林深蘭の諫言
「ただいま……」
「玲奈、おかえり。ランちゃん来てるよ」
帰宅すると、楓が出迎える。エプロンしているのを見ると、晩御飯を作っている途中だったようだ。匂いからするとカレーだろうか。最近カレー多くないか?こないだもカレーだった気がする。
楓が言うランちゃんというのは、林深蘭のことだ。朔弥の同僚らしい。仮にも警察であるはずの楓と親しくして良い人物かどうか疑問があるが、結果的には打ち解けて仲良くしている。今日みたいに家にやってくることもあるくらいだ。
深蘭はリビングにいて、三宅くんの勉強を見てやっているようだった。ノースリーブのシャツでグイグイ体を押し付けながらやっていて、いつもちょっと困ったような顔をしている三宅くんだが、いつにも増して困っているようだった。私を見つけると、深蘭は小さく手を振って挨拶する。
彼女はかなり賢いようで、どの科目の問題もスラスラ解いてしまう。それだから、たまにやってきては三宅くんの家庭教師みたいなことをしてくれている。特に、数学はかなり得意なようだ。私と張り合えるくらい。
テーブルの2人の向かい側に座って、ノートを覗き込む。簡単な複素数の問題のようだ。高校の頃はこんなことやってたっけ、懐かしい。
「この子、よくできた子だねー」
深蘭が口を開く。勉強している三宅くんを嬉しそうに眺めながら。
「飲み込みが早いし物覚えが良い。流石、レイナさんが見込んだだけあるね」
三宅樹。私の正体を見抜いた高校生。変装を見抜く目の良さには目を見張るものがあるのは確かだが、それ以外においても優秀な子だ。運動能力は高いし、頭も良い。レイナの弟子になりたいと言っていたが、技術を教え込めば、それこそ私以上の逸材に化ける可能性すらある。ただ、それが良いことなのか悪いことなのか、私には判断できない。
怪盗。私がこう言ってしまうと終わりなのだが、格好付けているだけでやっていることはただの犯罪だ。軽率に憧れていいもんじゃない。なりたいだなんて、以ての外だ。
三宅くんは良い子だ。真面目だし、優しいし、能力もある。だからこそ。私は、私の後を追って欲しくない。三宅くんは、真面目に真っ当に、現実世界を生きてほしい。そうあるべきだと、私は思っている。
「私は何もしてない。三宅君がすごいってことだよ。……あとは、深蘭の教え方が上手いのかな」
「そう?フフ、でも家庭教師は朔弥の方が上手だよ。すごい問題児のこと相手してるんだから」
「その問題児ってさあ」
「うん」
「……千佳、って名前だったりしない?」
深蘭は、一瞬だけ私を鋭く睨んだ。しかし、すぐに柔らかい笑顔に崩す。
「時にレイナさん。この後時間あるかい?二人でお話したいんだよー」
言いたいことは分かっているだろう、というような目つきだ。こっちもそのつもりだ。
静かに睨み合う私たちに、キッチンで鼻歌を歌いながらカレーを作っている楓は気付いていなかった。晩御飯はチキンカレーだった。
深蘭はちゃっかり晩御飯を頂いていて、それから家を出る。私はそんな深蘭を見送るといって、外まで付いていったのだった。
暫く歩いて、人気のない夜の公園まで行きつく。そこで深蘭は立ち止まった。あまり大きくない公園だが、四隅にだけ立てられた街灯は中央部を照らせていない。真っ暗な中で私たちは向かい合っていた。
深蘭は、私より一回り以上背が高い。胸もでかい。立って目を合わせようとすると、私が見上げる格好になる。
「聞いてるよ、朔弥から。千佳サマに会ったんだってね」
そう言う深蘭の表情は、暗い上に街灯の逆光になっていて、全然見えない。
「なんだ、知ってたんだ。じゃあ話が早い。千佳って……」
「言わないよ」
ピシャリと言い伏せる。
「何よ、そんなこと言われると尚更気になってくるじゃない。なんなの?あの子」
尋ねてみても、帰ってきたのは無言だけだった。
「いいんだけどさあ。じゃあ……あんた、美術館の話は知ってるの?」
暗くて見えないが、深蘭の表情がピクリと動いたようだった。長い髪の毛先が揺れるのが見える。まあ、朔弥の同僚で千佳も認知しているのならば、流石に知っているのだろう。
「あのときの指紋。調べてみたんだけどさ」
深蘭が、一歩私に近づく。
「千佳のと一致してたんだよね」
言った瞬間、深蘭の影が大きく揺れる。
「それと、特に関係ないんだけどさ。楓って警察なんだよね」
「何を言いたい?」
「私が知りたいのは一つだけ。あの子が、あなたのいる組織でどういう立場にあるのか。責任者か、相談役か。それとも……」
「勘違いしているようだけど」
私の言葉を遮って言う。
「それは聞く相手が違うよ。ワタシも、千佳サマがどういう存在なのかはよく分からない。朔弥に聞くか、直接聞くかしな」
「何も知らなくて働いてるってわけ?」
「動くのに十分な理由があるから。ワタシは、それでいい」
深蘭は公園の出口に歩いていった。公園の端にある街灯が、深蘭の感情の読めない笑顔を照らしていた。




