雑木林の滝
無心で山奥に足を進めていた。既に日は落ち、足元は真っ暗。スマートフォンはGPSを追われないよう電源を落としていて、足元を照らすのにも使えない。
重たい段ボール箱の入ったバッグを抱えて、細い山道を歩く。とっくに日は落ちているのに、ベタつく汗は止まらない。熱帯夜の暑さもあるが、それ以上に心理的な要因もあるのだとうと思う。
目的地まではあと少し。道端の岩の上に腰を下ろした。鞄を下ろすと、ズンと重たい音がした。一応周囲を確認してから、鞄を開く。中には段ボール箱が押し込められている。さして大きくもない学生鞄に無理やり押し込んであるせいで、辺や角はぐしゃぐしゃに潰れてしまっている。
どうせ誰も見ていないだろう、私は段ボールの蓋を開ける。日が落ちた後の森の中では、中身はうまく視認できない。しかし、長く暗闇の中を歩いてきた私の目は暗さに慣れていて、鈍く光を反射するそれを見つけることができてしまう。
いくつかのパーツに分解されたチェンソーだ。手入れも何もされないまま放置されていたせいだろう、各部品は既に錆びついてしまっていて、組み合わせたところでまともに動くようには見えない。それ以上に、このチェンソーの汚れの原因は別にある。既に黒く固まってしまっている、血液である。
「なんで……残ってたのよ……」
頭を抱えた。
楓と約束したのに。あの日のことには、絶対に触れないようにしようと。私は決めたのだ。あの日のことは、絶対に思い出させないと。私が楓を守ると。
あのとき、証拠は全て消したはずだった。消したものだと、私は思っていた。……いや、そう確信できていたのならば、私は今回の高校への潜入などしていなかった。
三宅くんにも朔弥にも、本当のことは言っていない。校長の隠し財産なんて嘘だ。いや、嘘じゃないけど。なんか口実を探したときに、偶然校長の資産運用の不審点を見つけたのだ。どうせ、老後の貯蓄とかしょうもない理由だろうけど。少なくとも、怪盗レイナのターゲットにするほどのもんじゃない。
私の本当の目的。それは、10年前の真実に迫ることだった。確かに、楓と約束していた。あの日のことには、絶対に触れないと。だけど、それ以上に私には大きな使命があった。10年前の事件から、楓を完全に断ち切ることだ。これまでは、消極的な対応しかできなかった。触れない、思い出させない。
今なら、根本的に問題を解決できる気がしたのだ。怪盗レイナとしての能力を得て、柏木朔弥というそれなりに信頼のおける仕事仲間も作ることができた。なんとかして10年前の事件の本質を掴めば、根本から問題を解決できると思ったのだ。それで、10年前に事件の舞台となった高校に潜入し、手掛かりを探ろうと決めた。
本題の捜索を進められないままに案外簡単に校長の隠し金庫に到達してしまって、これじゃあ困ると思っていたのに。それなのに、思わぬ場所から私は10年前の事件に迫ってしまった。本当に、予期せぬ方法で。
「消さなきゃ」
自分に言い聞かせるように呟く。重たい段ボールを鞄に押し込み、持ち上げる。
耳を澄ませると、遥か下に流れる川のせせらぎと、遠くに瀑布の轟音が聞こえる。目的地まではもうすぐ。そこで、今度こそ全部終わらせる。楓が何も思い出さなくて済むように。私が終わらせる。
重たい鞄をずっと運んできたせいで、肩も腰も酷く痛む。もはや痛みすらうまく感じられなくなってきた。暑苦しい黒髪のウィッグを脱ぎ捨てて、私は細い山道を前へ進む。
山奥の滝。観光地化されているわけでもない、無名の滝だ。この場所を知っているのは、楓と私だけ。中学校のときの林間学校で、二人で抜け出して遊んでいるときに見つけた場所である。そのときは、楓は「綺麗」というくらいの感想しか言っていなかったけど。私は、なんとなくライヘンバッハの滝を思い出していたのだった。シャーロック・ホームズとモリアーティ教授が落下したとされる場所である。
実際、ここの滝壺はなかなかの深さをしている。一度落ちたら水流に底まで押し込められて、なかなか浮かび上がることはないだろう。最後とするにはもってこいの場所だ。
鞄から段ボール箱を取り出して抱える。ずしりとチェンソーの重さを感じる。あのときの楓も、よくこんなの振り回せたものだ。それだけ必死だったのだろう。でも、もういいんだ。楓はもうあのときみたいに死闘する必要はない。二度と思い出さなくていい。
一歩、二歩と前に出て、滝つぼを覗き込む。新月の夜空は暗く、ほんのり星明りに照らされるだけの滝つぼも真っ暗で何も見えなかった。
「終わらせる」
もう一歩前に足を踏み出す。それで、しかし、私は足を滑らせてしまった。それと、遠くからバイクの音が聞こえてきたのが同時だった。
雑木林って基本的に人工的に作られたものらしいですね。artificialな森、モリアーティですよね。なんかそういう、ね!




