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8-1「伝承って?」

「ああ、それって例の奴?」

「そうだけど……いきなりどしたの、カッツ」

「え、何が?」


 その日、ワタルはえーちゃんの家の前で同級生のカッツとバッタリ出くわしていた。

 ワタルは筆記用具などがぎっしりと詰まったカバンを手に持っている。

 一方でカッツは模造紙を巻いた棒やら定規やら、様々な長いものが出ているリュックを背負っていた。

 パッと見、五条橋の上に立っていてもおかしくない出で立ちだ。


「カッツ……その、リュックから飛び出てる孫の手とかって使うの?」

「可愛いだろう? 爺ちゃんの部屋にあったの持ってきたんだ」

「いや何に使うのか聞きたいんだけど……」


 そんな風に二人で話し込んでいると、玄関が開いてえーちゃんが顔を覗かせてきた。


「なんだもう着いたの、暑いし早く入りなよ」


 空は雲一つ無い青空で、お日様がカンカンにワタル達を照らしている。

 額にじわりと汗の感触を覚えながら、二人はえーちゃんの家に入って行った。




「えーちゃん、そのペン借りるぜ」

「ああいいよ……って、そうやって使うのか孫の手」

「意外と重宝する道具だったんだね……」


 カッツが孫の手を使って遠くに置いてあった油性ペンを器用に引き寄せるのを見て、ワタルとえーちゃんは感心させられた。


 3人は今、えーちゃんの家の居間で大きな模造紙を広げて、夏休みの自由研究で調べて来たことを書き込んでいた。

 今日はみんなで集まって、この夏休みの間に調べて来た内容のまとめをする日なのである。


 きっかけは1学期の終業式の日の事だった。

 さて今年の自由研究は何をしようかとワタルが考えていると、えーちゃんとカッツが声を掛けて来た。


「ワッちんワッちん、今年の自由研究3人で一緒にやらないか?」

「モンジャモンジャ」

「……カッツは3人寄ればなんとやらって言いたいの?」


 えーちゃん曰く、一人でやるよりも三人でやった方が自由研究の負担も減らせて面白い事が出来る、との事だった。

 確かに貯金箱なんか作るよりも楽しそうだ、そう思ったワタルは二つ返事でこれを引き受ける事にした。


「やりたい事も決まってるんだけどさ、こういうのってどう?」


 そう言ってえーちゃんが提案してきたのは、この町の南側にある「お滝沼」について調べて発表する、というものだった。

 一瞬なんかつまんなそうとワタルは思ったが、調べるのは沼の成り立ちや生き物などではなく、そこに伝わる伝承についてなのだと、えーちゃんは言った。


「ワッちんは聞いたことあるかな、お滝沼に古くから伝わる話を……」


◇◇◇


 お滝沼は北東から南西にかけて伸びている、広い沼である。


 その昔、まだ名前が付く前のこの沼は大雨が降ると増水して周囲に甚大な被害を度々引き起こしていた。

 周囲の人々はこぞって「これは沼に住まう龍神様が怒っているのだ」と言い、恐れおののく事しか出来なかった。

 そんな時、お滝という沼の近くに住む娘がいつまでも止まない水害に対して業を煮やし、


「龍神様に沼を溢れさせないでくれるよう、直接お願いしに行く」


 と言って沼へ飛び込んでしまい、文字通り帰らぬ人となってしまった。


 だが不思議な事に、それ以来大雨が降っても沼は増水せず周囲に水害が発生する事が極端に減ったのだという。

 人々はお滝が本当に龍神様へ願いを届けてくれたのだと感謝し、沼もそれからは彼女の名前から取って「お滝沼」と呼ばれるようになったのだった……。


◇◇◇


 以上が、この辺りに住んでいる人間なら誰でも知っているような、お滝沼に纏わる伝承である。

 ただし、えーちゃんが着目したのはこの伝承自体というより、それの「怪談」としての側面の方だった。


 そもそもこのお話には複数のパターンがあって、中には生贄として娘を無理やり沼に放り込んだなんていうものもあった。

 そしてさらには、死んだはずのお滝が夜な夜な沼の周辺で目撃されて、またそれを見た者は呪われるなんていう話も存在した。

 こういった物を集めて調べれば、面白い事が判明するかもしれない……そうえーちゃんは考えたのである。


 夏休みに入って以降、えーちゃんは沼の周囲に住む人たちへの伝承やそれに付随する怪談の聞き込み、カッツは図書館に置いてある本やインターネットでどのように伝わっているかを調べる。

