嘘吐きと泥棒の帰結
やれやれ、酷い目に遭った。いざという時を考えて、グライダーの耐荷重を高めに設計しておいて良かった。でも、乗客があんなに暴れ回るのは流石に聞いていない。比較的安全に降りられるように堀まで運んでやっただけ感謝してほしいものだ。
先日、美術館にて。
「トイレットペーパー窃盗犯の指紋を盗み出そう。何かの理由でミスをしたらしいけど、それを隠蔽したいんだろう?私なら、警察から指紋のデータおよび関連する情報の全てを盗み出し、破棄することができる」
現れた白い仮面の男に、私はこう約束したのだった。その代わりに、私と楓の生活に付き纏うのはやめてくれ、という旨を押し付けることに成功した。
実際、あれ以降はコソコソ付け狙う目線も感じないし、生活は快適そのものだ。引っ越しの間も視線には注意を配っていたが、それらしいものは感じられなかったし。岬玲奈の生活も、怪盗レイナの活動も快適そのものである。
今日警視庁に侵入したのは、その約束を守るため。難しいことは特になく、ただ侵入して、少しデータベースを弄れば良いだけの話だ。運が良いことに、樫本楓とかいうちょっと抜けてる警官が内部の話をたまに漏らしてくれるものだから、少なくとも私にとっては簡単だった。怪盗レイナの装備もあったし。
運よく今日は風が強く、その風に乗ってグライダーで飛ぶことができた。とはいえ、グライダーでしかないから、飛行機と違って能動的に高度を上げることはできない。それでも、これだけ風があればかなり飛べる……はずだったのだが、何故か警視庁の壁から落っこちそうになっていた楓たちを拾ってしまったせいで、かなり高度が浪費されてしまった。楓もあれで運動神経はかなり良い方だから、なんだかんだ無事だったろうけど。でも、危険な人を無視するのは怪盗レイナの美学に反する。仕方なかった。
人は、意外と上は見ないものだ。暗くなった空を黒い衣装で飛び回っていれば、案外誰にも見つからないものだ。私はビルの間を飛び回り、千代田区一帯を見渡す立地のビルの上に降り立つ。暗いビルの屋上には、真っ白な背広の男が立っていた。東京の街並みを見下ろしていて、私が近付くとこちらを振り向く。
「いやはや、流石と言おうかなんというか。本当に警視庁に侵入してくれるとは」
男は、明るく輝く夜景をバックに演技じみた口調で言う。
「約束は守るよ。それが筋ってもんでしょ?」
私の言葉を聞いて、白い仮面の男は不敵に笑う。
「筋、ねえ。こんなことをしておいて、貴女が言いますか?」
男は、小さな紙を投げ渡す。私が受け取ると、男は続ける。
「警視総監の溺愛する孫娘?……ハハ、笑わせてくれる。調べたら、すぐに分かることだった。警視総監、仁科雄造の孫娘。それって、岬玲奈のことじゃないですか」
この間美術館で出会ったとき、私は私の住所を紙に書いて渡した。警視総監、仁科雄造の孫娘の住所として。
嘘は言っていない。仁科雄造っていうのは、私の父方の祖父のことだ。ただ、パパが婿入りした人だから、おじいちゃんの姓は仁科で、私の姓は岬になっているのだ。何の因果か私の家系は警察という組織の人間が多く、おじいちゃんは警視総監に就任していた。運良く騙せたら何かの交渉材料に使えるかもしれないと思ったのだが、想定通り。ただ、このことがバレるのは想定したいたよりちょっと早い。
「僕が調査を怠っていたせいもあるが……。まさか、こんな手札を持っていたとは。つくづく、貴女は面白い人だ」
「嘘は吐いてないよ」
「泥棒は嘘吐きの成れの果てだと思いますけどね」
「泥棒じゃなくて怪盗って呼んで」
「同じでしょう?」
「なんか、そっちのがカッコいいじゃん」
「確かに……そうかも。じゃあ、怪盗レイナさん」
「なんでしょう?」
「もう一仕事、してもらえませんか?」
「これで手切れ。言ったでしょ?」
「住所を握らせておいて、よくそんな強気に出られますね」
「指紋、こっちが持っているのに?」
