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6-3「山が呼んでいる」


「……っていう話だったんだけど、どうだったかなァ?」


 話を終えたお姉さんがいつものように尋ねるが、ワタルからの返事は返ってこない。

 今日は図書館の冷房が効きすぎているのもあるのだろう。

 そのせいか、先ほどのお姉さんの話の中に出て来た雪山の雰囲気を必要以上に想像してしまい、ワタルは言葉が出せなくなっていた。


 容赦なく肌に叩きつけられる冷気。

 歩くことが困難に感じる降り積もった雪。

 そして、背後から追いかけて来る黒い穴……。


 想像がどんどん加速して呼吸が荒くなっていき、ワタルの意識が限界を迎えそうになった……その時。

 横から何かがにゅっと伸びてきてワタルの手を掴んで来た。


「はぁっ……ああ!?」


 驚いて悲鳴を上げそうになるワタルだったが、伸びて来たのはお化けとかではなくお姉さんの手だった。


「こんなに冷たくなっちゃって、そんなに私の話怖かったァ……?」

「なっ、いえ……それは……」

「ふふっ、ごめんなさい……ついつい話すのに夢中になっちゃって……」


 そう言いながら、お姉さんはワタルの手を揉みしだき続ける。


「どう……あったかい……?」

「そっ、その……」

「……ふぅん、まだ子供だと思ってたけど、手はしっかりと男の子なんだァ」

「お姉さん……!」


 あまりに揉まれ過ぎて恥ずかしくなったワタルが、顔を真っ赤にしてお姉さんの手を振り払った。


「……もう、からかうのもいい加減にしてくださいよ」

「ふふっ、ごめんなさいねェ……ところで、さっきの話どこが怖かったァ?」


 お姉さんに散々手を揉まれまくったお陰か、ワタルの先ほどまで感じた凍えるような恐怖心は収まっていた。

 怖かった所……と聞かれ、ワタルはお姉さんの話を思い返す。

 確かに雪男の正体が「穴」だったとかそこに人の顔が詰まっていたとか、想像しただけでも身震いさせられる。

 ただ、それよりも……。


「僕は……雪男の正体も怖かったですけど、それから逃げて下山している最中を想像すると……そっちが何かゾッとしますね」

「あら、そこなの?」

「だって判断を間違えたら遭難するかもしれないルートを、雪男……いや穴人間から逃げながら急いで下山しなきゃいけないんですよ……?」


 しかもそれは1、2時間で済むような話ではない。

 遭難するかもしれないという恐怖と、穴人間がすぐそこまで来ているかもしれないという恐怖、その2つを感じながら何十時間もずっと逃げ続けなければならない。

 それはきっと精神をガリガリ削られ続けた事だろう。

 ワタルはそれを想像すると、血の気がスッと引いてしまうような気持ちになってしまうのだった。

 一方お姉さんは……。


「穴人間……ふふっ、穴人間……」


 ワタルが付けた怪異の名前がツボに入ったのか、笑いが堪えられなくなっていた。

 なんだか自分でも恥ずかしくなってきたが、ワタルはそのまま話を続ける事にした。


「ところで、穴人間の正体なんですけど……」


 ワタルは気になっていたことをお姉さんに尋ねる。

 正体がはっきりと分かるような存在ではないものの、ワタルの中ではいくつかの予想が立っていた。


「ちょっと考えてみたんですけど、例えばあの山の遭難者たちの怨念の集合体とか……ですか?」


 確か話の中に、何年かに一度登山部の中から遭難者が出ている、という情報が出ていたはずだ。

 それなら、その霊たちが数年毎に犠牲者を呼びよせているのでは……とワタルは考えたのである。

 なるほどねェ……と、お姉さんはワタルの考えに感心するような表情を見せながら、自分の考えを言った。


「私としては……人間じゃない何かが正体なんじゃないかなって思うの」

「人間ではない……?」

「キミの言う通り正体が遭難者たちの怨念なら、もうちょっと分かりやすい姿で現れるんじゃないかなって」

「分かりやすい姿って……例えばどんな感じですか?」


 ワタルに尋ねられたお姉さんは、しばらく考え込んでからこう答えた。


「……遭難者たちが身に着けていた物が、集まって人の形になったもの……とか?」

「それは……」


 古めかしく汚れた登山ウェアやゴーグル、リュックにピッケルなどが集まって巨大な人型を形成している怪異……。

 そういったものを想像して、こっちの方が分かりやすくて怖いとワタルは思った。

 頭の中のイメージに背筋をゾッとさせられている少年を横目に、お姉さんは話を続ける。


「なァんか……山が口を開けて人間吸い込んでるみたいに、私は感じたかなあ」

「……ええ?」

「奇妙な物を見せて興味を引いて、いざそれを確かめに山に来たらバクン! って感じしない?」