 ワタルは怖い話に直接関わりたくないので、伝承を調べる際の方法にどのような物があるか、それらにどんな利点があるかなどをまとめる事にした。

 そうして調べ終わった物を持ち寄り、あとは3人で調べて来た事を模造紙にまとめ、夏休み明けに提出し発表すればいいだけだった。


「……なあなあ、ワッちん、カッツ」


 発表用紙がもう少しで完成しそうという所で、急にえーちゃんが二人に話しかけて来る。


「どしたのえーちゃん? なんかミスった?」

「俺たち自分のだけで手いっぱいなんだぜ?」

「いやそうじゃなくって、俺今回の自由研究して良かったなあって……」


 えーちゃんが何を言いたいのか分からず、ワタルは首を傾げた。


「ごめん、どういう事?」

「俺今まで怖い話って、本やインターネットでしか知らなかったし、人から聞くのも大体他人の体験談だったんだけどさ……」


 ワタルを見つめながら、えーちゃんはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「……聞けちゃいました、お滝沼の近くに住んでる人から、直接怖い話を」

「ウソでしょ……?」

「いや本当本当。これはある雨がしとしとと降る夜の事だったんだって……」

「えっ、もしかして今から話す感じ?」


◇◇◇


 お滝沼の近くに住む男性から聞いた話。


 ちょうど梅雨に入ったばかりで、何日も雨が続いていた時期の事だったそうだ。

 その日の夜、男性は自宅へ帰るためにお滝沼の側の道を車で走っていたのだがその途中、ヘッドライトの先に見知らぬ女がぼーっと立っているのが目に入った。

 知らない顔の若い女性である。

 ここら辺に住んでる人ではない様だし、こんな夜に他所の人が立ち寄るような場所ではない。


 男性は気になったが、なんだか妙に怖く感じてしまいそのまま横を走り去る事にした。

 夢か幻でも見てしまったのだろう、男性はそう思う事にするのだった。

 だが、翌日、そしてその翌日も、雨が降る夜道で決まってその女性を見かけるようになったのだという。


 そうして、不気味な女性を見かけるようになって何日かした雨の夜。

 嫌な顔をしながら車を走らせる男性だったが、その日はなぜかいつも女性がいる辺りに誰もいない。

 何気なく車を停めて窓を開け、外の様子を見ようとした時……。

 ざぶん、と何かが沼の中に飛びこんだような音が聞こえて来た。

 何事かと男性は車内にあった懐中電灯を手にすると、沼の方へ明かりを向けてみる。

 すると……。


◇◇◇


「沼の中から女の首が出ていて、自分をじいっと睨みつけてたんだってさ……」


 そう言って、えーちゃんは怪談を語り終えた。

 部屋の中は妙に静まり返ってしまい、エアコンの音だけが聞こえて来るばかりである。

 いきなり怖い話をされたワタルの心は、まるで空気の抜けたボールのようにふにゃりと萎んでしまった。


「……えーちゃんさあ、もしかしてそれも発表する気なの?」

「当ったり前じゃん、これこそがお滝が恨みを持って死んだ可能性を教えてくれるような話じゃん」

「でもさあ……磯崎先生に怒られるんじゃないかなあ……」


 あまりに自分たちの研究内容に入れたくないワタルは、担任の名前を出してこれを阻止しようとする……しかし。


「磯崎先生ならこういう話好きだし大丈夫だって、話してくれた人にも掲載の許可取っちゃったし」


 それにもう紙に書いちゃったもの……と、えーちゃんは発表用紙をワタルに見せつける。

 そこにはご丁寧に、沼から首を出す恐ろしい女のイラストまで描かれていた。

 ワタルは大きくため息を吐き出しながら、その場にごろんと倒れ込むのであった……。




 お昼ご飯を食べた後、ワタルたちは仕上げに向けてラストスパートを掛ける。

