虚構が産んだ嘘
詩華奏那のマンションに侵入し、しかし、目的だった金は見つけられないまま脱出しようとしたとき。私は、音を殺して近付いてきた者に襲われた。
咄嗟に伸びてきた手を振りほどこうとするが、既にガッチリ頭を固められた後だった。どれだけ力を込めても、ピクリとも動かせない。
「あまり動くと殺しちゃうよー?」
耳元に声が聞こえた。聞いたことがある。テレビの向こうから聞こえてきたことがある声。詩華奏那の声だ。
「驚いたな、こんなに気配を消すのが上手いなんて」
「そりゃあね。パンピーに気付かれない程度に気配を消すのは、芸能人の必修科目よ」
私の首元を締め付ける奏那の腕は、まだ濡れていた。奏那の胸元と密着する背中も濡れているのを感じられて、さっきまでシャワーを浴びていたことが分かる。しかし、さっきまでずっとシャワーの音が聞こえていた。この一瞬で、音もなくここまで迫ってきた?だとしたら、凄まじい身体能力だ。ただのアイドルとは思えない。
「何者?ドッキリか何かだったらごめんだけど。ていうか、プライベート中のドッキリはNG出してるんですけど?」
「へぇ、それは見られたくないものがあるから?」
思わず口走って、直後に後悔する。首を絞める力が急に強くなったのだ。気道が潰れて息ができない、頚椎が折れそう。
「何を見たの?もう生きては帰せないね」
奏那の腕を引き剥がそうとするが、うまく力が入らない。いや、全力を尽くしたとしてもこの腕力を振り解ける気はしない。
「……っ、さく……や、柏木……朔弥!」
ほとんど呼吸ができないまま、必死になって口にしたのは柏木朔弥の名前だった。すると、奏那の腕の力が緩む。
「朔弥。あいつのことを、どこまで知ってる?」
「やたらと美形な、胡散臭いやつ?」
言うと、奏那は私から離れる。急に拘束を解かれて、私はベランダの床に崩れ落ちた。ここで初めて奏那の姿が見えた。本当にシャワーを浴びている最中に飛び出してきたようで、びしょ濡れの全裸に髪の毛や体にはまだ泡が付いていて、水の滴る前髪を邪魔そうにかき上げている。
「とりあえず中に入ってよ。ここじゃ寒い」
指示に従ってしまうのも危ういように思ったが、しかし、この感じからしてまともにやり合って良い相手とも思えない。ひとまず、言う通りにすることにした。
「こっち。この部屋の中に入ってて」
誘導されたのは、寝室と思われる部屋。大きめのベッドが一つ、あとは何もない。窓は分厚いカーテンで覆われていて、真っ暗だ。
「それじゃ、お風呂入ってくるから待ってて」
部屋の中に入った途端、奏那がドアを閉める。同時に、鍵が閉まるような音がした。足音が離れていくのを確認してから、ドアノブに手をかけてみる。……開かない。外から鍵を閉められたようだ。ベッドルームに、外側から締められる鍵?閉じ込められてしまったらどうするつもりなんだ。こんなの、普通じゃあり得ない。そもそも、朔弥がわざわざターゲットとして指定したほどだ。やはり、何か大きな秘密を抱えていると見た方が良かろう。
部屋の中を調べてみる。といっても、さっき金を探して一通り調べたばかりだ。この部屋にある家具はベッドだけ。ベランダ側に向かって付いている窓は分厚いカーテンで覆われていて、あとはウォークインクローゼットがある。このクローゼットの中も一度調べたが、さっきのノートパソコンがあった以外は、大量の衣服が仕舞われているだけ。特に何もない。……この服可愛いな、どこで売ってるんだろう。
カーテンをそっと捲って、窓を調べてみる。窓の外には、夜の街並みが広がっていた。周囲の建物より一段高いタワマンで、見える景色は全て見下ろす形になる。まあ、高度一万メートルからの光景に比べたら見劣りするが。
窓枠は、内側からだと開けられない形になっていた。これは鍵が掛かっているというわけではなく、そもそも窓のフレームが開けられる構造になっていないというのが正しい。大きな一枚のガラス板が嵌め殺しになっていて、ぴくりとも動きそうにない。さらに言うと、しかし、窓枠はレールが二本くらい入りそうな太さをしていた。というか、元々はそうだったのだろう。そこを、レールを外して一枚の分厚い嵌め殺し窓に変えられているようだった。つまり、窓二枚分の厚みの窓ガラスである。水族館と見紛う程の凄まじい厚さである。これほどの厚みだと、窓を割るのも、切断するのも簡単でない。ドアも閉められているし、この部屋から外には出られないというわけだ。完全に閉じ込められている。
窓から出るのが難しそうであるから、ドアを蹴破る方が消去法的には選択肢となる。だが、これも無理だろう。だって、ドアを蹴破るなんてことをしたら、物音に奏那が気付かないわけがない。そうしたら、もう一度拘束されて、首を締め上げられるだけだ。今度こそ命の保証はないかもしれない。
観念して、私はベッドに身を投げる。朔弥に嵌められたということなのだろうか。しかし、奏那は私が来ることを認知していなかったようだ。つまり、朔弥は奏那に情報を伝えていない。だが、一方で、朔弥と奏那は浅からぬ繋がりがあるのも確かだ。一体、朔弥は何をしたいのだろう?そもそも、詩華奏那は何者なんだ?
「お待たせ、えっと……なんて呼べばいい?」
扉が開いて、奏那が寝室に入ってきた。ラフな感じの寝間着に着替えていた。
「怪盗レイナ。この部屋に隠された黄金を盗みに来た」
「レイナ?……ああ、もしかして。ニュース知ってるよ、こないだ警視庁に入ったとかいう」
「よくご存じで。有難いね」
「それはいいんだけど。黄金って、なんの話?何かの隠語?」
「それがね。柏木朔弥って奴から、この部屋に金が隠されているって言われたの。その感じだと、やっぱりあいつが嘘を吐いたってことで良さそうね」
柏木朔弥、と言うと、途端に奏那の顔色が変わる。小さく舌打ちしたのが聞こえた。
「あいつ……マジで意味分かんないよ……」
恐らく、奏那は朔弥について私より詳しい。その奏那が眉間に皺を寄せて悩んでいるのを見ると、この行動は本当に意味不明であるらしい。朔弥にしか分からない何かの理由があるのか、それとも、本当に彼のしょうもない思いつきなのか。どちらにせよ、この部屋に黄金がないというのならもうここに用はない。
「後で問い詰めないとね。それじゃ、私はこの辺で失敬」
「待って」
奏那がマントの裾を引っ張って引き止める。
「いつ、帰っていいって言った?」
あれ?様子がおかしいぞ。
「私の秘密、見たんでしょ。そう簡単に帰すわけにはいかないよねえ」
そう言って、奏那は後ろ手に寝室のドアを閉めた。