指紋。なぜか分からないが、この男は美術館に残っていた指紋の主に固執しているようだ。トイレットペーパーなんてしょうもないものを盗むだけ、しかも指紋をベタベタ残すような初歩的なコソ泥。そのために、気配を消して尾行する技術も、警察が警戒態勢を敷く中に侵入する技術もあるようなこの男が動いている。さらに言うと、そのコソ泥が美術館に侵入するために、わざわざ美術館の警備に穴が開くような工作もされている。
「弱ったな、そればっかりは……どうにも難しい」
「よく分からないんだけどさ。なんであんなコソ泥のため、あなたみたいな人間が動いているの?」
「それは……。そうですね、僕への褒め言葉としてだけ受け取っておきますよ」
「まあそうね、褒め言葉。あなたほどの能力があるのなら、もっと大きな場所で大きなものを動かせそうなものなのに。残念ね」
「組織ってもんですよ。組織全体の実利と、上層部の意向。現実と理想の狭間、僕は自由に飛べない檻の中の鳥なんですよ。……して、怪盗レイナさん。そんな僕の代わりに、一仕事してもらいたいのです」
「やらないって言ったでしょ。この話は終わり!二度と関わらないで」
踵を返し、私は男から離れる。
「じゃあ、言い方を変えましょう。……怪盗レイナともあろう人が、この程度のことができないと言うのですか?」
男の言葉に、思わず足を止めた。そんなわけないだろう。できないなんて一言も言ってない!怪盗レイナは神出鬼没で、世界を股に掛ける……予定の、伝説……になる予定もある、大怪盗なんだ!レイナの辞書に不可能の文字はない!
180度ターンして、再び男の方に向き直る。ちょっと癇に障るが、しかし、私は絞り出す。
「……話だけなら。……どういう内容かだけ、確認してやっても……いいかも」
私の言葉を聞いて、男は高笑いしていた。ムカつく!
「……ッハハ、ああ面白い。して怪盗レイナさん。詩華奏那という名前はご存知でしょうか?」
「ああ、なんだっけ……今売り出し中のアイドル?」
「そうですね。歌姫、と言いますか。彼女の部屋に侵入し、金塊を盗んでほしいのです」
「金塊?あのアイドル、そんな資産運用とかしてるの?」
「どうでしょう。人は見た目によらないものですよ。どうです、難しそうですか?」
「芸能人の部屋に侵入するくらいならチョチョイのチョイ……」
「じゃあ、依頼は受けて頂けるということで」
「いや、そうは言ってないじゃん!」
「怪盗レイナともあろう人が、ただの芸能人の部屋への侵入が難しいとは!」
「違う、そんなんじゃない!」
吼える私に、男は余裕の表情で歩み寄ってくる。
「いいですよ、貴女が個人的にやってくれても。報酬はお支払いします」
「要らん!」
「おや、本当に?」
「もしかしたら、私が個人的に、それをやる可能性がある……かもしれないけど。それで報酬を受け取っちゃったら、結局あんたに動かされたことになっちゃうじゃん。それは嫌だ」
「そうですか。……ああ、そうだ。まだ自己紹介していなかったですよね」
「自己紹介?」
男は、顔を覆う仮面を静かに外す。そして出てきた素顔。暗くてよく見えないが、しかし、見た事がないくらいの美形なのは分かる。一度だけ見たものだったけど、やっぱり信じられないくらい顔が整っている。私にそういう趣味があれば惚れちゃっていたかも。
「柏木朔弥と申します。……どうだい、怪盗と謎の男ではなくて、岬玲奈と柏木朔弥として友達になるのは。というか、こっちだけ君の素顔を知っているのは不公平だしね」
仮面を外した途端、演技がかった口調から、フランクで自然な口調に変化する。こっちが普段のこいつ……柏木朔弥の姿なのだろう。
「何を勘違いしているのやら」
私は、仮面を外さないままで朔弥を睨んだ。
「私は、岬玲奈じゃない」
「おや、それは失礼……」
「でも」
朔弥は、不思議そうな顔で私を見つめていた。
「岬玲奈は、別にあなたを拒否しないとは思うよ」
私が言うと、朔弥は朗らかに笑っていた。




