20 結界
先日の深夜の一件以降の事である。
何故かセレネは、枕持参で頻繁に王の寝所を訪れるようになった。
最初のうちこそ激しく拒絶反応を見せていたものの、最近では、『ま、いんじゃね?』ぐらいにしか思わなくなった王様は、なんとなくセレネに添い寝してやるのが当たり前のようになっていた。
かつて散歩が(強迫観念に至るほどの)日課だった王様だが、今はセレネを寝かしつけてその日が終わる、というのが日課になりつつある。
「…王様ー、お話ー」
「うむ。またか、仕様の無い」
今日もまた、セレネが寝所の外で声をかけると、すぐに返事が帰って来た。
『仕様の無い』と言いつつ、態度はまるっきり反対である。
恐らく目尻は、でれーっと下がっている事だろう。
『なりませぬぞー!嫁入り前の若き乙女が、はしたない!ありえませぬぞー!!王も何をのほほんと迎え入れておられるのかっっっ』
ミゲレンは、心で叫ぶものの、声に出しては決して言わない。
王様とセレネが、親子のような兄弟のような奇妙な関係を築いている、という軽い安心感もあったが、何よりも、それを進言して果たして自分は無事に済むだろうか、という保身の方が優先された。
王様の“金縛り攻撃”もセレネの“毒舌精神攻撃”も、どちらも恐ろしい。
あの攻撃を同時に喰らって生きていられる自信がまったく無い、というのがミゲレンの素直な気持ちだ。
『まったく……出自はどうあれ、“外”の人間に、これほど肩入れなさってどうしようと言うのか……放っておかれれば良いものを……』
枕を抱え、嬉しそうな声で『おやすみなさい』と言って、うきうきと王の寝所へ入って行くセレネを、うむうむ、と見送る。
引き留める勇気は、やっぱり無かった。
「よし、では今日は風神と剣士エイオスの話をしてやるとするか」
満更でもなさそうな王様の声が聞こえてきて、ミゲレンは深々と溜息をついた。
余計な心配をしなくても良いと信じてはいる。
しかしやはり、こう……気になるというか……何というか……
今日も今日とてミゲレンの苦悩は続くかに思われた。
「あらやだっ。何時の間にあの二人はあんな関係に!?」
突如、背後から良く知った声が聞こえて、ミゲレンは気絶しそうな程驚いた。
慌てて振り返ろうとした所で、体が言う事を利かなくなる。
その横をするりと通り抜けて、王の寝所を覗き込む女がひとり。
「王妃……様……先王は……いずこに、や……」
やっとの事でそれだけ言うと、青尽くしの美女がミゲレンを睨みつけた。
『ひぃぃぃぃ』
内心悲鳴を上げるも、とうとう声すら発する事が出来ず、宰相の喉からはひゅうひゅうと微かな音がするのみ。
美女はそんな宰相からすぐに興味をなくし、再び王の寝所に視線を戻した。
「何ですの〜、面白い事になってるじゃありませんの〜?うふふ〜っ」
まさか、あの冷血漢が〜?
セレネったら、これは快挙ですわよ〜♪
などと、うっきうきで喜んでいる。
「ねぇねぇちょっと、あれって何時からですの?何がキッカケですの!?すっごく気になりますわ!ほら、早く教えて頂戴♪♪」
この状態でどうやって……
ちょっと、早く教えなさいよ!と急かす美女の無茶苦茶な要求に、ミゲレンはちょっぴり泣きそうになっていた。
「おい貴様。クソトカゲを連れ戻しに行ったんじゃなかったのか。何故、のこのこ一人で戻って来たりした」
美女がミゲレンにこそこそと問い質している時だった。
何時から其処に居たのか。
王様が、ミゲレンと美女の背後でぬーんと仁王立ちしていた。
セレネは、といえば、王様のモフモフベッドに半分埋まるようにしてすやっすやと眠っていた。
いくらなんでも今さっき横になったばかりでこれは早過ぎる。
「んまっ!無理に眠らせたわね!?」
「やかましい!誰のせいでこんな事になっていると思っているのだ!?とっとと異界からヤツを連れて来い!」
いついかなる時も棚の上から降りてこない美女は、今日も勿論自分の事はきっちり棚の上にきっちり上げていた。
「そうよ、それよ、その事なんですけれどね!ねえちょっと聞いて下さる!?あの鈍感トカゲったら」
「どうせ下らない話だ。聞きたくない。さっさと行って来い」
聞いてくれという割には一切そのような態度は取らず、周囲の者は黙って聞くのが当たり前と思っている美女を相手に、王様も付き合う気は一切ない。
んまー!!クソヘビのくせにその態度は何ですの!と、怒り散らす美女を無視して、とっとと寝所に戻ろうとする。
「ああそうだ。お前な、自分の夫をトカゲなどと言うな。大体あれは、竜だ。そもそもトカゲなどとは異なる超級種よ」
ふと足を止め、思い出したように言う。
「そんな事、知ってますわ!」
「あれがトカゲとなると、私も若干トカゲ、という事になってしまうのでな」
又従兄弟としては、黙っておれぬ。
「知るもんですか!ヘビトカゲ!」
まあ、お前的にはそうなるのだろうな。
