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怪盗レイナ  作者: あさねこ
怪盗レイナと秘密結社の陰謀
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眠れる茨の森

 和洋折衷の大きな屋敷。洒落た家具に囲まれた応接間の上座に樫本楓は掛けていて、それと向かい合うように椅子に深々と体を預けているのは柏木朔弥。楓は何か考え込んでいるのか机の上を凝視したままじっとしていて、朔弥はぼんやりと空中を眺めてポカンと口を開けたまま、こちらも静止していた。

 横に立っていた八十夜双谷が、そんな2人を見かねて口を開く。

「それでは……。朔弥、まずは現状を確認しよう」

 それで気が付いたらようで、朔弥は椅子に預けていた上半身をゆっくり起き上げる。

「双谷。千佳の足取りは……」

 朔弥の問いに、双谷はゆっくりと首を横に振る。

「監視カメラは、大概上から下を見下ろすものだ。それより高い場所を飛ぶものは……見つけることができない」

 長嘆息を吐き出し、朔弥は顔を覆う。苦しそうに小さく呻く声が聞こえた。


 怪盗レイナは、千佳を連れて飛び去っていった。それ以降、二人の足取りは追えていない。

 息を切らして走っている楓を偶然途中で拾って、朔弥が屋敷に到着したのはレイナが飛び去った直後だった。そこでレイナが既に場を離れてしまったこと、飛び去る腕の中に千佳と思われる人影が視認されたことが双谷から伝えられた。

 朔弥はすぐに捜索を指示した。もちろん、そんなこと言われずとも双谷は作業を始めていたが。

 そして現在であった。朔弥も、この結果は分かりきっていた。自分たちの組織の全力を投入したところで、レイナに本気を出されたら敵わない。

 これは単純に、追う者と追われる者の優位性の差に起因する問題だ。双谷や深蘭、他にも優秀な人員は組織内に存在している。しかし、ここでの優秀という言葉の意味は、そのベクトルの同一方向の成分の大小として成り立つものである。異なる立場で異なる手法で戦う場合には、その意味の優秀さは大して意味を持たない。

 だから、朔弥は楓を頼ることにした。朔弥の立場としては、警察はあまり深い関係性を持ちたい相手ではない。しかし樫本楓個人を見るならば、レイナを見つけるためには最適であると判断した。

