白と黒の仮面
あの美術館には、不可思議が多すぎる。だから、怪盗レイナの名前を売るついでに美術館の秘密に探りを入れる計画を立てた。
発端は、トイレットペーパーの盗難。これについては、私は全く関与していない。ピンクダイヤを常設で展示しているというので、キラキラしているしピンクで可愛かったからターゲットに定めた。それから調査を進めて、異様に監視の手が緩いことに気付いた。特に、トイレ前の窓まで侵入する経路には、全くといっていいほど監視の目はなかった。この時点で少し怪しんでいたのだけど、その時はそこまで訝しむこともなく作戦を決行した。監視が緩いのは事実で、隠れた監視があるというのもなさそうだったからだ。そこに抜け穴があるなら、利用させてもらうに決まっているだろう。
しかし、事態は急変した。樫本楓の登場である。
私としては、警察に見つかること自体はどうでも良かった。むしろ、大きく売り出すために少しくらい警察に頑張ってもらわないと困るというくらいに思っていた。まあ、その警察が樫本楓だったのは想定外だったけど……。
これにより、無事に怪盗レイナの盗難は刑事事件として捜査が開始された。当然、怪盗レイナは足取りを掴まれる証拠を残すなんてヘマはしない。勝手に事件を迷宮入りさせておいてくれ、そんな風に思っていた。ただ、これが不都合な人間が存在していた。トイレットペーパー盗難の犯人である。
トイレットペーパーが盗まれた程度では、そこまで詳細な捜査の手は入らない。だから、多少指紋を残しても良かったし、足取りを掴ませない工夫も要らなかった。しかし、怪盗レイナが現れたせいで、美術館には警察の捜査の手が入る。そして、トイレットペーパー窃盗犯の指紋が警察に取られてしまった。
そして、もう一つの謎。怪盗レイナを追う男の登場である。この男は、少なくとも警察ではなさそうだった。その言動もそうだし、そもそも楓が認知していなかった。しかし、わざわざ楓を狙って私のところまで辿り着いたところを見るに、あの男は警察内部の情報を把握できているらしい。その情報を手に入れた経路が正当なものであれ不当なものであれ、あの男は普通の人間ではない。それだけは言えるだろう。
なんだかよく分からないが、意図していないところで変な奴と関わってしまったようだ。こんなの……
「最高に、面白いじゃない!」
美術館の屋上で、私は呟いた。ここから飛び降りた先が、問題のトイレの前の窓である。あそこには、トイペ窃盗犯か、あの男か。高い確率でどちらかが居るものだと考えている。警察の情報を抜けるような人間であれば予告状については認知しているはずだし、そうでなくともあの男は怪盗レイナによく分からない執念を持っているようだった。ネット上の匿名の発信で盛り上げたこの怪盗レイナムーブメントに、気付かないわけがない。
相変わらず、トイレの周辺は警備が緩い。今日は警察の警備も入っているとはいえ、ここは予告した山水図とは離れた場所だ。そこまで重視していないのか、それとも単に時間と人手が足りなくて考慮が不足していたか。どちらにせよ、侵入するには都合の良い場所である。ここを狙わない手はない。
そして、恐らくトイペ窃盗犯の側もこの警備の穴は理解しているだろう。美術館の警備の穴を窃盗犯が突いたのか、少し飛躍した考えだが、窃盗のために美術館の警備に穴を開けさせたという可能性もある。だが、どちらにせよ向こうは美術館の警備状況には精通していることだろう。怪盗レイナとの接触を図ってくるならば、怪盗レイナが侵入するのに使いそうな場所、つまり一番警備の緩い場所を狙う筈。それが、このトイレである。今日、この時間、あのトイレには何者かが怪盗レイナとの接触を図って現れる可能性が高いのだ。
今日は新月。楓と会ったあの日とは違い、空は真っ暗だった。見上げた目線を下ろして、懐中時計を確認する。時刻は、19時57分。予告した時間まであと3分。
私は、屋上から飛び降りた。壁の小さな凹凸に手を掛けて減速しつつ、無音のままにトイレの窓の前に降り立った。
