謎の男の謎
私は気付いている。誰かが跡を付けてきていることに。
楓ではない。あいつの雰囲気はもっと分かりやすいし、それに家を出て数分くらいのところで既に撒いている。明らかに、私が知らない誰かに付けられている。警察だろうか。いや、私と怪盗レイナについて知っているのは楓しかいないはずだ。楓が口を滑らせていなければ、の話だが。
もし相手が警察の人間なのであれば、怪しまれるのは得策じゃない。今の私は、あくまでも一般人の岬玲奈として振る舞う必要がある。そう、どこにでもいる25歳で、調子に乗って髪色を銀色に染めてみて、いい年してまだ無職で、就職する気もない……。なんだか悲しくなってきた。
こんな調子では、いつもの怪盗レイナのアジトには行けない。誰か知らないが、誰であろうとあのアジトの場所がバレるのは避けたいからだ。
最初から、楓以外の誰かが付けてきているのは気付いていた。そう、この正体不明の追跡者は部屋を出たその瞬間から存在していた。昨日は私が帰宅したのが先だったが、その時はまだ追尾はなかった。だから、恐らくこの追跡者は楓が持ち帰ってきたものである。あいつめ、余計なことをしおってからに。
歩き疲れて、河原の土手に腰を下ろした。この調子では、アジトでの作業はできない。なんなら、怪盗レイナに関する仕事は何もできない。これは困ったことだ。例の美術館の営業再開は明日に迫っているというのに、何も準備ができない。明日は美術館の下見もする予定だったけれど、この追跡者が明日も変わらず付いてくるようならそれも難しい。だって、こんな無職がこんなタイミングで美術館に行くなんて、怪盗レイナとの繋がりを白状するようなものじゃないか。
何もできないので、ずっと川の流れを眺めていた。何もしないでいたら、向こうも諦めて離れてくれるだろう。離れてくれ。そう願いながら、私は川の流れと街の喧騒に耳を澄まして目を閉じた。
「お嬢さん、こんなところで一人で居ては危ないですよ」
耳元で聞こえる知らない男の声。
気付けば私は寝てしまっていたようで、ゆっくり目を開けると正午の太陽が私の目を眩ませた。部屋を出たのが朝の9時くらい。楓のせいで夜型の生活サイクルが矯正されてしまって、すっかり早起きだ。……8時に起きるのは、無職としては早起きに分類される。それで、この河原まで歩いて来たので30分くらいか。まあまあ……2、3時間ほど昼寝してしまっていたようだ。
上半身だけ起き上がって、横を見る。私を起こした声の主か、知らない男がニコニコしながら立っていた。人畜無害そうな笑顔を湛えた、メガネの男。……あと、あり得んくらいの美形。どっかの俳優かモデルに居そう。
彼は、起き上がった私を見て頭を指さしていた。示されて頭を払うと、大量の草の葉が落ちてきた。ずっと寝転んでいたから髪に付いてしまっていたらしい。
「……どうも」
「折角の綺麗な銀髪なんですから。お互い、気を遣ってやりましょう?」
言いながら、男は自分の髪の毛をつまんで見せる。確かに、彼も髪をグレーというか、銀色に染めている。なんだか嫌だけど、確かに髪色はお揃いと言える。
「今日は良い天気ですしね。春のうららの墨田川……」
「これ、荒川だよ」
「はは、そうですね。すみません」
笑いながら、男は私の横に腰を下ろした。なんだこいつ。今どきナンパか何か?
「とにかく、今日は良い天気だ。平日の昼間から歩き回れるような身分で良かった」
「……何をされている方で?」
「そうですねえ。何してるように見えます?」
「うーん。芸能関係?」
「ほう。その心は?」
「……なんていうか。美形だなって」
「ははは、お褒めに預かり光栄です」
爽やかな笑顔。一つ一つの動作にいやらしさがない。それが逆にムカつく。
「そんで、結局答えは?」
「答え?」
「何をしてらっしゃるの?こんな平日昼間から暇そうにしてるけど」
「ふむ。……秘密、ということで一つ」
なんじゃそりゃ。問題を出してきたのはそっちなのに、結局答えないんじゃないか。
「だって、貴女も同じでしょう?何してるんです?こんな平日の昼間から」
「……秘密、だけど」
私の答えを聞いて、男はカラカラと笑っていた。無職でごめんよ。怪盗やってます、と答える気もないけど。
「面白い人だ。やはり、僕の目に狂いはなかったと見える」
「そりゃどうも。どこを見て判断されたか知らないけど」
「時にお嬢さん、」
男は、改めて私の目を見て言う。メガネの奥の細い瞳は、笑っていなかった。
「怪盗レイナ、ご存知です?」
私は、咄嗟に驚きの感情を押し殺す。目を開きすぎぬよう、冷や汗を勘付かれぬよう。しかし人間、反射を抑えるのは難しいものだ。瞳孔が開いてしまったかもしれない。心臓はどうしたって跳ね上がり、その高鳴りは収まってくれない。
「……なんだっけ、ニュースで見たような」
声が震えないよう、最新の注意を払って発音する。しかし、その発音は丁寧になりすぎぬように。
「ほう、なかなかの情報通でもあるようだ」
必死に感情を押し殺す私に対して、男の声は少し演技っぽい。
「ネットで話題になってたからね。カッコつけて名乗りを上げたりして、アニメか何かの見過ぎじゃないかって」
これは本当のこと。インターネットでは、一部のオタクが怪盗レイナという名前に飛びついてくれた。そういうのを目指して怪盗やってるんだから、有難いことである。私の掌の上で動いてくれてありがとう、オタクたち。
「どう思います?」
「どうって……」
「怪盗レイナについて。彼女は確かに犯罪者だけれども、僕は思うんです。彼女は、今の世に舞い降りた救世のイデアなのではないかと!」
はぁ?ちょっと話が変わってきたぞ?
「このつまらない世界、つまらない社会。愚昧な輩が盲目的に信仰する無味乾燥なる処理機構、我々人民はしかし生きるため社会生物の意味での人間であるために嫌忌しつつも懶惰ながら理不尽の中に身を投じる現実。そんな馬鹿馬鹿しい、不合理、不条理、非理、非道!そんな折に現代人の苦痛を哀憫する彼女は怪盗レイナとして来臨した。その一身に現代社会の歪曲を引き受けるべく……!」
そこまで一息に言い切って、息も整わぬまま私の両手をガッシリと握り、続けた。
「ですよね!怪盗レイナさん!」
ほとんど無意識に、私は彼の股間を蹴り上げていた。男でも女でも、ここだけはなかなか鍛えられない。男ならなおさらだろう。蹲って低く呻く彼を放って、私は全速力で逃げたのだった。




