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8-3「古きを尊び」


「……っていう話だったんだけど」


 ……とお姉さんが言いかけたその時、



 ──プルルルルルル……。



 ……と、スマホの着信音が鳴り響いてワタルの肩をびくりと震わせた。


「わっ、マナーモードにしておくの忘れてたァ……ごめんちょっと電話出て来るわね! ……もしもし?」


 小声でスマホに話しかけながら、お姉さんは談話室を後にする。

 そして、部屋にはワタルただ一人だけが取り残される形になってしまった。

 広い室内に今は自分しかおらず、外の雨音がやけに響いて聞こえてくる。

 窓はまるで誰かに叩かれているかのように、風でガタガタと揺れていた。


「……はぁっ、はぁ……」


 一方ワタルはというと、先ほどの急な着信音のせいで震えが収まらずにいた。

 それまではお姉さんの話の中だけの事だったのに、アレのせいでまるで怪談の内容が現実に浸食してきたかのように思えてしまったのだ。

 そのせいか、頭の中で先ほどの話に出て来た「そんな云われはない」という言葉がずっと復唱され続けているような気がする。

 

 辺りを見回すが、やはり談話室の中には自分以外誰もいない。

 ただでさえ雨に濡れて体は冷えているのに、室内のエアコンが効きすぎていて余計に寒い。

 それに加えてさっきの怪談の怖さとお姉さんのスマホの着信音のせいで、ワタルの体は震えが止まらなくなってしまった。


 足に力が入らなくて立ち上がる事もままならない。

 ワタルは少しでも震えを抑えようと肩を抱えながら腰を丸めて縮こまった。

 お願いだから誰か……お姉さん、早く戻ってきて……そんな事を必死で頭の中で願い続ける。


「ごめんねェ、従妹が急に電話掛けてきて……」


 しばらくすると用事を済ませてお姉さんが談話室に戻ってきたが、明らかに様子のおかしいワタルを見て、血相を変えて側に駆けつけた。


「き、キミ……大丈夫? ごっ……ごめんなさい、私その……そんなつもりじゃ……」


 どうしていいか分からずお姉さんがおろおろと戸惑っていると、小動物のように震えていたワタルが突然彼女に抱きついてきた。


「アラ!? あらあら……ど、どうしちゃったのォ……?」

「うぅ……お、お姉さぁん……」


 ワタルとしては、知っている人なら誰でもいいから抱き着いてこの恐怖心を鎮めたい一心だった。

 しかし、少なからず憧れを抱いている女性に対してそんな事をしているとは、この時点ではあまり意識していない、いやする余裕のない状態だった。

 一方で抱きつかれたお姉さんはというと……。


「あらあら……だ、大丈夫ゥ……?」


 困ったような、それでいてどこか嬉しいような、複雑そうな表情をしながらワタルの頭を撫でる事しか出来ずにいた。




「……本当にすいません」


 少ししてから冷静さを取り戻したワタルは、自分のしでかした事があまりにも恥ずかしくって、謝る事しか出来なかった。

 お姉さんはというと、にやにやと頬を緩めながらワタルを見つめていた。


「うふふ……いいのよォ、私が悪かったんだし……うふふふふふ」

「いや、本当にごめんなさい……」


 お姉さんの嬉しそうな眼差しがからかわれているように感じて、ワタルはただただ恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。

