6-2「雪男」
天狗、迷い家、山の牧場、ヤマノケ……。
山の怪談って色々あるけど、なァんか他のと雰囲気が違う物ばかりよねェ……。
身近にはない独特な恐怖があるっていうか……なかなか言葉で説明するのが難しいものばかりだわ。
今日話すのも、そんないつもと違った怪談よォ……。
この話は、今は県外で働いているFさんという男性から聞いた話よ。
今は、っていうのはFさんはこの県が出身の人なのね。
そして話はFさんが中学生の頃まで遡るのだけれど……。
……キミも知っていると思うけれど、ここって冬はドカっと雪が降るから、その後はどこの道も歩くのが大変になるのよね。
当時のFさんも、雪が降った次の日なんかはまだ除雪もままならない道を、長靴でぎゅっぎゅっと足跡を付けながら学校へ行ったりしたそうよ。
Fさんが住んでいた地域はここみたいな平野部で、南側を向くと左から右へとずらりと山々が並んでいるのを一望する事が出来たわ。
その日もFさんはそういった風景を見ながら、ぎゅっぎゅって音を鳴らして下校していたそうなんだけど、その時不思議なものを目撃したの。
Fさんの目に映る山々の風景の一番奥、全体を雪で真っ白に染め上げた一番標高の高い山の山頂付近……。
そこに、何やら黒いヒトガタをした何かが動いているのが目に入ったの。
最初Fさんは、それを登山者の姿だと思ったわ。
けれど、そこから山まで何十キロも離れているから、例え山に人がいたとしても見えるはずが無いという事にすぐに気づいたの。
それじゃあ、アレは一体なんなのか……。
Fさんが困惑している間も、山頂のヒトガタは変わらず動き続けていたわ。
……ねえ、キミはこれなんだと思う?
……いいわねェ、私そういうの好きよ?
ただFさんが考えたのはそれと違ったわ。
Fさんはそれを……雪男だと思ったの。
前日に見たテレビのオカルト番組で紹介されていたものを連想してしまったんだって。
もちろん、本当にそうだと思ったわけじゃなかったそうだけど、そんな風に思ってしまったのね。
人は不思議なものを見ると、それから目が離せなくなってしまうとはいうけれど、その時のFさんがまさにそれだったわ。
瞬きするのを忘れてしまいそうになるくらい、彼はヒトガタを見るのに夢中になってしまっていたの。
それになんだか、その雪男を見ていると吸い込まれるというか、どこかへ落ちていきそうな……そういう不思議な感覚がしたそうよ。
これは一体なんなんだろう……そう思いながらFさんが見続けていると、
「コラァ! いつまで道草食ってるんだい!」
いつまで経っても帰ってこないFさんを、心配して探しに来たお母さんの怒鳴り声が彼の耳を貫いたわ。
それで我を取り戻したFさんが気が付くと、いつの間にか周囲は真っ暗になっていたの。
体感ではたったの十数分くらいと思っていたのに、実際には2時間もその場にいた事になるのね……。
そうだ、雪男はどうしただろうか。
そう思ってFさんが山の方をもう一度見てみたのだけれど、山は頂上どころか全体が夜の暗闇に消えて見えなくなってたそうよ……。
そしてそれ以来、Fさんがその山を見ても雪男の影を見る事は無かったわ。
……これだけなら、子供の頃に見た不思議なものってだけで終わる話だったんだけれど。
あの雪男が一体何だったのか、その答えを知りたいという思いがFさんの中で日に日に強くなっていったのね……。
まずFさんは、あの山……仮にI山とするけれど、そこへ登る方法を調べたわ。
でもそれで分かったのは、今のFさんには登るのに必要なお金も体も技術も知識も、全く足りないという事だったわ……。
難易度が高い山だったのね、I山って。
どうすればいいのか分からず時間だけが過ぎていったけれど、数年後進学した大学に登山部がある事を知ったFさんに、とある良いアイデアが浮かんだのね。
そこはI山への登山経験のある部員もいるところだったの。
かくして、そこに入ったFさんは部活動を真面目に取り組んだおかげで、大学4年の夏、ついに念願のI山登山へ行くことが叶ったわ。
初めて登る難易度の高い山という事で不安もあったけれど、OBの先輩方も一緒に登ってくれるので、Fさんとしてはそれがとても心強かったそうよ。
I山というのは道がそれほど険しくない代わりに、登山口が山頂からとても離れているのね?