 ワタルはそういった罠で獲物を捕る魚がいるのを、テレビで見た事があるのを思い出した。


「つまり魚ですか?」

「……? まあだから私としては怨霊じゃなくて、山そのものが正体なんじゃないかな……って思うの」

「山ですか……?」

「そう、山」

「……ヤマァ?」


 あまりに突飛でスケールの大きな話で、ワタルはお姉さんの言っている事があまり想像出来なかった。

 その、どうにも釈然としない様子を、お姉さんはにんまりとしながら見続けるだけであった。




「でも、山の怪談ってなんでみんな好きなんですかね?」


 外の自販機の前で、お姉さんに買ってもらったジュースを飲みながらワタルが訪ねた。

 談話室が思いのほか冷房が効きすぎていたので、二人で図書館の外に移ったのである。

 まだまだ日は高くて暑いが、ちょうど影が差している所は冷たくなった体を温めるのにはちょうど良かった。


「あらァ……私は海の怪談や空の怪談も同じくらい好きよ?」

「……なんですか、空の怪談って」

「知らないかしら? グレムリンって」


 そう言ってお姉さんはゴリラの仕草のようなジェスチャーを見せるが、ワタルはそれが何なのかさっぱり分からない。

 一通りやり終えて満足そうな顔をしてから、お姉さんは話に戻った。


「ふぅ……まあキミの言いたいことは分かるわよ? 山の怪談って独立したカテゴリが出来てて人気よねェ」

「怖い話ってだけなら、他の怪談とそこまで変わらないと思うんですが……」


 そうねェ……と呟いてからお姉さんはしばらく黙り込んで考えてから、自分の考えを述べた。


「やっぱり誰も居ない大自然の中で、何かが起こるから怖いんじゃないかしらァ……」

「……まあそうだと思いますけど、なんか普通というか」

「でも海や空に比べると、足さえあれば歩いて入れる分、手軽な異界なのかもしれないわね」

「手軽……手軽かなあ」


 学校の行事で毎年死ぬような思いをして山を登っているのを思い出して、ワタルは首を傾げた。


「だからねェ、キミも今度山へ行くときは、何かがいないか探しながら登ると楽しいかもしれないわよォ……?」

「なっ、今から怖い事言わないでくださいよ……あっ」


 お姉さんにからかわれ顔をそむけた時、ワタルの目に外の時計が目に入る。

 ちょうど午後3時を過ぎた頃だった。


「っと……ごめんなさいお姉さん、僕もうそろそろ帰りますね」

「ええっ、まだ早いじゃない……」


 お姉さんは残念そうな声で引き留めようとしたが、ワタルはこれを意に介さない。


「ごめんなさい、明日の準備があるから早く家に帰らないとなんですよ」

「明日って?」

「お爺ちゃんの家に行ってくるんです」


 ワタルの家は毎年お盆の時期になると、田舎にある母方の実家に帰省していたのだった。

 それを聞くとお姉さんは、ひどく落胆したような顔を見せる。


「そう……でもしばらくキミの顔が見れないだなんて、お姉さん寂しいなあ」

「……お盆が終わったら帰ってきますから」


 そう言いながら、ワタルは自然に今度会う約束をしている自分に、内心少し驚いていた。

 エアコンはもう直ったことだし、宿題も殆ど終わったから図書館に行く理由は無いはずである。

 それでも行くのなら、それはもう……。


(お姉さんに、会いたいだけなんだ……)


 そう気づかされたワタルであったが、どうにも認めたくない気持ちが邪魔をして、頭を振って考えを吹き飛ばした。




 翌日、ワタルたち家族3人は新幹線に乗って母方の実家へと向かっていた。

 両親が楽しそうにアレコレと子供に分からないような話をしている横で、ワタルは窓の外を眺めながらぼーっとしていた。

 すると、新幹線はいつの間にか山の麓まで来ている事に気づく。

 名前も知らない雄大な山の風景が、どんとワタルの目の前に広がる。


 ──アレ以来どんな山を見てもですね……吸い込まれそうになるんですよ……。


 お姉さんの話に出て来た、Fさんが最後に言った言葉をワタルはふいに思い出した。

 そして、自分も窓の外の景色を見ていると、なんだか同じ感覚を覚えるような気がしてくる。

 そうして、山から目が離せなくなっていると……。


「ほらワタル、お菓子食べる?」


 隣に座っている母に声を掛けられハッと我に返ったワタルは、そちらを振り向いた。


「どうしちゃったの? 今日はやけにぼーっとしてるけど……」

「ん、いやあ……なんでもないよ」


 そう言ってワタルは視線を元に戻したが、新幹線はとうにトンネルに入っていて、窓の外は真っ黒に染まっていた。


(第6話、了)


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