傾げながら笑みを浮かべた。
「ふふっ、ちょっとよく分かんない」
「そ、そうですか……。でもこういう話も持ってるんですね、お姉さん」
「そうよォ? リクエストがあれば大抵の話はすぐに出せちゃうんだから」
自信満々なお姉さんを見て、つい何かお題を出してしまいそうになるワタルだったが、本当に出てきて怖い思いをしそうと思って口をつぐんだ。
「それで……どこら辺が怖かったかしらァ?」
「うっ、そ……そうですね……」
ニヤニヤとした笑みを浮かべたお姉さんに尋ねられて、ワタルは彼女の語った内容を眉をひそめながら思い返す。
「……やっぱり、その黒田先生の行動の意味が分からなくて気持ち悪いのが、なんか嫌ですね」
話の内容だけで考えるなら、黒田先生は自作した物語のテープを毎年決まった日に校内放送で流して、生徒たちに聞かせていた事になる。
ワタルはその意味がさっぱり理解出来なかった。
「ホント、何だろ……なんでこんな事したんだ……?」
「……ところでキミは、この『ゆきこちゃん』っていう朗読劇、完全なフィクションだと思う?」
「それは……」
そう、この話の核はそこにあるとワタルも感じていた。
この「ゆきこちゃん」という作品が……あくまで怪談の中での話だが……1から10までの作り話か、それとも実際に起きた事件をベースにしているか。
どちらであるかによって、感じる恐怖は変わると思われた。
「……完全なフィクションなら、自作の悪趣味な作品を子供たちにむりやり聞かせるヤバい教師の話って事になりますよね?」
「そうねェ……それだけでも結構気持ち悪いものがあるわね」
「一方で、実際にあった事件を元にしてるんだったら、その事を広めるために給食の時間に流してたとか、考えられますよね……」
「ふふっ……それで、キミの考えはどうなのかなァ……?」
「……じ、実際にあった事件をベースにしてた方が、怖いと思います」
完全にフィクションだったら、気持ち悪く感じるところはあるがまだ動機の想像は出来る。
一方で実話ベースだったら、途端に黒田先生の行動の意図が分からなくなってしまう。
ワタルはそう感じていた。
「っていうか、朗読劇の中に出て来る、小学校のころのゆきこちゃんの友達の『黒田くん』って、明らかに黒田先生の事ですよね?」
だとすれば、これは黒田先生が同級生だった女の子の半生をまとめた物という事になる。
そう考えれば話がゆきこちゃんの小学校時代から始まるのも納得出来た。
……だが、それ以降はどうだろうか?
ゆきこちゃんと黒田くんは進学先が別々だったはずである。
ならば、接点の切れた黒田くんにはその後のゆきこちゃんの事細かな暮らしぶりは分からなかったのではないだろうか。
ワタルがその疑問をお姉さんに尋ねると、彼女はこう答えた。
「きっと……調べたり人に聞いたり、直接見聞きしたんじゃないかしら」
「えっ、それは……」
黒田くんも、おそらく伊達さんと同じように先生に言われてゆきこちゃんと友達になってあげただけのはずだ。
ならば、その執着は一体何を意味するのだろうか。
ワタルにはますます訳が分からなくなった。
その時ワタルの頭の中で、お姉さんの話の中で黒田先生が言っていた「9月20日」という日にちに対して、ある怖い考えが浮かんでしまった。
「おっ、お姉さん……もしかして9月20日って、ゆきこちゃんの命日じゃ……」
お姉さんはメガネの奥の目をくしゃりと歪ませて、にんまりと微笑んだ。
その後、ワタルはお姉さんと色々な話をしたのだが、最終的な話題はやはり「赤い傘の少女」に帰結してしまっていた。
「あの、やっぱり何か聞いたこと無いですかね、こういう話って……」
「うーん……ごめんなさい、やっぱり記憶にないわね……怖い話自体はたくさん知っているのだけれどォ」
「そうですか……」
がっくりと肩を落とすワタルに対して、お姉さんが心配そうに声を掛ける。
「……お節介かもしれないけれど、あまり一つの話に対して執着しない方がいいかも……しれないわよ?」
