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困ったなぁ。
そんな事を思って、はや3日。
水の大妖シェイシェリエは、すぐに戻ると言ってなかったっけ??
3日を、もう、と考えるべきか、まだ、と考えるべきか。
周囲の者達の様子を見る限り、まだ帰って来ないと言う者が居なかったりするので、自分はせっかちなのだろうか、と思ってみたり。
安全対策を講じる為にも、出来れば早めに戻って欲しい所なのだが……
「…もう何日、ここにいるのかしら。自分の家が心配……」
顎に指をかけ、小首を傾げながらブツブツ呟く。
「…でも、無くなって困る物、無かったわね……」
ま、いっか。
いや、でも、村の人が来たら……
あ、こないだ来たばっかりで、来るわけないかな。
ううん、良くないかも、またあのお婆さんが来たら……
でもこの前、もう来るな、って思わず言っちゃったのよね。
ぶつぶつぶつぶつ。
テーブルを挟んだ向かいに座る王様には目もくれず、一心に考え事をするセレネ。
若干、心に浮かぶ言葉が、声に乗って漏れている。
王様の尻尾は、もう半時ほど、ピタピタピタピタ床を叩いていた。
「なあセレネ。負けたと思ったら、『参りました』と言うものだぞ」
リバーシの駒を口に銜えたまま、器用に王様が言った。
テーブルの上のリバーシの盤面は、8割がた白に染まっていた。
「…るーる、とかいうもの、良く解らなかったのよ。次は勝つわ」
「だったら先ずは、そのルールを覚えてくれ」
暫し激しい睨み合いが続いたが、ふとセレネが挑むように言った。
王様は、がっつりと疲れが襲ってくるのを感じた。
「…るーるはもういいから、どうやったら勝てるのか教えて欲しいわ」
「お前にこれは、向いていない」
更に半時ほどを費やしたが、その結果、セレネにリバーシはさせない方がいい、という事だけが解った。
「…そういえば、貴方は王様なのよね」
盤面を片付ける手伝いをしていたセレネが、思い出したように言った。
「…凄い強い妖魔なのよね」
「そう言われているが、私は知らん」
「…何故?」
「私に強いだの弱いだのと、感想を述べる者が居ない」
「…ふぅん」
「言っておくが、その汚した駒を綺麗にするまで、お前の昼飯は抜きだぞ」
「…!!」
こっそり隠そうとした、両面真っ黒のリバーシの駒を握り締めて、セレネがむっとした目で王様を睨んだ。
ほんのり頬を赤く染め、プイと横を向き、再びせっせと真っ黒になった駒を磨く。
「まったく、両面黒く塗り潰すなど、どうやったらそんな考えが浮かぶのだ」
それを考案する前に、何故ルールを覚える努力をしないのか。
呆れたヤツだ。
言いながらも、無意識に笑いが込み上げていた。
「…そんなに笑わなくても」
何時の間にか、声を出して笑っていたらしい。
セレネのぶすーっとした声で、はたと我に返る。
「そうだった、済まなかったな」
言いつつ、再びくっくっと笑う。
この私を相手に、このような奇行に走るとは。
予想外な事ばかりで、セレネを観察していると飽きないどころか非常に楽しい。
こうして自然と笑ったのは久しぶりの事だった。
一体、いつからこんな風に笑わなくなったか。
「…王様は、私の力を抑えられないのかしら」
少しの間、頑張って駒を磨いていたセレネだったが、思ったより作業は進まず、単調すぎて少しばかり飽きたのだろう。
再びそのような事を言ってきた。
駒を裏表と確認しつつ、ううん、と首を傾げたりしている所を見ると、たんなる雑談程度の質問らしい。
「…力を消す、とか、封印する、とか。おとぎ話には良く出てくるけど」
お話はお話、夢みたいなものよってかあさま言ってたから、やっぱり無理かしら。
そんな、独り言のような事を言っている。
どうやらセレネは独り言となると、とても饒舌になるようだった。
「…でもココでは、魔法が当たり前のように使われているし。おとぎ話みたいだし夢みたいだけど、でもそうじゃないし」
魔法というものに馴染みのないセレネは、王様がしょっちゅう色んな事で魔力を駆使しては臣下の皆に嫌がらせをする所を見ていたので、魔法がいとも簡単に扱えるものだと思っているようだ。
「…実はこれも夢でした、っていうお話が確かあったわね。…………ってことは、もしかしてこれも夢なのかしら」
じーっと真っ黒の駒を眺めている。
「その駒が真っ黒なのはな、お前がさっき私の目を盗んで塗り潰したからだ。断じて夢ではなく、現実だぞ」
「…!!」
はっとして、セレネが王様を見る。
またしても、頬がちょっぴり赤く染まっている。
「…言われなくても解ってます!」
いや、今のは本気で、『これは夢?』という顔をしていたぞ。
と、言いたいところを我慢する。
「まったく、しょうのない。いったん中止だ、昼飯にするぞ」
まるで集中する気配のないセレネに、これ以上作業を続けさせるのは無意味だ。
王様は、尻尾でセレネの駒を軽く弾いて盤面に落とした。
相変わらずセレネは安定の無表情だが、昼飯と聞いた途端にその目が喜びに輝く様を見て、つい苦笑いを浮かべてしまう。
ちょっと甘やかし過ぎか?
