30 苺とブドウ
「…ヨルムー、ヨルムー、大丈夫ー?」
いや、大丈夫な訳が無い。
その上目遣いをやめてくれ。
こらお前、そのような身なりでそのような格好は……!
「……た、頼む何か……羽織ってくれぬか……」
たいした格好でも無かろうに、どうしたわけかまさかの過剰反応であった。
『よし、顔を洗ってくる』と、慌てて寝所から逃げ出したヨルムは、取り敢えず落ち着こうと王宮の屋根の上に寝転がっている。
先程からもう、かれこれ数時間はこうして、取りとめも無く思考が勝手に飛び交うのに任せてぼーっとしていた。
なるほど、シェリがニヤニヤしながらネグリジェについて詳しく指定するわけだ。
こうなると見越しての事だろう、迂闊だった。
まさかセレネが、まだ成長期を迎えて無かったとは……
道理でやたらと、いや、なんでもない。
それにしても、セレネを一人寝所に残して不味い事をしたかもしれぬ。
いや、それはどうだろうな。
あれから何事か騒ぎになった気配が無い。
一晩にしてあれほどに成長して、明らかな変化があれば皆驚くだろうに、それが一切無いという事は……
知らぬは私とセレネのみ、であったか……
シェリめ、今頃、腹を抱えて笑っておるな。
ううむ、けしからん。
けしからんと言えばセレネだ。
何故あのようにけしからん体に、いや、考えるな。
しかし、この私がうろたえるなど、有り得ぬ事だ。
実にけしか、いや、考えてはならん……
っは!
まさか、セレネにも自覚が無かったという事は、あの姿のまま歩き回る事に!?
しまった、けしからん!
無心になろうとすればするほど、思考が全てセレネ一色になってしまうという、負のスパイラルに陥るヨルム。
その頃セレネは、シェリと使用人などと一緒に、呑気に着せ替えごっこで大盛り上がりしていた。
ヨルムの心情を密かに哀れんでいるのは、親友のヴァハのみである。
「ヨルムってすげぇな。俺も大概すげぇけど」
「……なんだそれは」
「だって俺等、寝室から何から別だったじゃん。でもお前等、いっつも一緒だろ。それで何も起きないっつーのがすげぇよ」
ほっとけ。
不思議と耐えられるものなのだ。
というか、何故そこで自分の自慢も混ぜてくる。
無言で睨むヨルムの心中を勝手に察し、ヴァハが解る、解るぞ!と豪快に笑い飛ばして背中をばっしばっしと叩く。
瞬間、ぐーで頭を殴られ、大人しくなるヴァハ王。
「手加減しろよな、手加減を……」
ぶつくさ言っていると、がさごそと誰かが上がってくる気配がする。
「お、きたきた!」
「…王さ、じゃない、ヨルムー。……あ」
近頃めっきり屋根の上が定位置のヨルムのもとに、今日もセレネがやって来た。
ヨルムに気付き嬉しそうな顔をして、次いでヴァハに気付き嫌そうな顔をする。
「嬢ちゃん、そりゃないぜ……」
あからさまな態度の違いに、ヴァハはさりげなく傷付いた。
「こ、こらお前っ、女の子がそんな格好でそのように登って……!」
そんなヴァハに構う事無く、よじ登ってくるセレネを慌てて抱き上げるように、軽々屋根の上に引き上げた。
ありがとー、と嬉しそうなセレネと、うむうむ、とにっこり笑うヨルムを見ていて、つくづく仲良しだなぁ、とヴァハ王は思う。
「じゃー俺、仕事に戻るわー」
どうやらお邪魔らしい、と、ヴァハは屋根から飛び降りて、政務の間とは明らかに反対の方向へ歩いて行ってしまった。
あれ?お仕事って言わなかったっけ?
と、屋根の端から見送るセレネ。
ああ、つまりまた、サボるという事だな。
と、かつての自分を棚に上げて呆れるヨルム。
今日も概ね平和である。
「…ヨルム、いっつもお昼寝してるね」
口元の、よだれの痕に気付いたらしい。
ハンカチを取り出し、ふきふきしてから、ヨルムの隣にちょこんと座る。
そりゃあ毎日、寝不足ですから!
とは、勿論言えない。
「お前はいっつも、美しいな」
今日もセレネは、シェリ好みの体にピッタリなドレスで飾り立てられている。
「…ありがとう、ヨルム」
ほわっと微笑み、自分の体を見回して、
「…でも、ちょっと動きにくい……」
もう少し大きめでシンプルなのがいいかな、と眉間に皺を寄せてぶつぶつ言う。
そんな仕草は相変わらずだ。
それはな、シェリの密かな私への嫌がらせなのでな、多分しばらくそんなのばかりが続くと思うぞ……と、心密かに思うヨルム。
シェリがセレネにわざと扇情的な装いをさせて、『ほ〜れほれ、苦悩しろ〜葛藤しろ〜』とヨルムを焚きつけているのは、解っているのだ。
だが、申し訳ないが、これぐらいでどうにかなる自制心ではない。
こっそり目の保養♪と楽しませて貰っている事は、ここだけの秘密だ。
「まあ、お前ならば、どのような装いも似合うであろうな」
笑いながら手を伸ばし、白金の柔らかな前髪をかきあげると、その額にちゅ、と唇を寄せる。
途端にセレネが、嬉しそうな顔をした。
初めのうちこそお互い戸惑いがあったのだが、割とすんなりそれは乗り越えて、今は以前とたいして変わらぬ日常を送っている。
セレネはあっさりと、その日のうちには『成長後の自分』に慣れてしまってケロリとしていたし、ヨルムも数日で今の状況に慣れてしまった。
ただ、ほんの少し以前と違うのは、ヨルムが時折、セレネに口付けるようになった事だろうか。
殆どの場合、それは額であったり、手の甲であったりする。
当たり前のようにとても自然に口付けるので、セレネも、そして周囲の者も、特にその行為をとがめる者は居ない。
実は、これはヨルムの密かな作戦だったりする。
名付けて、『抵抗感を無くして済し崩してしまえ作戦』である。
ヨルム的には、セレネを嫁に迎える気まんまんなのであった。
今の所、作戦は順調に進行中。
そろそろ、唇にターゲットを移しても良い頃かな、と思っている。
無駄に30年も王様をしていたわけじゃない。
忍耐スキルなら、以前のセレネに充分鍛えてもらった(と思う)。
気長に待つ自信ならあるのだ。
「…ヨルム、ありがとう」
美しいと褒めた事に気を良くしたのか、或いは額への口付けにか。
上機嫌のセレネは、そう言ってヨルムの頬に、ちゅ、とお返しをする。
終始嬉しそうにしているのを見て、自然と互いに笑みが零れた。
やはり、そろそろターゲットは唇だな。
セレネの心を鷲掴みにする日も遠くない。
そう確信するヨルムであった。
レプティリアは、概ね今日も平和である。
新たなカップルが誕生する日も遠くない。
※おしまい※
次の後日談で完結です。タイトルにまつわるエピソード入れ忘れました。なんてこったです。王様とセレネの好物は『へび苺と海ブドウ』なのでした。