「えっ、どうしてですか……?」
「たまにあるのよォ、怪談を集めたりしてると1つの話がやけに頭から離れなくなって、気になってしまう事が。そして、視界の隅に黒い影が過ったり夜寝てる時に金縛りになったり、そういう事が起きるの……」
お姉さんの話にワタルは絶句したが、すぐさま思い直して会話を続けた。
「や、やだなあ……そんな事起きるわけ。それに僕は話のオチが気になるだけですし」
「そう? それならいいのだけれど……」
お姉さんは、少し心配そうな目でワタルを見つめた。
夏休みが明けた。
最初の登校日、ワタルはいの一番に磯崎先生の姿を探した。
先生は廊下で生徒たちに挨拶をしている所だった。
「先生、おはようございます!」
「おっ元気に学校来れたね! えらいえらい!」
「それより先生、この間話してくれた『赤い傘の少女』の話の最後なんですけど……」
「あー、そうか途中で邪魔が入ったわね。 アレはね……?」
その時、廊下の奥から教頭先生の大きな声が廊下中に響き渡った。
「磯崎先生! いつまでそうしているんですか、朝礼が始まりますよ!」
「いっけないもうそんな時間だったか……それじゃあまた教室でね!」
そう言って話を切って、磯崎先生は職員室へ駆けていってしまうのだった。
昼休みになった。
ワタルは校庭で生徒に混じってドッジボールをしている磯崎先生を見つけて声を掛ける。
「あの先生、赤い傘の話なんですが……」
「ああアレね! あの最後は……」
「磯崎先生! 何を遊んでいるんですか! 会議があると言っているでしょう!?」
突然の教頭先生の大声が校庭中に響き渡った。
「あちゃー忘れてた……その話はまた後でね!」
そう言うと、先生は校庭を後にして行ってしまうのだった。
放課後になった。
ワタルは磯崎先生を探して校内を走り回った。
そうして、とある空き教室に先生が何かをしているのを発見したのだった。
「あの先生、赤い傘の話の……」
「ちょうど良かった! 私も早く君に教えてあげたいと思っていたの!」
「なら早く教えてください! 傘の下は、少女が差していた傘の下はどうなっていたんですか!」
「ふっふっふ、この話のオチはねえ……」
磯崎先生は満面の笑みを浮かべて答えた。
「話せないのよ」
えっ、とワタルの口から声が漏れた。
「不思議よねえ……オチを話そうとした途端に、誰かが私を呼びに来たり、急に電話が掛かってきたりして最後まで話せないの」
「それは……ぐ、偶然とかじゃ……」
「……私はね、この話を最後までしちゃいけないって、誰かがそう言ってるんだと思うの」
「だ、誰かって……? それにどうして……」
「だって、とっても怖いんですもの」
気が付くと、ワタルは空き教室ではなく薄暗い廊下に立っていた。
目の前には磯崎先生ではなく、赤い傘を差した上半身だけの少女がいる。
「なっ……えっ、何これ……?」
「でも、今日は最後まで話せるみたい」
赤い傘の少女は、ゆっくりと傘を上へと向けていく。
「ねえ君、この傘の下……どうなってると思う?」
「わ……分からないです……」
ワタルは今すぐこの場を逃げ出したかったが、どういう訳か体が動かない。
赤い傘はゆっくりと上へ向けられていく。
「……この傘の下はね?」
そう言って、少女は赤い傘をバッと後ろにはね上げた。
そこでワタルは目を覚ました。
「うわああっ!? はっ、はあ……ゆ、夢……?」
そうして今はまだ夏休み中だという事に気づくのだった。
久々に怖い夢を見たせいか、ワタルの心臓はバクバクと馬のように跳ね回っている。
部屋の暗闇が、いつもに比べていっそう恐ろしい物に感じてしまっていた。
その時、ワタルの頭に今日お姉さんに言われた言葉が思い起こされた。
「あまり一つの話に対して執着しない方がいいかも……しれないわよ?」
……もしかしたら、赤い傘の少女の話は本当に深追いしない方がいいのではないだろうか。
そう思ったワタルは──。
(第9話、了)




