幕間Ⅰ
その日、芦木弘明は大学の食堂でうな垂れていた。
昔あった嫌な記憶が蘇って、朝からどうにも元気が出ないでいる。
きっかけは昨日の夜に行われた、ゼミ生たちで集まる食事会での事。
そこで、どういう流れだったかは忘れたが、なぜか怪談大会が始まったのであった。
最近ネットで見たもの、テレビで見たもの、実際に体験したもの……いろんな怪談が出てくる中で、芦木は話せるようなネタが一向に思いつかずに焦っていた。
いや、話せるネタは有る。
有るには有るが、芦木にとってはあまり思い出したくない、恐ろしい思い出だったのである。
しかしなかなか話せずにいる彼を見て、他の学生たちから何でもいいから話すようにと催促され、ついその話をしてしまったのだった。
話自体は好評だったが、当の本人は思い出したくないものを思い出してしまい、落ち込んでしまいそうな気分になってしまった。
それが今もなお引きずってしまっているのである。
今日の講義は午前中までで、あとはもう無い。
本当なら誰か誘ってどこか遊びに行きたかったが、あいにく知り合いは皆まだ講義があるらしく捕まらない。
おとなしく家に帰って横にでもなるか……と芦木が席を立とうとした時である。
「ねェ……あなた、芦木くんでしょう……?」
突然誰かから声を掛けられ、芦木は心臓をドキリと震わせた。
辺りを見回すと、すぐ後ろに見知らぬ女が立ってる。
黒い長袖のワンピースを着て、野暮ったい黒縁メガネをかけたその姿は、なんだか怪しい雰囲気を感じさせた。
「えっと……誰?」
「いきなりごめんなさい、私は……」
そう言って、女は自分の名前と通っている学部を芦木に教えた。
同じ学生だったのか……と少し驚いていると女は話を続ける。
「実は友達からァ……君が面白い話を知ってるって聞いて、教えてもらいに来たの……」
「お、面白いって……?」
「君が実家のお寺で体験したっていう、怖い話よォ……」
女の眼鏡の奥の目が、くしゃりと歪んだ。
「ふぅん……なるほど、面白い話わァ……!」
芦木が話し終えると、女はパンと両手を合わせて満足そうに微笑んだ。
「……はっ、これのどこに面白い所があるっていうんだよ」
「ふふっ、実際の体験者からの話って言う時点で、臨場感を味わえるものよォ……」
しかし、その話をした当の本人はさらに気分が落ち込みそうになっていた。
本当なら今すぐ忘れたい話なのに、どうして自分は……芦木がそう後悔していると。
「……あんまり、記憶にフタをしない方が気が楽よ?」
それを見透かしたかのように女が言った。
「トラウマ克服の治療の1つでね……まあ私も聞きかじっただけなんだけど……その嫌な記憶を、あえて思い出すっていう方法があるのよォ……」
「記憶を……思い出す……?」
「そう、あえてそういう記憶にフタをせずに思い出させる事で、克服しようっていう事……らしいわ?」
だからね……と、女は話を続ける。
「あなたも、むしろ積極的にその話をした方が気が楽になるんじゃないかしら」
「まさかそんな……いや、でも……」
もしかしてこの女に話してしまったのも、自分が楽になりたいからだったのだろうか。
芦木は考え込んでしまった。
「そうだ、今日してくれた話だけど、他の人に話したりとかしても良いかしら?」
そういうと女は、何かを見せながら芦木に尋ねて来た。
手に持っているものは、ボイスレコーダーの様だった。
「いつの間に……いやまあ、いいけどさ」
「本当? 助かるわァ……!」
女はボイスレコーダーをカバンにしまうと、代わりに封筒を取り出して芦木の目の前に置いた。
中身を確かめると近所のラーメン屋の割引券が入っており、どうやら今日の謝礼のつもりのようだった。
「でも本当に面白かったわよ、あなたの『誰もいない本堂から聞こえる笑い声』の話ィ……」
そう言って女は席を立ち、何処かへと行ってしまった。
遅れて芦木は辺りを見回すが、女の姿はもうどこにもいなかった。
(幕間Ⅰ、了)




