冷然たる組織員と長嘆息
田沼伊織は警察官である。誰よりも警察という職業に誇りを持っている、そんな警察官だった。……かつては。
今の田沼伊織は刑事である。相棒の樫本楓と一緒に今年から刑事に昇格した。しかし、今や伊織に残る熱意は形骸化したものである。なんとなくトレンチコートを買ってみて、それを着て形だけ昔の自分を取り繕っている。
伊織は、楓を妬んでいた。楓には熱があったからだ。伊織がどこかで無くした熱を、楓は未だに保持し、むしろ再加熱させていた。そんな楓を、伊織は無意識に妬んでいたのだった。
怪盗レイナの件については、楓は殊更に熱中しているように見えた。折角ちょうど良い場所から指紋が出てきたというのに、楓は自分が出くわしたというレイナとは違うと言って折れない。これは上層部の意向とは異なるものだ。
警察というのは事件解決の前に、一つの組織でもある。上層部の意向があり、その下に個々の警官が動いている。まだまだ駆け出しの刑事というのに、楓のような動き方をするのは自殺行為だ。伊織はそれとなく楓を諭そうと試みたが、結局失敗に終わった。楓は折れる気はないらしい。
なんとか楓を説得する方法はないものか。伊織は、営業再開を目前にした薄暗い美術館内を歩き回りながら考えていた。
警察側としては、事件が一定の解決を見るまで、もう少し現場は封鎖しておきたいところだった。ただ、美術館側からは一刻も早い営業再開を要請された。保存している物品を管理しているだけでも膨大な光熱費が掛かるのが美術館というものである。営業もせず、収入のないまま時間が経つのはダメージとして大きすぎるのだ。
「お手伝いしましょうか?」
後ろから声が掛けられて、伊織は振り向いた。スーツを着ている男で、警察の同僚のようだ。逆光で見えづらいけど警察手帳を示している。顔は知らない。帽子を深く被っているせいで、そもそも顔がよく見えない。
「いや、いい。別に何もしてない」
「何もしていないのに現場に?」
「うん……。何か見つからないかって考えてしまってね」
「でも、もう何も見つからないから営業再開するんでしょう?」
「あんたも警察なら知ってるでしょう?この短い捜査で指紋を取れたのはトイレとピンクダイヤのケースだけ。ケースのほうは全く成果なし、結局トイレの指紋しか取れてない。その指紋が怪盗レイナのものって保証もないのにさ。それで現場保存を終えるって、まだ何もできてないに等しいよ」
「ふむ。結局、トイレットペーパーの件と怪盗レイナは関係あるんですかね」
「知らないよ。上は適当に関連付けて事件を終わらせたいみたいだけどさ」
「あなたはどう思っているんです?」
「……難しい質問だね。一介の巡査としては、上がそういう考えなら、とりあえずその方向で捜査するよ」
「引っかかる物言いですね」
「そりゃあさ。怪盗レイナの唯一の目撃者が言ってるからだよ。うちの相棒の、樫本楓。アイツがどうしたって怪盗レイナとトイレットペーパーは別だって言って譲らないんだ」
そこまで言って、伊織は大きく溜息を吐いた。暗い美術館内は静かで、伊織が溜息を吐く声がやたら大きく響いた。
「全く、元気すぎる相方を持つと大変だねえ」
呟いて、会話していた男の方を向いた。
「……あれ?」
既に、そこには誰も居なかった。
「どこ行ったんだろ。……まあいっか」