美女の罵声に、王様はむっとしつつもそう思った。
曽祖父が同じなだけで、その血も随分薄いとは言え、やはり血縁者。
美女の罵声も、だいたいあってるなぁ、と思えば自然と反論も出て来ない。
何にせよ王様にとっては、どうでもいいやーぐらいの事である。
「さっさとしてくれよ〜」
振り返る事無くひらひらと手を振り、早々に部屋へ引っ込んでしまった。
瞬間、寝所に結界が張られたらしく、王様目掛けて放たれた美女の大型扇子は、ポヨンと空中で弾かれ床に落ちた。
がしょん!と、床に落ちた大型扇子が、金属的な重い音を響かせる。
その音に、宰相の顔がさぁっと青ざめ、ヒィィという表情をした。
「きぃ!あの余裕は何ですの!悔しいですわっっっ」
金縛られて動けない宰相を相手に美女が怒り散らしているのがちらちらと視界の隅に入り込むが、気にしない事にする。
モフモフべっどに身を投げた王様と、先程からスヤスヤ眠っているセレネの耳に、そのキンキン声は伝わって来なかった。
翌日、宰相の金縛りを解いてやり、既に姿を消していた水妖の行方を尋ねると、異界へ戻って行った事を告げられた。
かなりの乱心ぶりだったそうで、出立にあたり周囲の空間への気遣いを一切せずに飛び出て行ったらしい。
『クソトカゲときたら、ワタクシに気付きませんのよ!?そりゃ変装したりはしましたけど?でも!あんまりじゃありません!!??』
そんな事をのたまったそうだ。
『しかも、ワタクシだと気付かず、変装したワタクシをカワイイって!!悔しいやら嬉しいやら、ワタクシとっても複雑ですわ!!』
頼むから、遊んでないでさっさとしてくれ。
というか、それは新たな惚気か何かじゃないのか。
まあ、どうでもいいが、空間破壊はまだ許すとして、結界まで引き裂いて異界へ飛ぶのだけは勘弁して欲しかった。
完全防音の結界を寝所に張ったせいで、朝まで異変に気付かなかったのは失態だ。
「あやつら、戻った折、借りをどのように返して貰うかな…………ふ……っ」
無表情に、ただ口元だけを歪ませて笑う王様の驚異的邪悪さに、かたわらに控えていたミゲレンが気を失いそうになる。
「…王様、楽しそうー。何かあった?」
枕を抱えて自室に戻ろうとしていたセレネは、王様の表情をそのように判断した。
王様も、否定もせずに『うむっ』と頷き、『実はな』と邪悪な笑みを浮かべたまま、セレネに事情を説明しようとしている。
『何処がどのように楽しそう!?』
セレネの発言に衝撃を受けているミゲレンは、まさに灰になる寸前だった。
「これを『神の峰』の連中が、気付いていなければ良いのだがな……」
久しぶりに昼食後に森の奥へと散歩に出向いた王様は、空を仰ぎながら呟いた。
ちゃんと『結界の視察』と断ってあるので、誰も追っては来ない。
唯一、一緒に行く!と言い張ったセレネも、結界が寸断されている今、何があるか解らないからと王宮へ置いてきた。
のんびりゆっくり、結界の破損の程度を見て回る。
軽い解れはすぐにその場で修復し、大きな裂け目は応急処置として、簡単な結界を貼り付けるようにして塞いで歩いた。
しかし、こんなものは力のある妖魔であれば、あっさり突破してしまうだろう。
一応、自分が塞いだ箇所に異変があれば気付くようにしてはあるが、敵の侵入を許してしまえば気付けたところであまり意味は無い。
レプティリアの民に『神の峰』を根城にする妖魔を退けるだけの力は無いのだ。
「どうしたものか……」
珍しく王様は本気で焦っていた。
王宮程度ならば、即席で強度充分な結界も張れる。
現に、自分が不在の今、王宮は強固な結界で守られている。
だが、森全体に点在するレプティリアの民の村々を全て守れるだけの結界となると、正直お手上げだ。
せいぜい王宮とその周囲の王都といくつかの町、それぐらいの範囲が限界だろう。
結界の修復が済むまで、国民全員、王都一帯に移住する事を厳命するか?
あまり騒ぎを大きくしたくは無いのだが……
兎に角今は、あちこち不規則に続く結界の裂け目を塞ぐ事が先決。
確実に丁寧に。
修復作業に没頭していた王様が、ふと、ある事に気がついた。
背筋を伸ばし、王宮の方を見る。
するする〜っと視界を巡らせ、結界の破損の軌跡を追う。
やがてそれは、一方向へ向かっている事に気付いた。
「……まさか、とは思うがな……あの馬鹿女、やらかしておらぬだろうな」
とてもとても嫌な予感がした。
結界の亀裂は王宮からほぼ真っ直ぐに、『神の峰』と呼ばれる連峰へ向っていた。
『神の峰』に至る前に異界へ飛んだか。
或いはそのまま『神の峰』に突っ込んだのか……
「…………何という事を。浅はかにも程がある」
確かめるまでも無かった。
空間の亀裂を追っていれば、すぐに解る事だった。
結界を切り裂いた空間の亀裂は、点々と続き、もろに山へとぶつかっている。
「こうしてはおれぬ」
低く呟くと、王様の姿は忽然とその場から消え失せた。