まだ自覚出来ているから、大丈夫だろう。
我ながら随分と丸くなったものだと、王様はひとりごちた。
それからまた数日。
やはり、シェイシェリエは帰って来ない。
自分は多分、せっかち。
そんな風に思い、気長に待とうと決心していたセレネだったが、それでも雨の降る日は自分の家の事が気になって仕方ない。
大事な物はそれほど無いと思っていたものの、改めて考えると、母の指輪や父の短剣は今や形見、とても大切な宝物だ。
もしも不在時を狙われて、夜盗にでも入られたら……
一度悪い方向へ思考が向うと、なかなか抜け出せないものだ。
激しい雨音を聞いていれば尚の事。
心配で心配で夜も眠れないなど、生まれて初めての経験だった。
「…王様、王様」
もふもふの巨大ベッドにのび〜っと寝そべる王様を、ぺちぺちと叩く者が一人。
夜の闇に紛れ、枕を抱えつつ、王様を起こすべく密かに全力でもって白い巨体をぶったたくセレネである。
「ぬー……なんだー……」
むにゃむにゃ言いつつ、王様が唸る。
しかし、起きない。
「…起きて、王様」
ぺちぺちぺちぺち。
硬い鱗に覆われた大蛇が、果たしてそれで起きるのか。
「…えいっ」
「ぅぬぁ!?」
考えた末にセレネが取った行動は、力いっぱい王様の鱗をひっぺがす事だった。
案の定、王様は素っ頓狂な声を上げて飛び起きた。
だが、飛び起きた王様が、まさか自分に食いついてこようとは。
流石に、そこまでは予想していないセレネであった。
「なにや……!!……つ、……っ…………っふぇ??」
条件反射の如く、がばーっと目の前の人影に噛み付いた王様だったが、それは思いのほかフンワリ柔らかな咬み応えだった。
ついでにそれが花のような良い香りを伴っていて、寝惚けながらも何かがおかしい事に気付いた王様がピタリと動きを止めて硬直する。
王様の口にがっつり銜えられ、プラーンと手足を投げ出すセレネは、白目を剥いて気絶していた。
「…死ぬかと思ったわ」
背骨がまだ、軋むようだ。
腰をさすりさすり、セレネが物凄く不機嫌な声で言った。
「あのような真似をして、命があるだけ有難いと思ってくれ。私はうっかりお前を噛殺す所だったのだぞ」
大きなベッドの上、人型になった王様とセレネが向かい合って正座している。
あのあと、大慌てでセレネを吐き出し、人型になって介抱したのだ。
あっさりと意識は戻ったが、このようにセレネは怒っている。
だが、王様も怒っていた。
「暗殺者と間違えて殺されたいのか。まったく愚かな……聞いておるのか!」
バンバンとベッドを叩き、セレネを叱る王様。
相変わらず腰をさすりさすり、むっとした様子のセレネは俯いたままだ。
「一体、何を考えておるのか。このような夜中に訳の解らぬ事を……!」
ぷりぷり怒る王様を、セレネは恨めしそうにチラリと見上げた。
「な、んだ。その反抗的な目は……何か反論でもあるのか」
思わず言いすぎたかと思い少しばかり怯む王様であったが、セレネは再び、無言で俯いてしまった。
てっきり、いつもの辛辣な言葉が飛び出てくるだろうと身構えていた王様だったが、思わぬリアクションに肩透かしを喰らう。
常人相手なら精神破壊確定な、いつもの無遠慮な言葉責めは何処へ行った。
実にらしくないぞ!と若干心配にすらなって来る王様。
お陰で、ちょっとばかり冷静さを取り戻したらしい。
「あー……なんだ。その。お前の言い分をまだ、聞いていなかったな」
怒るばかりでは、黙ってしまうのも仕方の無い事だろう。
そう思っての質問だったのだが……
「……………」
セレネは黙っている。
時折、ちら、と睨むような視線を送って、すぐに俯く、という繰り返し。
