美術館長の頭皮のツヤ
都内某所の美術館。その館長室には、4人ほどの人間が集まっていた。
「監視カメラは停止していた、警備員にも見つかっていない、外に出た後の逃走経路も追えず。言っちゃあなんだけど、手詰まりって感じですな」
そう言った女は、もう4月だというのに、暑苦しいトレンチコートを羽織っている。刑事と言われたときにまずイメージされるだろう、あのコートである。
「まだ分からないでしょ。鑑識の結果が出てない」
そう言うのは、ラフなスーツを着ている女。樫本楓である。楓は、厚手のトレンチコートを下から上まで眺めまわしながら続ける。
「だいたい、いおりんはいつだって諦めるのが早すぎるんだよ」
「いおりん呼ぶな。田沼伊織。一応、年は私のが上なんだからな?」
「上っても一個だけだし、刑事に昇格したのは同期じゃん」
「う、そうなんだけどさあ」
楓と伊織は二人して言い争っていたのだが、その場に居た禿げたおじさんが割って入る。
「あのぉ、すみません。それで、当館はいつまで封鎖をしていれば良いのでしょうか。お客様をお待たせしているというのもありますし、できる限り早く、営業を再開したいところなのですが……」
そういう禿げのおじさんは、この美術館の館長であった。バーコードではない、立派に禿げ上がった頭を持っていて、側頭部に申し訳程度に白髪が群生している。心労のせいか、頭頂部の輝き方は心なしか艶が足りないように見える。
「ああ、はいはい、もうどうしようもないからさっさと捜査を切り上げて……」
「いおりん!」
「いおりん言うな!」
「もう少し調べたら、まだ新しい手掛かりが見つかる可能性だって、」
「あんま期待すんなー。レイナと一瞬鉢合わせて、それでどこまで何を見たのか知らんけど。でも、監視カメラをこんなに完璧に欺いた奴だぞ。普通の犯罪者じゃあない。指紋を残すとか、そんな初歩的なミスするわけがないだろ」
楓は、「ムムム」とか言いながら何か言い返そうとしていたが、結局諦めたのか小さく溜息を吐いた。
「……すみません。私が、悪戯だと思ってしまったばかりに」
館長の後ろに立っていた大人しい感じの女性が、申し訳なさそうに言う。事務員の伊藤陽子である。
「いやいや、あれは仕方ないですよ。怪盗?レイナ?そんなふざけた奴が本当にこんなことやらかすなんて。誰も予想できませんって」
伊織はため息交じりに返す。
「それだって、もう少し慎重になるべきでした。トイレットペーパーの件だってあったのに」
陽子は、肩を震わせながら言った。
「トイペの件かあ。結局、それも怪盗レイナでいいのかねえ。楓、お前はどう思う?」
「……えっ?私?」
「連続トイペ盗難事件の捜査してたお前が、偶然、怪盗レイナと鉢合わせたんだろ。じゃなきゃ私だってこんな大事に巻き込まれてないよ」
伊織に言われた楓は、即座に、
「いや、あれは関係な……」
と、途中まで言いかけて、しかし言い直す。
「関係……あるか、分からないなあ」
伊織は、そんな楓の顔をじっと睨んでいた。沈黙。
「……まあいいよ。トイレのあたりも鑑識が洗ってくれたはずだから、結果を待とう。館長さん、鑑識の結果が来たらとりあえずは営業再開で良いと思いますよ。まあ、一週間以内ってところですかね」
言われた館長は、一週間という期間に対して微妙な表情を浮かべる。一週間というのは、一週間で済むのか、というのと、一週間も動けないのか、という両方にとれる微妙な長さだ。館長は「はい」とも「ああ」とも取れぬ微妙な返答をしていた。
ただでさえ、ここの美術館は経営状況が宜しくない。というか、美術館とか博物館というのは得てして経営状況が宜しくないものである。数多ある収蔵品を管理するだけでもタダじゃないし、その割にポップアーティスト的な派手さもない。そんな状況で、怪盗レイナである。たった一週間の休館、されど一週間の休館。この美術館にとってはあらゆる面で喜ばしくない事態であることは確かだろう。