だから、登山開始から山頂に到着するためには2~3日かけて登る事になって、それが難易度を上げている要因だったわ。
でも、そこら辺も先輩たちのアドバイスのお陰でどうにか過ごすことが出来て、ついにFさんは数日かけてI山の頂上にたどり着くことが出来たわ。
ただ、この時の登山では雪男の痕跡らしいものを見つけることは出来なかったの。
やっぱりアレは冬でないと遭遇出来ないのか……。
そう思ったFさんは下山中、先輩に冬季のI山登山を提案してみたけれど、すぐに却下されてしまったそうなの。
「冬のI山は遭難者が出る程の危険な所だ、部員をそんなところに行かせられないんだよ」
──大学を出てもっと経験を積んで、それから登ればいい。
先輩はそう言ってくれたけれど、Fさんはもう我慢が出来なくなっていたわ。
そして大学4年生の冬、彼は単独でのI山の冬季登頂に挑むことにしたの。
冬のI山は想像以上に過酷だったそうよ。
まず登山口に立った時点で、夏に来た時のそれとはまったく別の世界と化していたって、Fさんは言ってたわ。
まず単純に雪が降り積もっている事。
これだけでまともに歩くことは困難で、場所によってはピッケルを使って、歩くというよりも文字通り這う様に進まなければいけない所もあったそうよ……。
次にルート。
さっきも言った通り雪が降り積もっているから、本来の山頂へ至る道筋がその所為で分からない所が多かったらしいわ。
今の時代ならスマホで現在位置とかすぐに分かりそうだけど、この話の時代ではまだスマホどころかGPSの機械すら普及して無い。
だから、Fさんも地図とコンパス、そして目に見える地形をヒントに着々と登るしか無かったそうよ……。
そして天候も夏のそれとは全く別物だったわ。
夏ですら山頂付近は息が白くなるほど寒かったけれど、冬のI山はそれどころでは無かったそうよ。
ただでさえ常に体感気温はマイナスを下回っているのに、吹雪などになったらそこからさらにグッと下がって、さらには強風で冷たい風がバシバシと顔を叩いたわ。
吹雪ともなると視界も急に悪くなるから進めなくなって、天候が回復するのを待ってその都度足止めをせざるを得なかったんだって……。
とにかくそういった死と隣り合わせの状況の中で、Fさんは雪男に会いたいという一心でI山の頂上を目指したわ。
そうして夏の時の倍の時間をかけて、彼はとうとう山頂に到達したの。
その時は夏の時とは違って天気が晴れていて、目がつぶれるようなまぶしい青空と、眼下には遠くの街並みや、そのさらに向こうに広がる海がFさんの目に飛び込んで来たわ。
とうとう目標であった冬季のI山の、しかも単独登頂に成功した彼は、夏以上の達成感を覚えて嬉しくなったんだって。
さて、山頂までやっとの思いでたどり着いたFさんだけど、本来の目的は雪男を見つける事だったわ。
I山の山頂には、冬には無人になってしまう山小屋があったのね。
Fさんが来た時は結構雪に埋もれてしまっていたけれど、携帯スコップでどうにか掘り起こして、入れるようにすることは出来たらしいわ。
あとはここを拠点として、持ってきた食料と相談しながら、せめて痕跡らしいものが見つかるまでこの山頂に居座ってみよう。
この時のFさんの頭にはもう雪男の事しか無かったのね……。
その日の夜はとても吹雪いたそうよ。
テントすらまともに維持出来ないような光景を見て、この山小屋があって本当に良かったとFさんは思ったんだって。
そうして彼は朝になったらこの天候が回復する事を祈りながら就寝したわ。
……それから、どれくらい時間が経った頃かしら。
「おおーい……」
どこからか、人が呼ぶ声が聞こえてきてFさんは目を覚ましたわ。
時計を見ると朝の6時を少し過ぎた辺り……少なくとも普通の登山者がやって来れるような時間帯では無かったのね。
もしかしたら遭難者だろうか……とにかく何者かを確かめるべく、Fさんは山小屋の外に出る事にしたわ。
夜はものすごく荒れていた天候もどうにか止んでくれたみたいで、Fさんが外に出た時はすっかり晴れていたそうよ。
日の出が近いせいか、周囲はだんだんと明るみを帯びて来ている。
その風景の中、Fさんのすぐ目の前にそれは立っていたわ。