王様の剣幕が、こたえたのだろうか。
「このような夜更けにやってきたのだ、何かあるのだろう。言ってみよ」
極力平静を装った声で問いかける。
一応表情なんかも、穏やか微笑を心がけたりして。
「………」
セレネは探るような目でちらちらと王様を窺う。
引き攣りそうな頬を必死で抑えた王様は、懸命に微笑を浮かべて見せた。
しばし無言の探りあいが続いたが、漸く意を決したセレネが口を開いた。
「…怒ってない?」
睨むような目とは対照的に、なんとも心許無い声だった。
「今は怒っておらぬ。何があったか申せ」
なるべく落ち着いた声を心がけ、刺激しないようにと気を使う。
ようやく話す気になったのだと察した王様は、はぁ、と溜息をついた。
なんともはや、乙女というものは難しい生き物である事よ。
一生をかけても理解できないだろうと王様は思った。
「それで、雨音を聞きつつ色々と考えていたら、寝るに寝れなくなって私の元に訴えに来たと。……そういう事か」
ポツポツ語るセレネの、やたら足りないものだらけの言葉を総合して推察し、穏やかを心がけつつ問いかける。
案の定、セレネはコクコクと何度も頷いた。
まさか、そんな下らない事で鱗が剥がされたり安眠が妨害されたりしたのか、と、王様は襲い来る脱力感にがっくり項垂れ、深く溜息をついた。
「…お、怒っ、た?」
おそるおそるセレネが王様の機嫌を窺う。
話し終えた途端、初めの頃の不機嫌そうな目とは打って変わって、不安そうな、緊張し切った目をしている。
話している内に気持ちが落ち着いたのだろうか、王様を巻き込んでしまった事を、今頃になって反省しているようにも見えた。
「それほど気にかかると言うのなら、人をやって確認させる。それで良いな?」
なるべく穏やかに、を心がけていた王様だが、慣れない気遣いはあっと言う間に限界を迎えようとしていた。
「…でも、かあさまの指輪と、とうさまの短剣が」
「良いから、それは私に任せて、お前はもう寝なさい!」
付き合いきれないとばかりに、語気も荒く大声で言い捨てると、セレネの全身がピクンと跳ねた。
薄闇でもはっきり解るほど、それはそれはハッキリと。
跳ねた、というよりは、飛び上がった、と言う方が良いのではないか、というくらいに。
何事も、しまった、と思った時にはもう遅いものだ。
はっとしてセレネを見やり、やってしまった、と後悔する。
俯いたセレネは、ぎゅうっと拳を握り、色を失うほど唇を噛み締めていた。
良く見えないものの、時折目元が光るのは、恐らく涙だろう。
「あー、つまり、なんだ。もう夜も遅い、良い子は早く寝るものだぞ、なっ?」
慌てて取り繕う言葉の、なんと白々しい事か。
『良い子』という言葉にセレネが怒り出すかと思ったが、まるで無反応だった。
握り締めた拳が、ぷるぷる震えるばかりだ。
「……わーかった、わかった。大声出して済まなかった。謝る。この通りだ、なっ?お前の心配も最もだ、それも解っておる。だからな、私が何とかすると言っておるのだ、そんなに心配するでない」
このように下手に出るという経験は実に稀すぎて、どう言えばいいか良く解らないながらも、セレネを泣かすまいと王様は必死だった。
随分と横柄な気もするが、少しはセレネに伝わっただろうか。
正直、これ以上はどうすればいいか王様には解らない。
「……………お、怒ってっ…………っないっ??」
ひぅっ、と息を詰まらせながらも途切れ途切れに聞かれて、王様は本気で焦った。
じと、と睨むように見上げる目にも、零れ落ちそうな涙がぷるぷるしていた。
怒ってない、怒ってないよーっ、ホラ怒ってなーい。
そう言えばいいのか?どうなんだ!?