 ただ、その恥ずかしさのお陰で怖さは多少は薄れたようにも感じられる。

 そんな風に顔を赤くしてうつむくワタルを、お姉さんは笑顔で覗き込みながらいつもの様に感想を訪ねてきた。


「それで、さっきの話どこが怖かったかなァ……?」

「そ、そりゃあ……最後の電話のシーンですよ」


 怖さこそどこかへ行ってしまったが、未だに頭の中で念仏のように「そんな云われはない」という言葉が反響しているようにワタルは感じていた。


「Hさんが一体何に対して恐怖しているのかが最後に分かるっていうのが、こう……びっくりしましたね」

「へへっ……ありがとォ……」


 何に対してのお礼なのかイマイチ分からなかったが、ワタルはそれを聞き流して話を続けた。


「でも今回の怪談って、いつもに比べれば考えるような所は特にないくらいストレートな話でしたよね」

「そうねェ……言ってしまえば、悪い事をしてバチが当たったっていうだけの話だものね」

「つまり神社の由来を勝手に捏造したから、そこの神様が怒ったって事ですよね?」


 てっきりそれで同意が返ってくると思ったワタルだったが、お姉さんは首を縦に振らずに黙ってワタルを見つめるだけだった。

 途端に、ワタルの胸に不安な気持ちが湧いて出る。


「ち、違うんですか……?」

「ふふっ……私もそう思うわァ」

「……思わせぶりな態度はやめてくださいよ」


 ワタルは呆れて文句を言う事しか出来なかった。


 その後も、ワタルはお姉さんと怪談の事などの話を続けていたが、しばらくすると外でザアザアと音を立てて降っていた豪雨が止んでいた。

 風も幾分か勢いが落ちたようで、窓の揺れも収まっている。

 ワタルはお姉さんと一緒に図書館の外に出てみると、傘が無くても外を歩ける程度には天気が落ち着いていた。

 ただ、遠くの空の方ではまだどす黒い雲が見え、風に乗ってこちらに近づいてくる様子だった。


「これは急いで帰った方が良さそうねェ……」

「……みたいですね」

「それじゃあ……」


 そう言って、お姉さんはなぜかワタルの顔を見ながら言葉を詰まらせる。

 ワタルはそれが妙に気になった。


「あの……どうしたんですか、お姉さん」

「えっと……き、キミも気を付けてね!」

「あっ……はい、それじゃ!」


 そう言ってワタルは自宅へ、お姉さんは駅のある道へとそれぞれ別方向に駆け出した。


 自宅へ急ぐ途中、ワタルはさっきの事が妙に引っかかっていた。

 お姉さんが自分の顔を見て、一瞬何かを言いかけて固まった事である。

 アレは何だったのかしばらく考えた結果、自分をなんと呼べばいいのか分からなくて言葉に詰まったのだとワタルは思った。


「そういえば、お姉さんに僕の名前ってまだ教えて無かったな……」


 今更な事にワタルは気づくが、相手の名前を知らないのは自分も同じだった。

 ……お互い名前の知らない、小学生男子と大学生のお姉さん。

 なんだか自分と彼女の関係が妙に思えて、ワタルは何と言い表せばいいのか分からない気持ちになる。


「……今度、名前教えてもらおうかな」


 そんな事を呟きながら、ワタルは家路を急いだのだった……。




「ただいまー……」

「おかえりー、雨大丈夫だった?」

「うん、ちょうど止んだ所を走って帰ってきて……」


 自宅に帰ったワタルは、出迎えてくれた母に対してそう返事をしたのだが、直後玄関の向こう側から再び土砂降りの雨の轟音が聞こえて来た。

 ちょうどいいタイミングで帰宅できたことに、ワタルは安堵するとともに肝を冷やすのだった。


 それから何時間か経って日もすっかり落ちた頃、ワタルの父がタクシーに乗って帰宅した。


「いやぁ酷い渋滞だったよ! なんか雨で沼が増水して道が通行止めになってさあ」

「珍しい事もあるものねえ、滅多に溢れたりしないはずなのに……」


 沼、という言葉が聞こえて来てワタルはドキリと心臓を震わせた。


「ね、ねえお父さん……沼って、お滝沼の事?」

「そうそう、あっち方面に帰る車が渋滞してそれに巻き込まれて……」


 それを聞いて、ワタルの胸中には妙な不安感が押し寄せて来た。

 ……もしかして、勝手に自由研究のテーマにしたのを怒ってるんじゃないか?

 それで大雨が降って増水してしまったんじゃないか、と……。




 数日後、氾濫の危険性が無くなるのを見計らってから、ワタルはえーちゃんとカッツと共にお滝沼のほとりへとやって来ていた。


「別に俺は必要ないと思うけどなぁ……」

「でもやってみる価値はありますぜ?」

「ほら二人とも、ふざけてないでちゃんとお願いしようよ」


 そう言って、ワタルたちは沼に向かって手を合わせた。

 自由研究のテーマとして扱う事を、きちんとお願いしに来たのであった。

 えーちゃんの言う通り、する必要は無いのかもしれない。

 しかし、こうして相手に対してきちんと礼を尽くす事までやって、初めて自由研究が完了するとワタルは思ったのである。


(お願いします、どうか自由研究に使わせてください、そして祟ったりしないでください……!)


 ワタルが何秒、いや何十秒そうやって熱心に手を合わせていただろうか。



 ──どぷん。



 突然、前の方の沼から水音が聞こえて来た。



(第8話、了)


いつもご覧になっていただきありがとうございます。

活動報告の方で次回更新予定についてのお知らせがございます。

宜しければ、ご覧になっていただけると幸いです。

(2026/07/05)


それと、よろしければなのですが……

もし面白かったら評価とブクマなどをしていただくと、

とても、とても励みになりますので何卒よろしゅうお願いします……。


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