柏木朔弥の失言
翌日、学校に行く三宅くんと仕事に出る楓を見送った後。今日も柏木朔弥はやってきた。
「僕が何を言いたいか。分かるかい?」
表情は笑っていた。感情は笑っていなかった。
「知らない。言いたいことがあるなら言葉にしなよ」
朔弥は、細く目を開けて私を見下ろしていた。こうして目の前に立たれると、その身長の高さにちょっと驚く。2メートルはないけど、190センチ近いくらいあるらしい。身長187だか8だか。私からしてみれば、どっちにしろ巨人だ。
「わざわざ言うまでもないと思っていたが。どうやら、怪盗レイナ殿は想像していたほど分別の良い方ではなかったようだ」
「ごめんね、私は他人のことなんか1ミリも考えない、好き勝手やるだけの人間だからさ」
「ならば……。申し訳ないが、相応の代償を支払って貰うしかないな」
「命を貰うって?」
「そうして欲しいならそうする。だけど、僕の美学に反する」
「それじゃあ……」
「しかし、殺さずとも苦しみを与える方法なんていくらでもある。例えば……」
朔弥は、マンションの廊下から下を見下ろす。そして何かをさがしたかと思うと、それに向かって真っ直ぐに指をさしてみせた。指の先には、最寄り駅まで一緒に歩く楓と三宅くんの姿。
「君は本当に強い女性だと思う。たった1人で、怪盗レイナをこの世に顕現させてみせたくらいだ。正直、君に対して何かしようなんて、僕にはお手上げだよ」
ゆっくり指を下ろし、後ろ手に組む。柏木朔弥は無感情に笑っていた。
「君は何か勘違いしてしまったんだろう。君にとっては、僕は協力的な姿勢をとっているようだったのかもしれないが……。それはあくまでも、感情を抜きにした合理的な帰結だったんだよ。君は百年に一度、千年に一度、いや……万年に一度の天才だ。失ってしまうのは世界の損失だ。それに、千佳の指紋を盗み出してくれたこともあった。だから僕は、君が自由の身であることを許したんだ。それなのに、君は自ら前提を破壊しに来た。分かるかい?僕の悲哀が。広い世界に放ってやった小鳥は自ら進んで鳥籠に戻ってきた。開けっ放しの扉を閉めてくれと懇願してきたのは君のほうだったんだ。……非常に、非常に残念にだ」
舞台演劇か何かのような、仰々しい身振り手振り。無闇矢鱈と抑揚の付いたセリフ回し。しかし、その目はずっと冷たかった。
朔弥の一人劇場に張り合うように、大袈裟に溜息を吐いてみせた。
「わっかんないなあ。長宗我部千佳?あのクソガキのどこに、そんなにしてまで守る理由があるの?一体いくら貰ったらそこまで尽くせるのか、私には皆目検討が付かない」
精一杯に大仰に芝居を付けてみて、これに対し、朔弥は鼻で笑っていた。
「金銭じゃあ買えないもの、だよ。君も良く分かっているだろう?」
「あのガキに、そこまでのカリスマがあるとも思えないから聞いてるんだ」
「まあ、分からないだろうね。僕自身も分かっていないんだ。ただ、僕にとってはそれで十分なんだ。それだけあれば良い」
伏し目がちに、朔弥は呟いていた。私に向かってというより、自分自身に言い聞かせるように。
「分かったよ。あんたのロマンと守るもの」
私は、くるりとターンして、部屋の奥に入っていく。朔弥は、その後から追うように部屋の中に入ってくる。
「分かってくれたなら良かった。ならば選んでくれ。ここで命を差し出すか、今後の自由を放棄するか。……ハハ、自分の人生を手放すという意味ではどちらも同じことか」
虚に笑う朔弥の笑い声。それを背中に受けながら、私はベランダに出る。空はよく晴れていて、日差しが眩しい。空の高いところを吹き抜ける風が涼しい。
「さて、どうしようかな。……でも、ここは怪盗らしく、」
私はベランダの柵の上に飛び乗る。ようやく私の異変に気付いたのだろう、朔弥は咄嗟に駆け寄ってくる。だが、もう遅い。
柵を飛び越えるのと同時に、服を脱ぎ捨てた。下には怪盗レイナのスーツを着込んでいる。
ベランダの外側の狭い足場に立ち、朔弥に言い渡す。
「柏木朔弥に予告する。これから、あなたの一番大事な人を頂く。……嫌なら私を捕まえてみな!」
朔弥が私に手を伸ばすと同時に、背中を下に向けて飛び降りた。
「何してるんだ、ここを何階だと思ってる?」
「18階!」
慌てて下を見下ろして、しかし諦めて部屋の中に戻っていく朔弥を見届けた。それから空中で体を捻り、マントに仕込んでいるグライダーを展開。
平日の昼間だから道路の人通りは多くなかったが、しかし、少なからぬ人間が頭上を飛んでいく私を見つけていた。慌ててスマートフォンのカメラを開く者と、呆然と立ち尽くす者がそれぞれ4割くらい。残りは、恐怖なのか驚愕なのか、悲鳴に近い叫び声を上げていた。
道の真ん中に着地し、グライダーを収納しつつ走り出す。目指すは千佳の屋敷。朔弥に一度連れて行ってもらったから、場所は覚えていた。
頭の中の地図に現在地から伸びる真っ直ぐな線を引き、その線に沿って走る。ビルがあろうが川があろうが線路が通っていようが関係ない。神出鬼没の怪盗レイナの前に、地上の地形など些細な問題なのだ。
朔弥の移動手段は自動車だろうが、都会において車の移動速度はそこまでの脅威ではない。狭くて車の通れない道もあるし、目的地まで移動するには回り道しなくはいけない場合がある。地図上を真っ直ぐ進めば、人の足だって追いつける。
さて、駆けっこの始まりだ。




