逃走と追跡
「楓さん楓さん!」
ドタドタ足音が聞こえて、楓は読んでいた漫画を閉じて、ポテチを食べる手を止める。……いや、あと一枚だけ。
電話の対応のため部屋を出ていた林深蘭が戻ってきたのだった。深蘭は基本的に楓と一緒に部屋にいて、筋トレしたり難しそうな本を読んだりしている。それか、楓と他愛もない雑談をしたり。
「あのねあのね!……っ、」
深蘭は髪の毛がとても長い。腰のあたりまである長い黒髪をまっすぐ垂らしている。口に入ってしまった髪の毛を振り払ってから、深蘭は続けた。
「レイナさん、いなくなったって!」
レイナ……いや、ここでの名前は山田椛。
「レッ……山田さんが、」
「いいよ、レイナで」
「お昼休み、ご飯も食べずに出て行ったきり戻ってこなくて。なんだか様子が変で。あと、えっと、えっと……」
「落ち着いて。一つずつ、僕に教えてくれ」
高校からほど近い駐車場に停められた、黒いスポーツカー。柏木朔弥の愛車である。運転席には朔弥、その隣、助手席に座っているのは三宅樹。
いつものように戻ってくるレイナを待っていた朔弥だったが、しかし、今日ばかりはいつまで待ってもレイナは出てこなかった。訝しんでいたところ、朔弥は物陰からチラチラ覗いてくる三宅樹を見つけたのだった。
半分泣きそうになっていて、震える声だし要領も得ない樹の話であったが、まとめると。
「四限の途中、レイナは予定通り校長室に向かったと思われる。しかし、戻ってきた時刻は予定より遅れていた。そのうえ、君が言うには、様子がおかしかったと。そして直後の昼休み、レイナはどこかに消えて戻ってこなかった。こういうことになるね?」
「……はい」
樹はずっと泣きそうに声を震わせていて、しかし涙はまだその瞼の中で踏みとどまっていた。朔弥はそんな樹の頭を優しく撫でてやる。
「何かレイナが向かったであろう場所のヒント……なんて、あったら言ってくれてるよね」
朔弥は目を閉じ腕を組んで考え込んでいるようだった。しかし。
「いや、分からないもんは分からん!」
スマホを取り出し、電話を掛けた。相手は、”中華娘々”なる人物だった。
楓は、寝転んでいたベッドから飛び起きた。そして、深蘭お手製の檻に飛びつく。
「楓さん、レイナの場所わかるの!?」
深蘭の問いに、楓は即答した。
「わかんない!」
へ?と微妙な表情になる深蘭。しかし、楓はこう続けた。
「でも、走れば見つけられる気がするの!」
深蘭は、楓の瞳をじっと見つめる。楓はまっすぐに深蘭を見据えていた。いや、目の前の深蘭というより、もっと奥にあるもの。どこかにいるレイナを見据えているようでもあった。
「そっか」
言って、深蘭は檻の鍵を開いた。檻の中の楓に手を伸ばす。
「楓さん、レイナ探そう!一緒に!」
楓は力強く頷き、深蘭の手を取った。
ようやく、ずっと閉じ込められていた家の中から飛び出す。久しぶりの外の空気を吸い込んで、早速走り出そうとする楓だったが、深蘭はそんな楓を呼び止めた。
「こっちのが速いよ!」
深蘭が指差した方向には、ルビーのように赤く塗装されたバイクがあった。
「ほれ!」
楓にヘルメットを投げ渡し、深蘭はバイクに跨る。
「乗る!はやく!」
深蘭は顎でバイクの後ろを指している。楓は、慌ててヘルメットを被って、バイクの後ろに跨る。
「ちゃんと捕まってね」
「あれ?ランちゃんノーヘルじゃ……」
「だってヘルメット一個しかないからねー。今だけ見逃してよ、ね?」
「それは……だって、道路交通法が……」
「出発ー!」
楓の言い分を待たずに、深蘭はバイクのエンジンを掛ける。楓は必死になって深蘭に抱きついているしかできなかった。
一方、深蘭へ電話していた朔弥だったが、どうやら最後まで言い切る前に切られてしまったようだった。
「あら。……まあいいか、伝えたいことは伝わったはずだ。あとは、頼りになるお姉さんたちが動いてくれるはず、だよ」
朔弥は、隣で青ざめている樹を見やり、肩をすくめてみせる。樹は、しかし、朔弥から目を逸らして俯いているばかりだ。
こういう状況が得意でないようで、朔弥は何もない空中を見つめて思索していた。それで、こう切り出す。
「君と同じ年頃の女の子が居てね」
樹は、ほんの少しだけ顔を持ち上げた。
「その子は、でも、やたらと気が強くて。あれをやりたい、これをやりたい。できないとなると、怒って手のつけようがない」
何か思い返しながら言葉を紡いでいるようだった。それで、大きな溜息を吐く。
「本当に大変なんだ、その子の相手をするのは。……でもね」
目を瞑って、ゆっくり回顧するように。一つずつ言葉を並べていく。
「その子は、いつも楽しそうでさ。それを見てると、僕もなんだか嬉しいような気がしてね。……駄目だな、話が発散してしまう。何を言いたいのかっていうとね」
朔弥は、樹の手を握って言う。
「君も、もっと好きなようにやっていいと思うよ。そっちの方が楽しいに決まってる」
一呼吸おいて、朔弥は車のハンドルに手をかける。
「さて、僕らも何かできることを探そう。……ああ、そうだ」
朔弥は、再びスマートフォンを手に取り、誰かに電話を掛ける。2回目のコール音が聞こえる前に、電話はすぐに繋がった。
「さあ、仕事だ。この地区の周辺の監視カメラ映像を全て浚ってくれ、今すぐ!」