内心ぱにくる王様だったが、ぐっと抑えて和やかに笑顔を浮かべて見せた。
困った時は、笑うに限る。
さて、笑って誤魔化したら、次は何と言えばいいか。
猛烈に過去の事例を検索して、最適な一言を捜す王様。
「……………怒っ、て、なっ、いっ!?」
今にも零れ落ちそうな涙をぷるぷるさせて、セレネが再度聞いてきた。
怒っている事も事実で、困っているのも事実。
とにかく、ここはリアクションが先だ、とばかりに、無理やり顔に笑みを貼り付けたまま、うんうん、と頷いてみせる。
今は迂闊な事を言ってはいけない。
そう思っていた時だった。
ふぇぇ、と声を上げたかと思うと、セレネが王様にタックルをかました。
……ように、王様には思えた。
実に重い一撃が、ズシンと腹部を襲った為だ。
「!!??」
ななななな何事だ!?
と、呆気に取られる王様を余所に、セレネは王様にひしとしがみ付いていた。
「…ごめんなさいぃ」
焦る王様の腹の辺りから、くぐもった声が聞こえた。
続いて、ふぇぇ、とまた小さく声がする。
王様なりに、セレネの複雑な心境を思いやってみたが、いかんせん複雑過ぎて、王様には半分以上理解不能だった。
セレネが家から遠く離れてから、随分と日数も経過しているのだろう。
この地へ迷いこんだ事を切欠に、自分の生い立ちや素性に触れる機会もあった。
セレネの人生において、この数日間はとても大きな変換点となった筈だ。
悩んだり、心配したりする気持ちは解るつもりだ。
だがそれと、夜中に人の寝所に忍び込んで鱗をひっぺがし安眠を妨害する事と、どんな関係があるというのか。
しかも、それを指摘すれば、逆切れでもしたかのような態度を取る。
終いには、人にタックルをかまして泣いている。
なんなのだ、いったい。
憤慨しようにも、腹に巻きついてめそめそ泣いているセレネを見ていると、冷や汗がたらたら流れてどうしようもなくなるのは、一体どういう事なのか。
未だ把握しきれていない秘密の力が、セレネには隠されていたというのか!?
……勿論、そんなわけはないのである。
ぱにくってまともな考察が成り立っていないだけと、気付きもしない王様だった。
『なななななっ、なんという事でしょう〜!』
セレネに巻きつかれ、死んだ魚のような虚ろな目をして手を宙に浮かせたまま、半分口から魂が抜けかかったかのような顔をしている王様など、彼が王位を継いでから30年間、一度たりとも見た事が無い。
『ハイ!自分!猫がおかしな臭いを嗅いだ時に、あのような妙な顔をした事があるのを見た事ならありますが!』
それはフレーメン現象だ。
『お前達、突っ込むべきはそこでは無いだろう……』
使用人たちがこそこそと興奮気味に会話する横で、宰相が呆れたような顔をした。
このような夜更けにセレネのような年若い娘が枕持参で一人王の寝所に忍ぶとは、なんとはしたない事か。
王様も王様で、そこにまるで気付いていない様子なのはどういう事だ。
早速明朝にでも、二人揃ってお説教ですぞ!
とっくに大人な王様はともかくとして、若いセレネの道徳観を教育するのは、この私をおいて他にはおりますまいて!!
そんな使命感にミゲレンは燃える。
気絶しているように見える王様が、実は自分達に向けて冷ややかな殺気を放っている事に、その場の全員、気付く者は居ないのだった。
ちなみに、王の寝所入り口近辺に転がる、金縛りの魔法にかかった複数の使用人とミゲレンが発見されたのは、翌朝、日も高く昇りだした頃の事である。