……黒い、真っ黒いヒトガタ。
一見すると、それはただの黒いシルエットのようにしか見えなかったけれど、Fさんは目を凝らして見て愕然としたわ。
穴、だったそうよ。
人型の穴が、まるで人間が立っているかのように空中に空いてたんだって。
そしてそれを前にしたFさんは、穴に吸い寄せられるというか、落ちていくような、かつて感じたあの感覚を覚えたそうなの。
間違いない、これが探していた雪男の正体だ。
そう確信したのだけれど、これが一体何なのかはさっぱり分からない。
どうすればいいのか分からずFさんが固まっていると、
「おおーい……」
さっき山小屋の中で聞いた声が、穴の中から聞こえて来たわ。
中に誰かいるのだろうか……そう思った次の瞬間、穴はまるで人間のようにのそのそとFさんの方に歩いてきたわ。
そして穴を間近にして、Fさんはその中を覗いてしまったのね。
「おおーい」
人の顔がある。
薄暗い穴の中にみっしりと詰まっているたくさんの男女の顔が、全員Fさんをぎょろりとした目で見つめていたわ。
それを認識した途端、穴の中から人間の腕が何本もにゅっと飛び出してきて、Fさんを掴もうとしたんだって。
もう、大声を出してその場から逃げ出すことしか出来なかったんだって、Fさんは言ってたわ……。
その後は大変だった、の一言では表せないくらい過酷だったそうよ。
なにせ持ってきた登山道具一式は山小屋に置いたまま、着の身着のままで逃げ出してしまったんだもの。
普通ならルートすら分からずに遭難してもおかしくは無かったわ。
ただ、そこはFさんの技量と天候が恵まれた事が功を奏したわ。
殆どカンのようなものだったけれど、今まで歩いてきたルートを周囲の地形などから判断して、外れることなく進むことが出来たんだって。
食料も上着の内側に高カロリーの携帯食をいくつか入れたままだったのも助けになったわ。
ただ、それでどうにか下山が出来るほど冬のI山は優しくなかったわ。
後ろから例の雪男が追いかけてくるかもしれないという焦りもあって、心身共にもの凄い負担を強いられる。
結局Fさんも途中の山小屋にたどり着いた時点で食料も体力も尽きてしまって、動けなくなってしまったの。
これで終わりか……と諦めかけていると、そこに登山者が現れたの。
それはFさんと連絡が取れなくなった事を心配して、わざわざI山まで探しに来てくれた部活の先輩方だったわ。
その後彼らが呼んだ救援隊によって命を救われたFさんは、地元の病院へとそのまま入院する事となったわ。
「ごめんなあ……俺がもっとしっかり引き留めていればこんな事には……」
入院中にお見舞いに来てくれた先輩にいきなりこんな事を言われて、てっきり怒られると思っていたFさんは困惑したわ。
訳を聞いてみると、どうやら何年かに1度I山に登るために登山部に入ってくる学生が出て来るそうなの。
そして、その殆どが冬になって行方不明になっているんだって……。
先輩もその話をOBの人たちから聞いていたけれど、Fさんは大丈夫だろうと思って強くは言わなかったそうよ。
ただ、登山部の現部員たちからFさんと連絡が取れないって相談された時に、OB達から言われてた事をすぐに思い出して……。
それで他の元部員たちを集めてI山に来てみたら……という流れだったわけね。
それから退院したFさんがどうしたのかというと、引っ越しをしたそうなの。
県内の企業からすでに内定を貰っていたのだけれど、それを蹴ってまで県外に出る事を決めたんだって。
どうしてそんな事をしたのか、この話を聞いている時に私が訪ねると……。
「故郷にいると、どこにいても山が目に入りますから」
「それは、雪男に出会った事を思い出すからという事ですか……?」
「それもありますけど、アレ以来どんな山を見てもですね……」
吸い込まれそうになるんですよ……って、Fさんは窓の外を見ながらそう言ったの。
「だから、こういうどこを見ても風景に山が入ってこないような町でないと、もう私暮らせないと思うんです。でないと……」
──また、山に行きたくなってしまいますから。
Fさんは、窓の外……遠くの風景を眺めながら、なぜか嬉しそうにポツリと言ったわ……。