 楓には、未だにレイナを逮捕できていない事実があるとはいえ、レイナを追いかけてきた経験で言えば誰よりもある。藁にも縋る思いの朔弥としては、頼らない手はなかった。


 一通りの現状確認が終わり、朔弥は再び椅子に深く体を預ける。一方で楓は静かに椅子から立ち上がった。

「探してくる」

 そう一言だけ言って、楓は部屋から出ていく。朔弥は重たそうに顔を楓の方に向けて尋ねる。

「一応聞くけど……何を?」

「レイナに決まってるでしょ?」

「何も手掛かりがないのに?」

「動かないと何も始まるわけない!」

 朔弥の口元が、ほんの少しだけほころんだ。

「あなたは強い人だよ、本当に」

 そう呟く朔弥を残して、楓は部屋を出た。


「おやおや、どこへ行く気だい?」

 屋敷の廊下を足早に歩く楓に声を掛けたのは、林深蘭。

「レイナを探す」

「探すって。……どこに?」

「どこまでも。とりあえず都内全域、それでダメなら日本中、世界中」

「ふふ、いい覚悟だ。ワタシはそんな覚悟の決まった人が好きだよ。さて、あちこち探し回るには足が必要だろう?うちのバイク、使うかい?」

 ニヤリと笑って深蘭は手を差し出した。楓は即座にその手を強く握り返す。


 部屋の中に残された朔弥は、椅子に体を預けて動かないまま双谷に問いかけた。

「おい、トム」

「トム・ソーヤーのことか」

「お前にとって、千佳ってなんなんだ」

「雇用主だ」

「即答かよ」

 朔弥はわざとらしく溜息を吐く。双谷は目も合わせず、窓の外の中庭に生えている木を見やっていた。一方の朔弥も目を合わせないままで、目を瞑ってゆっくりと言葉を並べる。

「人は合理性の生き物だと、僕はずっと思っていた。一見不条理に見える言動であっても、結局のところ、数多の選択肢の中からそれが選択された結果だからだ。選択という行動は何らかの意味の合理性に基づいて行われるべきで、それをする人間は合理性の生き物たるべきだ。……だが、非合理なお人好しってね。君によく言われる言葉だよ。僕はね、君が言わんとしていたことをようやく理解できた気がするんだ。人間ってのは、必ずしも合理の存在足り得ない。存在するんだよ、不測で不条理な連理に起因する理外の理というやつが。この世界はとことんまでつまらないと思っていた。愚昧な衆愚は盲目に無味乾燥な現実を讃美し、社会生物の意の人間である限り嫌忌せすとて馬鹿馬鹿しい不合理不条理非理非道、その塊に懶惰にも身を預け、無難と堅実に押し殺された古典的決定論的人生を選択し続ける。そんなもんなんだと勘違いしていたんだ。違ったよ、実に馬鹿らしい勘違いだったんだ、僕の。雇用者と被雇用者という社会的合理的連関に過ぎないと信じていた、信じようとしていたんだよ、僕は。そうでないと僕は破綻してしまう。そんなふうに勝手に思い込んでいないと耐えられない、僕は僕自身を守るために千佳を閉じ込めてしまったんだ。眠り姫なんだ、千佳はこの屋敷という茨の森に閉じ込められた姫だったんだ。そして今、千佳を救わんとする勇敢な王子が現れた。であるならば、僕はなんなんだ。分からないんだ、分からなくなったんだ。僕が居る意味は?僕ができることは?僕はどこから来たのか、僕は何者か、僕はどこへ行くのか。ゴーギャンはタヒチ島から問い掛けた、人間の運命と存在意義について。僕は、いや、人類はいつかこれに答えねばならない、これは義務だ。皆いつか、またいつかと先延ばしにし続けるものだが、どうやら僕は今それに答えねばならない必然に迫られているようだ。千鶴(ちづる)様はもう居ないんだ、僕がしっかりしなければいけない。僕が折れちゃあおしまいなんだよ、この屋敷を、この家を、この組織を守るのは僕しかいないんだ。エリクソンが提唱したモラトリアムの概念だよ、僕は未だそれを脱しきれていなかったんだ。誰よりも臆病で、傲慢で、我儘なのは僕だったんだ、誰よりも千佳という存在に依存している弱い人間だったんだよ、僕は。ハハ、馬鹿にしてくれて構わないよ。いっそのこと徹底的に馬鹿にされたい気分だよ、むしろ」

 朔弥が喋っている間、双谷はずっと横で立ってじっとしていた。目を瞑り、ただ静かに朔弥の言葉を聞き届ける。

 それでひとしきり話したのか、朔弥は大きく息を吸って、吐く。

「馬鹿だな」

 目を開き、双谷は呟いた。

「はは、ありがとう」

「馬鹿らしいよ、本当に」

 朔弥は椅子に預けていた体を重たそうに持ち上げ、双谷の方を向きなおる。

「勘違いしているようだから言ってやる。お前は、ただの被雇用者に過ぎない。俺はお前が長宗我部(ちょうそかべ)千鶴(ちづる)に何を言われたのか、千佳を何だと思っているのか知らない。だが、事実は一つだけ。お前は被雇用者で、千佳は雇用主だ。それ以上のものはない」

 双谷は、無表情で朔弥の瞳を睨んでいた。

「はは、そうだな、確かにそうだ。君は正しいよ。いつだって正しかった、」

「そういうことじゃない」

 語気を強め、朔弥の言葉を遮る。朔弥の言葉を許さないまま、双谷は続けた。

「そりゃあそうだったな。お前はまだ二十歳そこそこのガキだった。分からないで当然だ」

「そんな、君だって年は五つしか変わらないんじゃ……」

「そんなガキのお前に教えてやろうと言っているんだ」

「ああそうだな、僕はガキで、」

「お前は仕事をしているんだ。仕事ってのはな、子供の遊びじゃないんだ。感想とか、感情とか、思想とか、そんなのが関係なくともお前は仕事をしなくちゃあならないんだ。分かるよな、お前は賢いからな。雇用されるにあたって契約内容くらい覚えているよな。お前はただ、それを遂行すりゃあいいだけなんだ。分かったな、それじゃあ確認だ。長宗我部グループ最高処理恒久教養代理雇用契約第三条一項?」

「……。えー、乙は甲の定める長宗我部千佳の尊厳と安寧に誠意するものとする」

「いいだろう。それじゃあ、柏木朔弥。お前が今やるべきことはなんだ?うじうじとクソッたれな精神疲労ポーズをとることか?そうじゃないだろう。働くんだよ、今すぐ」

 強い口調で話しつつも、双谷の表情はぴくりとも動いていなかった。しかめっ面でそんな双谷を睨んでいた朔弥だったが、目を逸らしてわざとらしい溜息を吐く。

「わーったよ。……なんだっけ、レイナが飛び去った方向の目途は付いたんだっけ。方角としては駅の方だったんだよな?駅から延びる全路線に沿った探索はしたんだっけ?してないならやってくれ。この街から遠く離れた可能性がある。日本全国、全路線の全ての駅を確認するんだ」

 朔弥は、フラフラと椅子から立ち上がった。そして、早速組織各所に指示を飛ばす。そんな朔弥を見ながら、双谷は一人「やれやれ」と零すのだった。

眠り姫は茨の森から出て行ってしまったんですね

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