 おかげで、夕方前には発表用紙は完成させる事が出来たのだった。

 それから適当に3人で遊んでから解散となったのだが、えーちゃんの家を出ると空模様が朝見た時とはガラッと変わり、真っ黒い雲で一面が覆われていた。


「なんか危ない天気だな……」


 そう言いながらも走って帰れば大丈夫だろうと思うワタルであったが、えーちゃんの家から少し進んだ辺りでぽつぽつと雨が降り出す。

 家に向かう足を速めるが、それも虚しくまだまだ距離がある地点で雨は滝のような豪雨へと変貌してしまった。

 いくら何でもこれはたまらない、とワタルはすぐ近くにあった木の下へと緊急避難をする。


 真っ暗い雨雲に覆われているせいか、朝には色彩豊かに見えた街の風景は、なんだか全体的に灰色がかってどんよりとして見える。

 それがなんだかワタルには不気味に感じられた。

 まるで、さっきえーちゃんから聞いた怖い話を思い起こさせるような……。


 その時ワタルは自分が今いる場所が、いつも来ている図書館のすぐ近くである事に気づいた。

 助かった、雨が止むまで中で待とう……そう思い持ってきたカバンを頭に乗せて図書館前まで走りだす。

 なんとかそこまでずぶ濡れにならずに入口前まで来られた、と思った直後。

 図書館の玄関横の全面窓の向こう側に、誰かが手をぴったりと付けてこちらをじっと見つめている人物がいる事にワタルは気づいた。


「お……姉さん……?」


 窓の向こう側のお姉さんは、まるで獲物を見つけた猛禽類のような目でワタルを見ながら、ニヤリと微笑んだ。


 


「なるほどなるほど、あと1時間くらいしたら雨雲どっかに行くらしいわよォ……?」

「あ、ありがとうございます……」


 ワタルは、タオルで髪を拭きながらお礼を言った。

 お姉さんが持っていたもので、ふんわりと良い匂いがして妙にドキドキとさせられる。

 一方、お姉さんはというと自分のスマホで天気情報を確認していた。

 どうやらもうしばらくはここで雨宿りしなければならないらしい。


 流石にびしょ濡れで本棚のある所にいけないので、二人は談話室に移動していた。

 天気が悪いせいか、図書館自体にあまり人がおらず、その為談話室もワタルとお姉さんの二人きりであった。

 冷房が効きすぎていて妙に肌寒い、とワタルは思った。


「でもお滝沼かァ……なかなか面白いものをテーマに選んだわね」

「まあ言い出したのは僕じゃないんですけど、まさか本当に怖い話が出て来るなんて……」


 ワタルはどうにも手持ち無沙汰だったので、今日自分が友人たちとしていた事を何気なしにお姉さんに話していた。

 ちょうど怪談も絡む話であったし、お姉さんも興味を持つと思ったのだった。


「私も大学の講義でよくそういう事してるけど、昔の出来事について調べるのは楽しいわよねェ……」

「まあ……確かに、思ってたより興味深い事が色々分かったのは面白かったですね」

「うんうん……でも、そっか……昔の事を……」


 お姉さんは何やら口に手を充てて考え事をし始め、しばらくして口を開いた。


「ねぇ、怖い話……聞きたくない?」

「……何でも出てきますね、お姉さん」


 なんにでも怖い話に繋げて来るお姉さんに、ワタルは呆れたような物言いを返す。


「ちょうど昔の事を調べる怖い話があるのよォ……!」

「ちょうど有る……じゃないんですよ、もし僕が聞きたくないって言ったらどうするんですか?」

「駄々をこねるわ」


 そう言ってお姉さんが床に仰向けになろうとするので、ワタルは慌てて止めるのだった。



 ──次回「そんな云われはない」


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