極力音が立たないように、窓を開ける。全て開ける必要はない。ほんの小さな隙間だけを空けて、そこに体を押し込んだ。無音のまま、トイレの中に侵入する。入って左手、トイレットペーパーが入っている棚がある。安っぽいフォントが印刷された紙が貼ってあり、「トイレットペーパー盗難が連続しています。大切に使いましょう」だそうだ。音を立てずに鼻で笑った。
さて、ここにはあの男は、トイペ窃盗の犯人は現れているのか。どちらでも良い。私は言った。
「そこに居るのは分かってる。出てきなさい」
すると、果たして。すぐに、聞いたことのある男の声が聞こえてきた。トイレの入り口から2番目の個室の中。
「おやおや、お気付きで?」
少し過剰なくらいに演技がかっているのが鼻につく。
個室のドアが静かに開き、その男は姿を表した。男は、白い背広を身にまとっていた。顔は白いマスクで隠れており、口元しか見えない。
「何者か知らないけど。いちいち詮索されて困っているんだ。私から手を引いてもらうことを提案したい」
「なるほど。しかし、まさか一方的に要求だけ飲んでもらおうなんてことではないですよね。そちらは何を提供できるのです?」
「勿論。こっちだけ得しようなんて都合のいいことは言わない。私は、トイレットペーパー窃盗犯の指紋を盗み出そう。何かの理由でミスをしたらしいけど、それを隠蔽したいんだろう?私なら、警察から指紋のデータおよび関連する情報の全てを盗み出し、破棄することができる」
「……ほう。しかし、本当に可能なんですか?貴女は面白い人だが、その能力の是非に関しては、まだ評価できかねる」
「それについては、そろそろできるだろう。私が予告した山水図は、今、たくさんの警察たちに警備されている。そのど真ん中から、山水図を盗み出してみせる」
「それを能力の証明にしようと?」
「足りないって言うんなら。これも追加しよう」
レイナは、男に向けて一枚の紙を投げ渡す。男はレイナから目線を外さないまま紙を受け取り、視界の端でその中身を確認する。
「……ほう。これは?」
「警視総監、仁科雄造が溺愛している孫娘の現住所」
「これを、盗み出したと?」
「脅しにでもなんでも使ってもらって構わない。それに関してはタダ働きってことで良いよ」
男は、その紙を胸ポケットに入れた。
「まあ、良しとしましょう。こちらとしても、貴方が力を貸してくれるというのなら、それを断る道理はない。あとは……」
男は、胸ポケットから懐中時計を取り出し、時刻を確認する。私も時計を見る。19時59分、30秒を過ぎたところ。
「予告したのは、20時でしたっけ?……ひとまず、お手並み拝見と行きましょうか」
男は、山水図の展示室がある方向に目を向けた。無論、そちらにはトイレの壁があり、何も見えないが。
私は再び時計に目を落とした。19時59分50秒。……7、6、5、
「もう我慢できない!レイナ覚悟!」
突然、声が聞こえた。同時にトイレの入り口から一番手前の個室のドアが開き、その中から飛び出してきたのは……
「楓!?」
トイレの中から出てきた樫本楓が飛び掛かってくる。しかし、仮面の男は楓に背中を向けていたにも関わらず、まるで分かっていたかのようにさっと避けてみせた。それで、少し遅れを取った私は楓と抱き合う形になる。そのまま左脚を軸に回転し、余裕の顔をして立っていた男の方に楓をブン投げた。……OK、ナイスキャッチ!
「きゃあ!……って、男!女子トイレに侵入、建造物侵入の現行犯……の前に、レイナ!逃げるな、待て!」
ややこしいことになっている隙に、私はさっさと逃げさせてもらった。後は頼んだ、知らない人。ここまで侵入して来れるなら、たぶんこの状況から逃げ出すのもお手の物だろう。頑張れ!
そして、美術館全館の照明が落ちた。途中、暑苦しそうなトレンチコートの警官とすれ違った気がする。暗くてこっちには気付いていなかったようだけど。




